短い平和な春が来たと思ったら、一気に滅亡の坂を転げ落ちた「ヒッタイト帝国」の歴史

海に囲まれた山がちなアナトリア半島の内陸部に生まれて、数百年の間、六方向の敵と戦い続けた「ヒッタイト」は何故滅びたのか?
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ヒッタイト建国以前の歴史については、山がちなアナトリアの中央にある高原の中を進む「アッシリア商人の道」がまず先にあって、アッシリア商人を保護する代わりに現地の支配権を確保した人たちが、都市を中心とした小さな国を発展させていったところ、それらの小国が互いに争うようになり、併呑を繰り返して、最後にそれらを統一したのが「ヒッタイト」で、統一するや西方やシリア方面に進出しようとしたけど、そこから長きにわたる多方面での戦争が始まったとのことです。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

ヒッタイトの都がハットゥシャHattuşaだけど、2021年出版の『ヒッタイトの歴史と文化』によると、同時代史料が残ってるヒッタイトの最古の王がハットゥシリHattušiliで、ハットゥシリが王国の都をハットゥシャに定めた人物だったと考えられてる。ハットゥシリは紀元前1650年頃に即位したと推定されてる

2022-04-17 06:36:39
巫俊(ふしゅん) @fushunia

ヒッタイト人の言語はインドヨーロッパ語族のヒッタイト語ですが、王国内には全く別系統の言語の「ハッティの言語」hattiliが存在してて、前2000年紀のはじめにアナトリア中央北部のハットゥシャなどの流域に集落を形成したのがハッティ人だとされる。ヒッタイトはハッティ人を支配した側の集団でした

2022-04-17 06:44:41
巫俊(ふしゅん) @fushunia

英語のヒッタイトは、ハッティに由来する名称な訳だから、ハッティ語とヒッタイト語があるとか言われても話がねじれてるように感じるんだけど、アッシリアがハッティの地に設けた交易の拠点がハットゥム Hattum)で、そこに住んでた人たちがハッティ人と呼ばれたようです。

2022-04-17 06:48:28
巫俊(ふしゅん) @fushunia

ハッティ人の言語は、史料から未知の言語だということが分かってて、北西コーカサスの言語と比較されたりとか起源を推測されてるようだけど、アッシリア商人と交易をしてたアナトリア中央部の高原地域は、政治的には統一されて無かったので、複数の系統の集団が交易の利益に依存して生活してたようです

2022-04-17 06:51:41
巫俊(ふしゅん) @fushunia

ヒッタイト最古の王のハットゥシリの祖父ではないか?と言われてるのが、ハットゥシャの北の黒海に面した交易拠点「ザルパ」を支配してた「フジヤ王」で、フジヤ王は覇権を争った末、アニッタという男に敗北して、ハットゥシャの東南のカネシュに連行されてます。アニッタの都カネシュは大都市でした

2022-04-17 07:00:06
巫俊(ふしゅん) @fushunia

アッシリアからアナトリアの中央部に向かう交易路」は、古代のアッシリア商人が苦心をして作りあげたもので、カネシュも元々はその植民地でした。アッシリア商人は契約を交わして現地の支配者の課税権を認める代わりに、保護と自治、交易の自由を認められてました。

2022-04-17 07:05:57
巫俊(ふしゅん) @fushunia

富が行き来するアナトリア中央部は、しばしば紛争が起こり、アッシリア植民地の住民は貴重品だけを持ち出して都市から退避し、戻ってこれなかったこともあったようです。そうしたことが繰り返される中で、カネシュやザルパ、ハットゥシャなどが「国」と呼ばれ、5つの主要国があったとか。

2022-04-17 07:10:12
巫俊(ふしゅん) @fushunia

彼らは協力し合わないと、交易という一本の糸が切れて窮乏する訳ですから、交易のために協力しながら平和な時代を過ごしたり、発展にするにつれて争ってたりしたようです。そこに現れたのがフジヤやアニッタでした。アニッタ王はハットゥシャを滅ぼし、人間が住めない場所にすると呪いをかけたりしてる

2022-04-17 07:13:07
巫俊(ふしゅん) @fushunia

しかし、ハットゥシャはすぐに再建されたようで、アニッタの作った「帝国」も彼の死から一世代を経て崩壊したと見られてます。しかし、アニッタによる「統一」体験がこの後のハットゥシリによる建国を導いたようでした。

2022-04-17 07:20:04
巫俊(ふしゅん) @fushunia

ハットゥシャにヒッタイトの最初の都を作ったハットゥシリは、ハルパ(アレッポ)の港湾都市を破壊するなど現在のシリアに進出しますが、他の方面の敵を抱え、その征服事業は簡単には行かなかったようです。ハットゥシリは法典や集会の制度を整備し、国家の基盤を固めていきました。

2022-04-17 07:27:06
巫俊(ふしゅん) @fushunia

そうやって、最初のヒッタイト国家が成立したとのことでして、ザルパやハットゥシャは「ハッティ人」が形成した集落でしたが、統一を目指してそれらの地を支配したアニッタやハットゥシリはいずれもカネシュの近くにあったらしい都市クシャラの出身でした。

2022-04-17 07:31:59
巫俊(ふしゅん) @fushunia

ヒッタイト国家のヒッタイト人は、自らの言語ヒッタイト語をnešili「ネサの言語」と呼んでましたが、ネサ大都市カネシュのことで、カネシュとの関わりで自分たちの言語を把握してたようです。

