マルセイユツイートまとめ

私の師匠こと、シチューさんによるマルセイユ氏関連のツイートの一部をまとめてみたもの。 …流石にもう呟きのサルベージは不可能ですね。
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@JerzySicz

「これかな」 マルセイユは脚を降ろそうとしました。ですが、彼が押したスイッチ、それはエンジンで……はい、失速してそのまま胴体着陸するしかないですね。運が良いのやら、腕が良いのやら、毎度のこと彼は無事だったのですが、この件でイタリアンパイロットの心証は悪くなっちゃったみたいです。

2011-09-19 00:48:59
@JerzySicz

その後どうなったのかまではわかりませんでしたが、当時のイタリア空軍は運用機種が多種多様になってしまい、その上、燃料や砂塵のスラッジの問題もあって、整備が非常に困難な状況でした。貴重な「稼動機」を台無しにされたのですから、やっぱマカロニさんは怒ってたんじゃないかなって思います…

2011-09-19 00:55:29
@JerzySicz

ということで次回の突撃☆隣の航空団:「沈黙の用足し」は22日、ガランド閣下をリポーターにお送りします。

2011-09-19 01:02:02

9月21日の…閑話?

@JerzySicz

思うんですけどね、スコアの内で、強敵、ライバル機の数は幾つか。これを見るとなかなか面白いんですよ。いつも言ってる事なんですけど。

2011-09-21 00:28:29
@JerzySicz

マルセイユは場所と時期の関係もありますけど、スコアの内訳は殆ど「戦闘機」でありながら、ライバル機にあたる「スピットファイア」の撃墜は20(16とも言われており多少ブレはあるものの)で、エクスペルテン全体で見ても、それほど多くは撃墜していないのです。

2011-09-21 00:31:54
@JerzySicz

ただ、彼の場合はいくら相手がカモだからといって、あれほど一方的な勝ちっぷりは普通あり得ません、マルセイユの実力を否定するわけではありません。言いたいのは、腕っぷしの良いファイターほどスコアに翻弄され見えにくくなっている点です。

2011-09-21 00:35:20

9月22日

@JerzySicz

今日は何の日?ガランド閣下がJG27訪問にやって来た日だね。1942年9月22日のエピソードはアフ魔女の小説パートでも使われているので、ストライククラスタにも馴染み深いかと思います。

2011-09-22 00:02:57
@JerzySicz

当時JG27航空団司令となっていた、“エドゥ”ノイマンとガランド閣下がツーショットで写っている有名な写真がありますが、当然それはこの日に撮影されたものです。お二方ともスペイン内戦のレギオーン・コンドルに参加しているのですか、面識ってあったんですかねぇ?ちょっと不明。

2011-09-22 00:05:53
@JerzySicz

ノイマンはスペインで2機撃墜しています。でも、彼の役目にはスペイン語の通訳という一面もありまして、そういう目に見えない部分でも活躍していだんですね。ヨッヘンお気に入りのレコード、彼が持ち込んでいたら面白いですよね。実際はどうなんでしょうか。

2011-09-22 00:13:13
@JerzySicz

ガランド閣下、訪問のタイミングが丁度良いんですよね。この頃、マルセイユは怪我が元で出撃を禁止されていて、親友の戦死からも立ち直りかけていた。そして、持ち前の元気を持て余していた。マルセイユがおいしい獲物を見逃すわけありませんって。

2011-09-22 00:18:07
@JerzySicz

そして訪問時、マルセイユの天幕内に招かれたがランド閣下は、この日の出来事を次のように語っています。「夜、随分と遅くまで愉快に話し合ったよ。その後で、『ナイトキャップを一杯やって寝る前に、大切なことを処理しておきたいのだが』、と私はこの家の主に申し出たのだ」

2011-09-22 00:23:50
@JerzySicz

もうおわかりですね?マルセイユが手渡すは小さなスコップ、そして、こう説くのです。「天幕から出て真っ直ぐに60歩進み、次に右90度の方向に20歩進んだ地点で、このスコップをお使いください」 ガランド閣下は支持通りに用を足したのですが、翌朝・・・

2011-09-22 00:28:43
@JerzySicz

ガランド閣下は朝に目覚めた後、もう一度スコップを使う必要に迫られたので、天幕に出ると…「幕舎の前に矢印が立っていたので、まず面食らった。標識の通りに60歩と20歩進むと、最後の標識があった。そいつは下向きの矢印と一緒に、こんな文句が書いてあった」

2011-09-22 00:37:48
@JerzySicz

「1942年9月22日、戦闘機隊総監閣下コノ時点ニテ自然ノ摂理ニ対処セラル」

2011-09-22 00:40:17
@JerzySicz

ガランド閣下、ひと言。「これには参ったな」

2011-09-22 00:40:56
@JerzySicz

陽気でロマンチストだったマルセイユ。戦争が不穏な暗い影を色濃く落とし始めても、彼は相変わらず明るく振舞いました。彼だって、空でこそ天性の才能を持った戦士でしたが、地上では至って普通の青年でした。事柄を、記録を読み解いて見えてくる姿は、ホントに、ごく普通の、明るい青年なんですよ…

2011-09-22 00:48:53
@JerzySicz

そういう彼です。部隊の士気を担っているのだと自負していたマルセイユのことですから、無理をしてでも明るく振舞っていた。これは想像に易いでしょう・・・普段から馬鹿やってるようですけど、あれも何だかんだで、彼なりの戦いの一部だったんですよ、きっと。

2011-09-22 00:52:28
@JerzySicz

マルセイユの最大の魅力は、華々しい戦歴でも、心躍るエピソードでも、ましてや甘いマスクでもなく。彼の人間性そのものでしょう。そして、彼が成功を収めた影には様々な人の繋がりがあって、マルセイユはそういう人たちの為に変化していって…

2011-09-22 00:59:34
@JerzySicz

ぶっちゃけ、マルセイユは最初、気に入らないエースの一人でした。自分勝手な奴に思えたからです。でも、今では彼のことを知って、そこから垣間見えてきた、ごく普通の、明るい青年というマルセイユの人間像。そして、そんな彼が、あれほどの活躍をしてみせた。人の持つ力。そこに魅力を感じます。

2011-09-22 01:04:10

9月26日

@JerzySicz

ほいお、きょーはなんの日?マルセイユ、3回の出撃で7機を撃墜。最終スコアでもある、158機撃墜を達成した日。マルセイユは1942年の9月、この一ヶ月の間だけで、54機撃墜したことになります。どういうことなの・・・

2011-09-26 00:20:11
@JerzySicz

1942年9月26日、マルセイユは怪我の経過が良好なため、ついにノイマン航空団司令から出撃が許可されました。たったの10日ほどで腕が訛るほどの彼ではなく、さっそく大戦果を挙げたんですね。流石です。

2011-09-26 00:22:49
@JerzySicz

1942年9月26日、マルセイユは怪我の経過が良好なため、ついにノイマン航空団司令から出撃が許可されました。たったの10日ほどで腕が訛るほどの彼ではなく、さっそく大戦果を挙げたんですね。流石です。

2011-09-26 00:22:49