無邪気な中高年の教育コスト
@ogawa_kimiyo 「もやもや」はもちろん舌足らずな表現で、要らざるプレッシャーを与えて申し訳ありませんでした。 実は先の一連のコメントは書きかけで続きがあったのですが、ちょうど膝の上で遊んでいた息子が大の方を漏らしたかもしれないと申告してきたので少々慌ててしまい、そのままネットから落ちていました。
2022-07-17 12:13:15@ogawa_kimiyo 自分の中にある「もやもや」をもっと言語化する努力が必要だと思いますので、もう少し続きを。 みくりやカットニス(あるいは前回のセビョク)は、「ケア」する主人公です。しかし、「ケア」的側面があるという点では、19世紀の「家庭の天使」イデオロギー下で成立した文学の登場人物たちも同じです。
2022-07-17 12:13:32@ogawa_kimiyo その二つを別物と捉えるならば、その差異はいったいどこにあるのか?が問題になるはずです。 (お察しかと思いますが、私自身は二つをかなり連続的に捉えています。19世紀文学も実態はそれほど単純ではなく、家父長制からの解放を強く志向していたとしても戦略的に「ケア」を身にまとうことがある、
2022-07-17 12:14:21@ogawa_kimiyo という事情がままあるからです。先にご紹介したシュピーリ文学などは、その典型ですね。) その差異は人物の描写それ自体に内包されているのか、それとも解釈者の側の読み込みから発生するのか。前者だとすれば、具体的にどんな描写から差異が読み取れるのか。そういった点に私は関心があります。
2022-07-17 12:15:43@ogawa_kimiyo 以上、補足までに。 「『家庭の天使』と『ケア・フェミニズム』が同じという誤解」は、もちろん前回の私のコメントを指すわけで、ゆえにここまでは公開でお返事する義務が最低限あるだろうと思った次第です。もしこのような議論そのものをご不快に思われるのなら、話を打ち切っていただいて結構です。
2022-07-17 12:16:31ただ、川島先生がなされたことは女性研究者の議論の論点を歪め、あたかも私が19世紀女性作家をよく理解していないという権威的態度で迫るというものでした。謝罪はありがたいのですが、形だけの謝罪はかえって傷つきます。19世紀と21世紀の議論を架橋するには今のフェミニズムも踏まえていただきたい。
2022-07-17 13:38:36川島先生への返信をTwitter上で書いたのですが、なんだか辛くなってきたので、削除しました。バックラッシュに対する反論は思いの外、心が擦り切れます。女性研究者は何もわかっていないんだと論点を弱めようとする男性にこれまでも遭遇しましたが、これは想像以上に時間とパワーを吸い取られます。
2022-07-17 14:21:16以下、川島先生のツイートを7月25日に追録
@ogawa_kimiyo こちらに続きを書いておられるのを、今さらながら人に教えてもらいました。 まず、ご不快な思いをおかけしたことをお詫びします。男性研究者から女性研究者への典型的なマウント取りの域を出た言葉をTwitterで他者に伝えるにはどのように語ればよいのか、長い時間をかけて学んでいきたいと思います。
2022-07-20 01:41:13@ogawa_kimiyo 一連の記事に私がこだわったのはなぜか、自分自身の動機を改めて考えてみました。 最初に私が違和感を抱いたのは、何はさておき、『逃げ恥』が苦痛だったという女性を身近に知っているからです。あの描写ですら苦痛に感じてしまう人がいるほどに、「ケア」とは抑圧と力づけの契機が絶妙に入り混じり、
2022-07-20 01:42:44@ogawa_kimiyo 扱いが難しいものだというのが私の認識です。 近年、物語の中での女性の描かれ方は本当に多様化してきていますし、そこでは、伝統的な女性像に何を足し、何を引くのかがたえず問題になります。「かわいい」「美人」「ケア」などの属性を女性の側に振り分けるのをやめた作品も続々と出てきています。
2022-07-20 01:44:26@ogawa_kimiyo そうやって生まれたキャラたちは、どうしようもなく古いものと新しいものの融合体であるのが常ですが(文学は大抵そんなものです)、だからこそ人に救いを与えもするのでしょう。 そんな今の日本の状況を語るのに、たとえば「ケア」を女性の側に振り分けた事例を「新しい」ものと言祝ぐ以外の語り方が
