自由連想という、精神分析に固有の領野

精神科医、@schizoophrenie さんによる解説です。
5
Epouserlanotion @Epouserlanotion

今日はJ.ラカンの命日であり没後30周年。1974年3月9日にテレビで放送されたラカンの資料映像をINAで販売している。93分。4,99€(約540円)。無料でその抜粋のみ視聴可能。また第一部のみ、あるいは第二部のみの販売もしている。http://t.co/pQUec14

2011-09-09 18:32:05
schizoophrenie @schizoophrenie

命日なので,精神分析の話をします.

2011-09-09 19:56:22
schizoophrenie @schizoophrenie

知への意志 (性の歴史) :ミシェル・フーコー http://t.co/ArAISZj フーコーは『知への意志』のなかで,教会における告解というシステムの延長線上に精神分析の性の語り(discours)を位置づけた.このことはよく知られている.

2011-09-09 19:57:22
拡大
schizoophrenie @schizoophrenie

しかし,フーコーのように精神分析を告白という語りのシステムの歴史のなかに還元してしまうことは,「自由連想」という技法がもちこんだ革命を胡散霧消させてしまうだろう.

2011-09-09 19:57:46
schizoophrenie @schizoophrenie

自由連想は「自由に」連想することではない.それは,頭に思い浮かんだことをすべて語ることである.しかし,やってみればわかるが,このような語りは非常に困難である.人はとても馬鹿げたことを思いつくし,恥ずかしく隠しておきたいことも思いつく.自分の考えとはとても認め難いことすら思いつく.

2011-09-09 19:58:01
schizoophrenie @schizoophrenie

だから人は,相手に悪い印象を与えないよう思いついた事を隠す.分析家によく思われようとするわけだ.しかし自由連想の規則はそのようなパトローギッシュな意図でなされる検閲を一律に禁ずる.「どんな事であっても連想したことを全て話す」という規則に従うという条件でのみ,自由連想は可能となる.

2011-09-09 20:00:03
schizoophrenie @schizoophrenie

広義の精神療法を含めた「治癒のための語り」,あるいは他者からの承認を得るための語り,「何かのための語り」はパトローギッシュな語りである.

2011-09-09 20:00:42
schizoophrenie @schizoophrenie

精神分析に来る主体は,最初,このようなパトローギッシュな語りを携えてくる.つまり人は,「自分を治してほしい,自分自身を知りたい,精神分析を教えてほしい,自分を分析家として認めてほしい」(E617)などといった,目的(要求)をもった語りによって分析をはじめる.

2011-09-09 20:00:58
schizoophrenie @schizoophrenie

しかし精神分析は,このような「何かのための語り」が,自由連想の規則に従うことによって「語るために語る」という純形式に転化することなにしは進展しない.要求を訴える「何かのための語り」は,自由連想によって欲望の領野を拓く語りへと変化することができる.

2011-09-09 20:01:14
schizoophrenie @schizoophrenie

私は以前,ある信頼するラカン派の分析家に「よい分析家とは何か」という疑問をぶつけたことがある.その分析家の答えは「自由連想を介入によってとめようとしない分析家が良い.自由連想さえ出来れば,どの学派の分析家とであっても分析は進む」であった.この答えには,とても感銘を受けた.

2011-09-09 20:01:58
schizoophrenie @schizoophrenie

だから私たちは,精神分析に固有の語りを,他のいかなる語りにも還元してはいけない.精神分析は,精神療法ではない.フロイト派であるということは,自由連想という語りの固有の領野を保つことに他ならない.

2011-09-09 20:02:17
schizoophrenie @schizoophrenie

「純形式に転化することなにしは」→「純形式に転化することなしには」…orz…

2011-09-09 20:06:57