2022-04-17 07:34:53
巫俊(ふしゅん) @fushunia

カネシュとハットゥシャは元々、同じ地域の別の国でしたから、元々ハットゥシャに集落を作った「ハッティ人」と、ヒッタイト語を話す支配者集団には別の起源があった訳です。支配者集団は宗教文化や祭祀用語をハッティ人から受け継ぎ、ハッティ人も長い時間をかけて集団に同化していったとされてます。

2022-04-17 07:38:37
巫俊(ふしゅん) @fushunia

その結果、インドヨーロッパ語族に属する言語を使っていた支配者集団は、ハットゥシャを都として、同時代史料上の最古の王の名前も「ハットゥシリ」だったことから、その名前にゆかりがあり、旧約聖書ではその後継国家に関係がある人たちがヘテ人と呼ばれ、英語ではヒッタイトと呼ばれた訳でした。

2022-04-17 07:45:56
巫俊(ふしゅん) @fushunia

nešili「ネサの言語」と王名のハットゥシリHattušiliだから、ハットゥシリは「ハットゥシャの(支配者)」とかそういう意味だと思うんだけど、ハットゥシャのsとハットゥシリのsは細かい発音記号が違ってる。 twitter.com/fushunia/statu…

2022-04-17 08:05:52
巫俊(ふしゅん) @fushunia

ヒッタイト語は自分たちの言葉でnešili「ネサの言語」と呼ばれてるけど、ヒッタイト王のハットゥシリHattušiliもšiliという語尾がついてるから、ハットゥシリはハットゥを治めてる者、とかそういう意味なのかな?

2022-04-17 06:23:05
巫俊(ふしゅん) @fushunia

その辺、よく分からなかったけど、渓谷の末端にある要害の地ハットゥシャに最初に都を構えたのが、ヒッタイト国家の事実上の建国者と見られるハットゥシリな訳だから、明らかに関係があるし、よく分からなかったことが少し整理できました。

2022-04-17 08:09:41
skrhtp @skrhtp

@fushunia Hattusaについてですが、sがşになっているのはトルコ語(など)の表記です。 ヒッタイト語の翻字ではハットゥシャ(URU)Ḫa-at-tu-ša(Ḫattuša)となります。 なお、šの音価自体は引用のような議論があります。 twitter.com/skrhtp/status/…

2022-04-17 16:48:16
skrhtp @skrhtp

4. 摩擦音の音価 ḫ、šはそれぞれPIEの喉音(特に*h₂)、sに起源を持つ。アッカド楔形文字ではḫは無声軟口蓋摩擦音[x]、šは無声歯茎摩擦音[s]~[ʃ]に当たる。 ḫ(ḫ)は[x] or 無声口蓋垂摩擦音[χ](無声咽頭摩擦音[ħ]説も)、šは[s] or [ʃ]で議論がある。

2021-01-11 23:11:27
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@skrhtp ありがとうございます。誤解してたことを教えて頂いて大変助かりました。そうすると、ハットゥシリ王はハットゥシャを支配した王だから、ハットゥシリと呼ばれてるのでしょうか?彼がハットゥシャに都を構えたから、この国家の他称国名がハッティになったはずですよね。

2022-04-18 01:43:59
skrhtp @skrhtp

@fushunia 自分自身ヒッタイト史はあまり詳しくないのですが、ヒッタイト語に関する情報中心に確認できた範囲のことを挙げてみます。 ※4ツイートに分けます。

2022-04-18 21:21:58
skrhtp @skrhtp

まずヒッタイト語にはḪattuša「ハットゥシャ」とḪatti「ハッティ」が共に地名としてあり、「ハッティの地」という表現も見られます。 nu=za ŠA (d)UTU-ŠI Ù ŠA KUR (URU)Ḫatti ešši 「あなたは陛下とハッティの地の(属する者)である(だろう)。」 ※KUR「国、土地」

2022-04-18 21:23:39
skrhtp @skrhtp

※ここは私見です またNešaは、Ḫattušaと大きく離れているわけではなく、ハッティ人の居住域も考えると「ハッティの地」の範囲に含まれることも考えられます。 ですので、特に海外視点では単にハッティ人の住む地域周辺をそう呼んでいただけで、遷都は無関係の可能性もありそうです。

2022-04-18 21:24:34
skrhtp @skrhtp

Hattušiliについては、遷都の際に王名を変えたという認識でよいと思います。(※ハットゥシリ1世の年代記に別名が見えます) 語尾-iliについては、調べたところある種の派生接辞であるらしいです。(次ツイートに用例を挙げます) 用例を見る限りḪattušiliは「ハットゥシャの人」程度の意味かと。

2022-04-18 21:26:08
skrhtp @skrhtp

派生接辞-iliの用例(一部?) ・(人名で)地名+  Arinnili(Arinnaの人) ・形容詞形成  karuili「古い」←karū「以前に」 ・副詞形成(中性形容詞主・対格由来?)  ḫaranili「鷲のように、素早く」←ḫaran-「鷲」 ・地名+「~のやり方で、~の言葉(で)」  nišili「Nešaの言葉(で)」

2022-04-18 21:27:18
すきえんてぃあ@書け @cicada3301_kig

ギリシア語、3400年間も表音文字で記録があって直系の末裔言語が現代でも普通に生きてるのはマジで強い

2021-05-31 17:08:42