○三島神社(蛇石)/特に式内論社などとしては名はあがらない。若宮を配祀しており、次の天神社と関係があるかもしれない。
2012-06-09 21:43:01△天神社(伊浜)/土地の伝説「粟の長者」の長者が信仰したと伝わる社。今は菅原天神だが、『南豆神祇誌』にはここは阿波命の御子神・物忌奈命を祀る社であったとある。
2012-06-09 21:44:15こんなとこかな?なんか忘れてるかも。でもまぁ、こうして見ると「三島神社」と今名のっている以外にも、この範囲で四十社近くの三嶋関連社が軒を連ねていることになるのですな。/この話・了
2012-06-09 21:47:12@Y_Suzuki 今日確認してきましたが、”三島神社”ではなくて”三峰神社”でした。すいません(^_^;) 鳥居と小さな祠しかありません。静岡県神社庁のリストの河津にある三峰神社のようですが、そのページのマッピングもかなりずれています。 http://t.co/cQo2jUio
2012-06-10 16:34:22?多賀神社/下多賀神社(熱海市多賀)/式内:白浪之彌奈阿和命神社の最有力論社(多賀神社)。しかし、この神が三嶋大明神の眷属神となるのかどうか今ひとつピンと来ない。神名のトーンが少し違うような気がする。ちなみに一帯の大社だったのは下多賀神社の前身の松尾明神の方。
2012-06-10 17:15:21?八幡神社(伊東市静海町)/式内:鮑玉白珠比咩命神社の論社に名のあがる「和田村の八幡(境内社のエビス)」の後裔社はおそらく静海町の小さな八幡宮(最有力論社は沼津市の鮑玉白珠比咩命神社)。今や単立社である。しかし、当否はともかくこの神名も三嶋系と少しトーンが異なるように思う。
2012-06-10 17:15:57ちなみに昔の和田村(今の伊東市和田地区に八幡はない)の八幡の後裔社を渚町の八幡神社であると見てしまうことがままあるようだが、そちらは伊東氏勧請の八幡神社で無関係。
2012-06-10 17:16:24?葛見神社(伊東市馬場町)/式内:久豆彌神社の最有力論社。まごうことのない伊東最古の総鎮守だと思われるが、楠そのものを祀る社であったと思われ、三嶋信仰との関連は議論もされない。伊東氏以前に久須氏なる一族がいたと見る向きもある(実は今の鳥居には久須某の奉納名がある)。
2012-06-10 17:17:04?引手力男神社(伊東市十足)/式内:引手力命神社(最有力論社)。沼津の大瀬神社も有力論社である。天岩戸の天手力雄神とは別の独自神格とされるが、この名も三嶋系とは別系の印象がある。
2012-06-10 17:17:31引手力命神社を三嶋系の社だとする論としては、引手を肥田(ひた)と見て神階帳「ひた王子」とする説もあるが、函南肥田の伝承ではこれは阿波命の第二子ということになる。
2012-06-10 17:17:55?竹麻神社(下田市高馬)/式内:竹麻神社三座の一ではないかとの説に乗じて八幡だったものを竹麻神社にしてしまった社だが、これは勇み足である。ただし、八幡以前に神階帳「たふたまつと(たふこまつ)の明神」であったのは堅いと見られる古社ではある。三嶋系なのかどうかはまったく分からない。
2012-06-10 17:18:43?八幡神社(下田市箕作)/神階帳:みちつくりの明神であると伝える八幡社があるそうな(未確認)。箕作(みつくり)の地名もここからとされる。しかし神社庁に登録はなく、今存在するのかどうかも分からない。「みちつくりの明神」が三嶋系なのかどうかもまったく分からない。
2012-06-10 17:19:42?走湯神社(下田市大賀茂)/式内:伊豆奈比咩命神社(最有力論社)。この神名も三嶋系かどうか疑問なところである。伊豆の名を冠するあたりまた別の話のように思う。
2012-06-10 17:20:10?神戸神社(南伊豆町・加畑賀茂神社に合祀)/神階帳:國ぬしの明神であるとされた。大社であったという。西伊豆の方の式内:國柱命神社・國玉命神社などの発想に近い神格のように思える。
2012-06-10 17:20:45また、下田白浜の伊古奈比咩命神社の近くには三宅島壬生氏の祖先を祀る御館神社があったという(三宅島壬生氏の初代の長の名が「御館」)。これは疑問な古社というより、三宅島系三嶋信仰のド真ん中の社なのだが、後裔社があるのかないのか不明、ということ。
2012-06-10 17:26:26話題の江原浅間神社のトライアッド。http://t.co/BFvIDNoB 『三宅記』の箱根→三宅島の三姉妹の后神、伊賀牟比賣命、伊波乃比咩命、佐伎多麻比咩命と無関係ではないのじゃないか。
2012-06-11 18:01:39かつて下田富士の山頂には「九つの祠」が祀られていたのだ。あたしはこれは佐伎多麻比咩命と八王子なんじゃないのかと思っていたわけだが。ううむ。
2012-06-11 18:03:00もともと富士から伊豆の民話では、富士山と下田富士と八丈島が三姉妹なのだ。器量が良くない長女が下田富士。『三宅記』三姉妹の長女・伊賀牟比賣命は最後岩になってしまうし、次女・伊波乃比咩命の名は岩の姫だ。三女・佐伎多麻比咩命は八王子の御母堂で子安の女神である。
2012-06-11 18:11:12今回は伊豆三嶋大明神と各島の后神と御子神・特に長子の関係についての私見。少々一般に書かれている事とは異なるイメージをあたしは持っているのだ。まず、中心となる三嶋大明神の基本的な事から見ていこう。
2012-06-17 22:12:19世に三島神社という古社は三社あって、西の摂津・三島鴨神社と伊予・大山祇神社と伊豆・三島神社である。摂津と伊予はもとより関係のある社であり、伊予の御嶋の神は摂津から来られたと言う(『伊予国風土記逸文』に難波の高津の宮からとある)。
2012-06-17 22:13:26伊豆半島南部および伊豆諸島は賀茂郡であり、その経営の中心に賀茂氏が関与していたとされ、伊豆三嶋の神名も西より来たものとして良いだろう。「三嶋」の文献上の記載は伊豆が早いこともあり、伊豆がもとだという論もあるようだが、難しいだろう。
2012-06-17 22:14:08しかし、伊豆の神の信仰が三嶋の神の到来を持ってはじまったのかというともちろんそんな事はなく、概ね伊豆諸島にいます神が「御嶋の神」と信仰されており、これに「三嶋」の神名がオーバーラップしたのであろうと考えられている。
2012-06-17 22:14:36