「移動ド」を教えるメリットを考えてみたけど結論なんもなかった話。

暇つぶし
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PSGOZ @PSGOZMIKU

ツイッターにいる階名唱をバカみたいに勧めてるアカウント、見てて飽きないな。ネタの宝庫だ。

2022-04-19 00:35:14
PSGOZ @PSGOZMIKU

@rush_noz 暇つぶしにどう?(どう?)

2022-04-19 00:41:36
Noz(のず) @rush_noz

@PSGOZMIKU どうせ、議論したって、音楽教育に破壊される子どもたちは増えも減りもしないからどうでもいいw

2022-04-19 00:44:55
PSGOZ @PSGOZMIKU

@rush_noz そりゃそうなんだけどw 目の前にあんなのがいた時のための練習くらいに考えてるかなw

2022-04-19 00:52:30
Noz(のず) @rush_noz

@PSGOZMIKU 正直、移動ドとか固定ドで教えるかなんて、クソどうでもいいんだが、敢えて移動ドど教えるメリットを考えてみるか....

2022-04-19 00:58:16
Noz(のず) @rush_noz

@PSGOZMIKU じゃあ、生産的にしたいがために、根本的に「ド」というものの知的枠組みを考えようか。

2022-04-19 01:18:48
PSGOZ @PSGOZMIKU

@rush_noz 前提長くなりそうでワクワクしてきた

2022-04-19 01:19:56
Noz(のず) @rush_noz

@PSGOZMIKU 大人の我々からすると「ド」という認知的枠組みは「ドレミファソラシド」という全体があるからこそ、部分である。この意味で、部分が全体を構築するのではなく、全体が部分を構築する。

2022-04-19 01:40:01
Noz(のず) @rush_noz

@PSGOZMIKU 「音楽の構造」を考えたとき、「ドレミファソラシド」という語彙は、音楽構造に部分性を与えるものである。

2022-04-19 01:45:02
Noz(のず) @rush_noz

@PSGOZMIKU さて、認知的な枠組みというのをさらに考えてみよう。「ド」という認知的枠組みは、認知の繰り返しによって強化されていく。つまり、同じ「ド」を聴く、ドとは違うものを聴く、という行為である。

2022-04-19 01:49:54
Noz(のず) @rush_noz

@PSGOZMIKU こう考えていくと、「ド」という感覚的な繰り返しに関しては、一見すると固定ドの方が優位に見えるかもしれない。なぜなら、音楽を構成する、演奏などの外化が簡易だからだ。

2022-04-19 01:55:41
Noz(のず) @rush_noz

@PSGOZMIKU しかしながら、音楽を聴くというものはただ、音を聞く「感覚」というものと、「感覚以上のもの」という二重性を達成するならば、ということを考えてみよう。

2022-04-19 01:58:41
Noz(のず) @rush_noz

@PSGOZMIKU 話が前後して申し訳ないが、全体性の話に戻ると、音楽というものを、「内省」するとき、音楽の目標を「全体性の知覚」と捉えたときともいえる。

2022-04-19 02:03:07
Noz(のず) @rush_noz

@PSGOZMIKU 余談だが、子どもたちの認知的知覚にとって固定ドにおける「ド」というものは全体なのだ。

2022-04-19 02:04:22
Noz(のず) @rush_noz

@PSGOZMIKU あの子の出す音が「ド」、この子の出す音が「ド」、という認知の繰り返しの全体性ともいえる。

2022-04-19 02:06:34
PSGOZ @PSGOZMIKU

@rush_noz この辺りが分かりにくかった。これは前ツイの関連(固定ドでは〜)に対しての、「移動ド」における「ド」の認知について云っている理解でよいかな? あの子の「ド」とこの子の「ド」は物理的には違うけど意味は同じ、という twitter.com/rush_noz/statu…

2022-04-19 08:48:25
Noz(のず) @rush_noz

@PSGOZMIKU 移動「ド」であれ固定「ド」であれ、認知の初期段階とも言えますね。「ド」という音が、いまだに「部分性」を獲得できていないということです。

2022-04-19 08:54:32
Noz(のず) @rush_noz

@PSGOZMIKU こう考えてください、つまり、ドが部分であるためには、ある意味では、部分と全体を「同時」に考えなければならない。

2022-04-19 09:03:16
Noz(のず) @rush_noz

@PSGOZMIKU 「ド」「レ」「ミ」「ファ」「ソ」「ラ」「シ」という「語彙」というのが、例えば「ド<レ<ミ<ファ<ソ<ラ<シ」という順列関係を持つ、などは全体性でありますね。この意味で「ド」というのは「ド<レ<ミ<ファ<ソ<ラ<シ」という全体性の中のセンターである。

2022-04-19 09:08:44
PSGOZ @PSGOZMIKU

@rush_noz 理解した、1が存在する(認識される)には2以上の存在(認識)が必要で、また1と1以外が分けられるという認識も同時に必要になると。

2022-04-19 09:09:47
Noz(のず) @rush_noz

@PSGOZMIKU もう少し言えば、段階です、「1が存在する」という段階はまだ、1が全体でしかない。ということです。「1以外」という存在の認知がそのあとであり、「「1」と「1以外」」で構成されるという全体性を獲得がまたそのあとということです。

2022-04-19 09:19:13
Noz(のず) @rush_noz

@PSGOZMIKU そして、「1が存在する」という認知を強化することも可能であって、「1に似たもの」という存在によって強化されていくということも同時に考えると面白いですね。

2022-04-19 09:21:09
Noz(のず) @rush_noz

@PSGOZMIKU さて、「全体性の知覚」と捉えたとき、例えば様々な音楽を聴く体験をしたり、ある種の楽譜に依存しない演奏をしたときに、ある「音楽システムの全体性の知覚」を考えたときに移動ドはもしかしたら有用なのかもしれない。(かなり強引だが)

2022-04-19 02:14:50