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@sensualempire なるほど。ゼロ年代のすべての音楽座談会にヒフミ君が参加してたらもっとマシなものになっていたと思うよ。
2010-05-01 23:19:28まあつまりだ。現実的にそこでのセンス争い(と解釈される好悪についての考えの違いをぶつけ合うこと)が何のリターンも生まないと思われている音楽では、端的になんとなく感受性のあるっぽい音楽やってければいいよねで終わるという。それを批判しようと言う点では宇野さんと同意見だけど。
2010-05-01 23:22:36@keiichiroshibuy ゼロすべの頃は僕もまだ明確な考えは持っていなかったし、むしろゼロすべにはかなり議論の土台もらいましたから、単なる批判と言うよりはそれをちゃんと受け継ぎたいという考えなんですけどね。まだ現状分析と愚痴にとどまっている感じがするので、歯がゆいのです。
2010-05-01 23:27:27@sensualempire あそこでされている「現状分析」は現状には届かないし、歌詞の問題なんて現場を知っていたら音楽批評で取り上げる意味もないのは明らか。一番楽な現状批判をやっているという印象だったのが残念だったな。
2010-05-01 23:32:23音楽の消費形態が今大きく変わっているのは確かで、過渡的な時期なので価値観にせよ言論にせよ混乱気味にはなる。しかし新しい方向、未来的な形式(この言葉を僕は楽典に載っているような意味では使っていません、念のため)のヒントはそこらじゅうに転がっている。今必要なのはそれを拾い集めること。
2010-05-01 23:50:51@keiichiroshibuy 歌詞分析そのものが無意味だとは思っていなくて、音楽と相互作用を起こしあっているものとしての歌詞(そしてこれはポエジーという感覚ともつながっている)を捉えるならいろいろ面白い論点は出せると思いますけどね。
2010-05-01 23:54:06自分は本音を隠すのがうまい方だと思っていたが、音楽に関してはどうもそうは行かないなあと風呂に入りながら思った。
2010-05-01 23:54:57歌詞について。東さんとかも言っていたが、歌詞なんて聴いていない人というのは結構いる。特に、テクノも含む広義のインストゥルメンタルから音楽に興味を持った人間とか、楽器を演奏している人は。しかし、裏を返すと聴くに値する歌詞が生まれていないという問題もある。その点相対性理論はよい!
2010-05-01 23:57:58相対性理論の歌詞が90年代的喪失感だとかまあそれはいいとして、節だとか単語だとかの言葉のリズムと歌のリズムを合わせることで歌詞が印象に食い込んでくるように工夫がなされている。
2010-05-01 23:59:22Jpop の歌詞がどんどんと聞き取りづらくなってきたことについて、増田聡さんが「聴衆を作る」の第一章ですでに言及しているので、興味のある人は読んでみましょう。聞き取りづらけりゃそりゃ聴く気起きないわ。
2010-05-02 00:00:39あと歌詞カードとカラオケの存在で、歌詞のリーダビリティ(リスナビリティ?)が低くなったということは分かりづらかったけれど、メガヒットの減少に伴うカラオケの衰退で放置されてきた歌詞の駄目さが顕在化してきた感じ。
2010-05-02 00:03:119mmパラベラムバレットとか地味に支持しているのは歌詞がいいからというのも実はある。アクモンとかもその方向で評価されていたけれど、9mmは日本版アクモンというところがある。
2010-05-02 00:04:38ちなみにアクモンとかをロックンロールリバイバルでくくって終了するあるいは売り出そうとするやつらは全員同罪でその怠慢さを責められるべきで、彼らが演奏の中にパンクやテクノやメタルの音感を忍ばせているのは明らかで、それは9mmも同じ。さらに複数トライブを経ての批評性を歌詞に託す。
2010-05-02 00:06:42だからアクモンとか9mmはマジで宇野さん聴くべきなんだが(その前はPREFUSE73を聴かせようとしていた・・・これは自分でもどういう論理で薦めようとしていたのかいまいちよく分からない)・・・
2010-05-02 00:07:41RT @quolc: 今年の夏は、国際化学オリンピックの日本代表になりそこねた少年が極限状態でアンフェタミンを合成して服用し、トランス状態で世界を救う鍵となる謎を解くというアニメ映画が流行るんじゃないかと思うんですよね。
2010-05-02 00:09:14こういうわけ分からないことを大真面目に言う人がいないと、多分音楽批評は面白くならないだろう。そして一番重要なのは、彼は(おそらく)本当にそう思っているというところなのだ。
2010-05-02 00:10:48RT @wtnbhrt: コール&レスポンスって広義のコミュニケーションだよな。たとえ形式化しても、それは「お約束」というコミュニケーションに集約されるし。 #ETV
2010-05-02 00:14:08そうそう。そしてそのコミュニケーションをどうするのかをめぐってフリーインプロヴィゼーションは試行錯誤した。結果としては、コールアンドレスポンスしなきゃ駄目なんだという強制力から逃れて自由になればおkって感じかな。結局自由さが目的なわけだから。
2010-05-02 00:15:36自由さが目的って言うのは、自由主義と結びつくとか、あるいは疎外論的図式とか、そういうのとは関係が無い。あくまで、演奏の中で人はいかに自由になれるか?って問題・・・。
2010-05-02 00:16:54しかし、ある意味ではフリーミュージックは演奏を徹底的に脱社会化あるいはこういってよければdissociationしたものだし、ディープリスニングは聴取の脱社会化と言えるし、音楽にまつわる行為が社会という平面状で統合されず分解されていった歴史という考えも可能かな。
2010-05-02 00:19:44しかし僕は基本的にその分解と脱社会化を肯定しつつ、それらがしかし自由にまた社会的に結びつくためのプラットフォームというのを考えたいと思う・・・つまり、聴取が極限までいくと、アニソンもケージも差別化せず聴けてしまうのだが、それは創作には結びつかない。創作の契機をそこに結び付けるには
2010-05-02 00:21:58(聴きたいという欲望は極限まで行くとあらゆる音楽を「音響」として聴くところへ誘ってしまうので)創作の欲望といえるものを新たに引っ張ってきて、聴取の記憶と接続しないといけない。例えばBMSの譜面作成とかから音楽製作をやり始めた人たちというのがいる。
2010-05-02 00:24:45ピアノとかギターという楽器はそういう意味で重要で、これひとつで演奏する、それを聴いて楽しむ、作曲してみる、弾きながら歌ってみる、暇つぶしに適当な音を出してみる、など色々できる。分解された欲望を再接続するプラットフォーム機能。
2010-05-02 00:26:55あと、ニコ動のコメントも製作者側には強いモチベーションになっているみたいだ。このインタヴューいいので読んでみてください。http://ascii.jp/elem/000/000/475/475544/
2010-05-02 00:29:04最近本当にニコ動の「ミクトロニカ」タグ周辺の作家に可能性を見出している。実際、ミクが楽器としては音色の強さに欠けていて、生楽器とのアンサンブルが難しいこと、あとスタジオ代のことを考えれば、DTMで製作して結果的にエレクトロニカになるのは別に怠惰の証でもなんでもない。
2010-05-02 00:31:18