瀧岡先生のまとめその3

ファッションについての話が、なぜか公共性の話に・・・私としては楽しいのでいいのですが
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瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

個人的にはすっぴん礼賛です。すっぴんでも化粧しててもそれがどちらも個人の自己表現ならばいいと思う。すっぴんはダメという男性がいたら付き合わない方がいいと思う。そういう人はそれ以外でも自分の価値観を押し付けてきそうだから。身勝手な要求を他者がそれをする様に強いるのは自由の抑圧。

2011-09-20 07:03:15
@Kou111xs

@yutakioka すっぴんはダメという男性が、価値観を押し付けるとは言えないと思います。 というのは、すっぴんがダメという女性への趣向は、こういう女性のファッションが好きっていう女性への趣向となんら変わりが無いからです。

2011-09-20 07:39:42
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Kou111xs つまり、その女性のファッションが好きというのは誰がそれを思うのですか?すっぴんがダメというのは誰がそれを決めるのですか?それが問題なわけです。

2011-09-20 07:42:52
@Kou111xs

@yutakioka 女性のファッションや、すっぴんがダメだと思うのは個人です。 そう思う個人が多ければ、女性のファッションはこうあるべきだと決まり、すっぴんはダメだと決まります。 多数派の価値観の押し付けは善となり、少数派の価値観の押し付けは悪となります。

2011-09-20 23:57:54
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Kou111xs  それを押し付けることが正当かどうかという議論には何の関係性もありません。私が問題にしているのは、ファッショントレンドがどう決まるか?ではなくて、それを理由に価値観の押しつけを正当化することはできないということです。多数が正しいわけではないので。

2011-09-21 08:51:49
@Kou111xs

@yutakioka そもそも、正しい事は、多数派の意見と同値です。 ファッションなどの、社会慣習的なものは特にそうです。

2011-09-22 00:08:34
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

いや、違いますね。というよりも、社会規範は論理的妥当性のような正しさなど決定できないんです。だから、正しいとかいう言葉出てくるのは間違え。RT @Kou111xs そもそも、正しい事は、多数派の意見と同値です。 ファッションなどの、社会慣習的なものは特にそうです。

2011-09-22 08:41:40
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

また、仮にそうでも、それ=ある特定のファッションにたいする社会認識を理由に、ある個人に対して合理的議論によらない手段でその価値をおしつけるのは不正義です。RT @Kou111xs そもそも、正しい事は、多数派の意見と同値です。 ファッションなどの、社会慣習的なものは特にそうです。

2011-09-22 08:43:22
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Kou111xs 自由民主主義社会において、ある価値観を他者におしつけることが正当だといえる為の最低条件は、合理的討議による説得です。ですから、仮にある女性にすっぴんはダメということを主張したいのなら、その女性がその価値観に納得するように説得する必要があります。

2011-09-22 08:46:28
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Kou111xs では、なぜ多数決が正当化されているかといえば、それは多数派形成の手続気の公正さにあるからです。これは個人に対しても同じです。自由な討議による説得という手続を踏まなければ、その価値観を他者に押し付けることなどできません、自由民主主義社会ではですけどね。

2011-09-22 08:51:11
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Kou111xs その手続を経ないで常識やファッションは多数決で決まるのだから多数決に従えという理屈であれば、それは権威主義あるいは全体主義とさえ言えるでしょう。民主主義社会の一番大切な原則は「多数であること」は何の正当性の根拠にもならないということです。

2011-09-22 08:52:09
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

他者の価値観を尊重できなかったり多数派意見が少数派意見を多数であることを根拠に排斥できると勘違いしている人がたまにいるのは、教育の問題と思える。例えば民主主義=多数決の同意語で使っている人をよく見かける。これは、多数決が正当化されるのは多数故と勘違いしている人がいるからと思う。

2011-09-22 08:56:02
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

つまり多数派による意思決定が正当といえるのは、多数派形成の手続の公正さと、常に多数派が少数派に批判される可能性があることと、多数派、少数派という状態が一時的に過ぎないという前提のすべてが成立することが前提である。この定義からして数の多さは多数派による意思決定の何の根拠にもならない

2011-09-22 08:59:15
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

これらの条件のうち一つでも満たされないのであれば、その多数派の決定は著しく不公正といえる。これは個人と個人の間にも言える。

2011-09-22 09:02:19
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

ある価値対立があったとして、どちらかの価値を採用しなければならない場面があったとしたら、両者が自由な討議をして、その価値を受け入れる立場の方が納得できる合理的理由を受け入れを迫る方は提示できなければならない。

2011-09-22 09:02:22
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

合理的理由、あるいは自由な討議という手続きなしに、ある個人がある価値観を何らかの力(権威、権力、伝統、多数であることなど)によって受け入れるを迫ることがあったとしたら、それは著しく不正義といえるし、全く正当性はないといえる。

2011-09-22 09:04:12
@Kou111xs

@yutakioka たしかに、合理的討議が必要です。 では、仮にあるファッションが合理的討議されるとします。 そのファッションは、多数の人間が不快に感じます。 その場合は、人を不快にする為、認められるべきではないという、合理的妥当性によって、認められません。

2011-09-22 13:05:04
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

合理的の意味理解してます?あるファッションが普遍的に不快であることを科学的に証明しなければその理屈は偽ですRT@Kou111xs そのファッションは、多数の人間が不快に感じます。 その場合は、人を不快にする為、認められるべきではないという、合理的妥当性によって、認められません。

2011-09-22 13:29:31
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Kou111xs 合理的というのは、客観的論拠に基ずく推論を根拠にするということです。したがって、あるファッションを見るとすべての人が不快を感じるということを証明しなければいけません。そうでもなければ、そのファッションを認めないとはいえません。そうでなければ個人差の話ですから。

2011-09-22 13:33:36
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

ここまで非合理的推論は珍しい。合理的推論というからには、あるファッションを見るとすべての人が不快感を催すことを証明することができてかつ、それが社会的弱者に対してより大きな損害が引き起こされる危険性が証明されて初めて、そのファッションを認めないことが合理的といえる。

2011-09-22 13:37:00
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

そんなファッションこれまで存在したのかもよくわからないし、蛇やクモレベルの普遍的に不快を感じる刺激物でさえ、すべての人が不快を感じるから彼らの生存を認めない、したがって彼らを絶滅すべきだとはならない。ほんとにすごいこと言ってるのに本人は気が付いてないのかな?

2011-09-22 13:38:44
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

ましてや、蛇やクモ以上に不快感を普遍的に催すファッションがあるとも思えない。この普遍的というのがポイント。個人的に不快なファッションを認めないというのであればそれは合理的でもなんでもない。

2011-09-22 13:41:17
@Kou111xs

@yutakioka 少し誤解があります。 私が合理的に妥当と言ってるのは、多数の人間が不快に感じる行動はしてはならないという事です。 また、ある行動や物事が、全ての人にとって不快なものでなければ、認められるべきという論調はナンセンスだと感じます。

2011-09-22 17:06:29
@Kou111xs

@yutakioka それと、私が言ってるある行動が社会的に認められないとは、規則によって禁止される事ではなく、 その行動をすると、なんらかの社会的不利益を被る事です。

2011-09-22 17:11:37