- butabuta_bot
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下記のリンクからはじまる @shi3z_bot さんのソーシャルゲーについての一連のつぶやきがさすがに秀逸。ぜひトゥギャってほしい http://t.co/Yns817Lf
2011-09-22 11:35:26とのことなんで、時差ぼけで目も覚めてるしトゥギャりました
僕がインデックスの樋口さんとソーシャルゲームについて日常会話をしていたら・・・
なんかソーシャルゲームはここが気に入らない、みたいな記事が話題になっているのを見つけた。
んで、まあ気持ちは解るけど違うよなーと思った。
この記事の人が言いたいことはなんとなくわかるんだけど、実際は違う。ただ、この記事とコメントの内容はゲーム世代も「最近の若い者は・・・」って言っちゃう老害世代になりかけてるってことかね http://ht.ly/6BjZL
2011-09-22 11:01:41小説が登場したとき「絵空事に現を抜かすとろくな大人にならない」と言われ、漫画は「あんなものを読んだら頭が悪くなってろくな大人に育たない」と言われ、テレビは「あんなもの見てたら頭が悪くなってろくな大人に育たない」と言われ、次はゲームがそう言われ、今はソーシャルゲーム
2011-09-22 11:03:58興味深いのは、必ず前の世代にダメと言われていたものは「良い教養を育むもの」として論じられる事だ。要するに親父と同じ遊びをしていたらダメなのである。結局、理解できないものに対するスタンスをどう決めるか、という事に過ぎない。
2011-09-22 11:05:18.@wokakiiiiiiiiii ゲームにもクソゲーがあるのと同じで全てのソーシャルゲームが均一ではない(でなければ競争は生まれないし)。彼が理解できない(したくない)のは、ソーシャルゲームの出来ではなく構造や遊ばれ方のスタイルそのものでしょうね。
2011-09-22 11:07:33ソーシャルゲームが大変興味深いのは、楽しく遊ぶためには高度な社会性が必要であるという点で、従来の引きこもり型ゲームのプレイヤーには受け入れられ難いのではないかと思う。社会性のない人間にとってソーシャルゲームは苦痛でしかない。プロセスが省略されているのは、社会性を優先したため
2011-09-22 11:08:36プロセスが複雑だったり習熟に時間を要したりすると、社会性が犠牲になる(遊びに付き合ってくれる人が減る)。だからプロセスを単純化して「ゲーム(遊び)」の間口を広げる。これは例えば「ごっこ遊び」と同じ
2011-09-22 11:09:59たとえばそれがどれだけ面白いとしても、「第二次世界大戦時の英国軍空挺部隊ごっこ」は遊ぶために高度なルールや背景となる知識が必要だから、これをやろうと思っても仲間を探すのは大変。これが従来のMMO。隣の女の子と遊びたかったら、「おままごと」をする。これがソーシャルゲーム
2011-09-22 11:11:49違うと思うけど、ちょっとわかる部分も。。RT @shi3z_bot: この記事の人が言いたいことはなんとなくわかるんだけど、実際は違う。ただ、この記事とコメントの内容はゲーム世代も「最近の若い者は・・・」って言っちゃう老害世代になりかけ.. http://ht.ly/6BjZL
2011-09-22 11:12:49たとえば僕は樋口さんとは面識もあるし一緒にお酒を飲んだりもするけど、もし僕がハードコアなMMOやFPSをやっていたら、彼女と一緒に遊んだりはしなかっただろう。
お互い大人だし忙しいから、そんなコストのかかる趣味に誰かを巻き込むというのは相当な覚悟が必要になる。
その点、Facebookで気軽に遊べるソーシャルゲームは誘い易いし、なにか特別な準備が居る訳でもないし非同期的に遊べるから気楽だ。
もちろん一方で僕はハードコアなFPSのオンライン対戦に熱中するときもある
.@wokakiiiiiiiiii 実は実際のユーザはもっとピュアで、会話すら交わさなくても「一緒に戦ってる」という感覚は共有されてるのです。これは昔のゲーセンのハイスコア競争に似ていて、ゲームを通してしかコミュニケーションしてないけど成立してる
2011-09-22 11:14:12たとえばハイスコア競争だって、誰が誰だかわかんないんだから、botでいいはずなんですよ。実際、最初から開発者の名前と点数がダミーで入っていたりする。けど、重要なのは「あの○○○という奴に昨日は負けた、今日は勝ってやる!」という意気込みであり、会話する必要はないんです
2011-09-22 11:15:30FPSであっても、会話しなくても相手と一緒に「戦ってる」という感覚を得る事がある。
僕が機銃兵として一所懸命、機銃掃射してるときに、隣にいたドイツ人が甲斐甲斐しく回復アイテムをくれたり、弾薬を補給してくれたりすることがあった。
また別の時は、スナイパーとしてイタリア人と組んで狙撃ポイントを探したり、一緒に対人地雷を埋めたりしたこともあった。
ここに言葉は介在しないし、だからこそできるコミュニケーションもある。
一緒に遊びたい相手によって遊びの内容を変えるわけで、それは別にソーシャルゲームに限らずみんながやっていること。従来型のゲームはやっぱりプロセスが重たいから、「ねーもっと遊ぼうよ」と言っても「遊びたいけど時間が・・・」とか「いまいちつまらない」とか言われてしまう
2011-09-22 11:17:03