2022-07-20 01:46:36@ogawa_kimiyo ありうるのでは・・・という思いが、私のこだわりの基盤でした。 先のコメントが批判めいて聞こえたとすればその思いゆえでしょうが、批判はそもそも「論点を弱め」るものではなく、長い目で見れば議論の強度を上げるに決まっているものだと私は信じています。
2022-07-20 01:47:25…
小川公代さんによる連載二回目。今回は『逃げ恥』をオースティンで読み、『ハンガー・ゲーム』も読む。『逃げ恥』とフェミニズムというと第二波の社会主義フェミニズムで考 よみがえるヒロインたち - ネオリベラリズムに抗う ケア・フェミニズム | ウェブマガジン「あき地」 akishobo.com/akichi/ogawa/v…
2022-07-13 13:11:09えたくなるし、私の一連の著作でもその筋で読んだのですが、小川さんは作者も触れている『高慢と偏見』を持ってくることで、ポストフェミニズムの文脈で読みます。(ちなみに『高慢と偏見』は『ブリジット・ジョーンズの日記』を介してポストフェミニズム的作品の本丸のような部分があったわけです。)
2022-07-13 13:11:11それで小川さんはこれらの作品をネオリベラルなポストフェミニズムとして単に批判するのではありません。もっと弁証法的に考えます。その弁証法の鍵になるのが参照されるジュディス・バトラー。バトラーを受けた次の一節がすごい→
2022-07-13 13:11:11「「かわいい」という「純粋ではない資源」からいかに「未来を彫琢する」かということが今求められてもいる」
2022-07-13 13:11:12つまり、「かわいい」というポストフェミニズム的なもの、消費文化的なものを単に否定するのではなく、それを現在与えられている「純粋ではない資源」とし、そこから未来を考える。もちろん、小川さんは「ケア」もそのような資源として扱うわけです。
2022-07-13 13:11:12私も、ネオリベ批判のようなことをずっとやっていますが、結局出口はこのような弁証法的思考にしかないと思っています。という意味で深く頷きながら読みました。連載の続きが楽しみです。
2022-07-13 13:11:13分かりやすいというのは、小川さんの議論の襞を捨象してしまっている可能性も……という恐れも抱きましたが、ともかくも、とても面白かったのでみなさんぜひお読みいただきたいです。少し書き方を変えられたのかな、という感じも抱いております。 twitter.com/ogawa_kimiyo/s…
2022-07-13 13:42:02河野さんによる拙論解説が分かりやす過ぎて感動してます。ありがとうございます!”弁証法的思考”という言葉は目から鱗でジェンダーやケアをめぐる議論を推進するために必ずしも「純粋ではない資源」を用いて「未来を彫琢する」というバトラーの方法論に突破口を見出したことにも気づいてくださってる。 twitter.com/shintak400/sta…
2022-07-13 13:34:43小川公代さんの連載について述べたこの点は、理解しづらいのだろうな、という事例を目撃。「ポストフェミニズム」という言葉を使う時に、女性が消費社会のイデオロギーにすっかりだまされているか、そうでなければそれに対抗し得ている、といった二律背反的な考え方は、「虚偽意識」をめぐる twitter.com/shintak400/sta…
2022-07-17 10:36:32イデオロギー批評の基本(虚偽意識/真正な意識の二律背反という多純な見方の問題)を押さえていないだけではなく、そのような女性たちを「解釈」するポジションを想定するという意味で、女性たちの主体性を簒奪してしまう可能性をはらんでいると思います。
2022-07-17 10:36:33小川さんの連載の今回の肝は、まさにこのポストフェミニズムの二律背反を弁証法に変えることだと私は読みました。それは竹村和子的な意味での”ポスト”フェミニズム(継続としての「ポスト」)を考えること、とも言えると思います。その点、私も『戦う姫』では二律背反的なものを強調しすぎたかも
2022-07-17 10:36:33