東北関東大震災下で働く医療関係者の皆様へ――阪神大震災のとき精神科医は何を考え、どのように行動したか 本文全文 独断で抜粋

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遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

やはり人間は燃え尽きないために、どこかで正当に認知acknowledgeされ評価appreciateされる必要があるのだ。しかし、校長先生には精神科教授など迷惑な存在の親玉にしかみられまい。私はマスコミ関係者ごとに、先生がたの話の聞き役になっていただきたいと頼んでいる。

2011-09-13 01:08:31
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

全国の精神科医が系列を越えて、同じ目標、同じフィールドで働くことは、願って与えられる経験ではない。沖縄の精神医療の特徴は学閥のないことだといわれる。・・経験を通じてその事実であることを知っていた。それには青天井の下に立つようなさわやかさがあった。それが一時的にせよ神戸でも実現した

2011-09-13 01:11:57
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

コミュニティが崩壊しなかった証拠はいくつもある。街の物価は突然安くなった。隣の店が崩壊している時に商売していて暴利をむさぼるなんてとんでもないと言った人もいる。コーヒーは100・200円ライスカレーは500円となった・・どこの焚き出し所でも、被災者かどうかを疑うことはしなかった

2011-09-13 01:14:40
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

この事実から出発して考えれば、「暴利」とは現在しか信じえない絶望の所産であり、「掠奪」もまた絶望の所産である。この両者があいまって、悪循環をおこし、街角ごとにつむじ風を巻きあげることは、なにもアメリカの専売ではなく、日露戦争直後の日比谷の焼き打ちをはじめ、日本の歴史には稀ではない

2011-09-13 01:22:40
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

夕方、秘書とJR神戸駅前に向かって歩いた。春の匂いを風が運んでいた。すべてはほどけてやわらかかった。「終わったという感じが流れているね、まだ不通の電車も避難所もあるのに」「4、50日しかスタミナは続かぬだよ、生理的に」

2011-09-13 01:32:14
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

「その間に主なことをやってしまう必要がありますね」。われわれはやりおおせたのだろうか。(3月2日記)   「災害がほんとうに襲ったとき」は中井久夫編『1995年1月・神戸 「阪神大震災」下の精神科医たち』(1995年3月刊・みすず書房)に収録されています。

2011-09-13 01:32:53
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

阪神大震災では「活躍したのはテレビ・電話とともにコピー機とファックスとワードプロセッサーとであった。」。パソコンとネットとスマート携帯電話の普及が今回までにはあった。

2011-09-12 23:50:35
saijotakeo @saijotakeo

【RT願】震災半年に寄せて、ふんばろう東日本の歩みと成果、これからの構想をまとめてみました。これまでご支援いただいた皆様に感謝申し上げます。現在の支援箇所は1900カ所を超えています。今後とも温かいご支援のほどよろしくお願いいたします→http://t.co/VvSVFCY

2011-09-12 09:08:03