テクノロジーの効用と後期クイーン的問題
- quantumspin
- 1680
- 6
- 0
- 0
そういえば、ポストモダンとポスト・トゥルースとを混同されている方は本書を読むべきなんですよね。そういった理解はマッキンタイアが起点だった気もしますが、本書の立場はこれとは違っています。自分の実感はどちらかというと本書に近い。
2022-08-11 07:31:03ポストモダニズムは、真実とされているものの欺瞞というのか、非真実性を暴き、これを相対化していく営みといった印象があります。相対主義と言って良いかもしれませんが、ポスト・トゥルースを引き起こしているのは、真実への懐疑ではなくむしろ「真実らしさ」であると筆者は言っている。
2022-08-11 07:38:22言い換えると筆者は、現代において弱体化しているのは「真実」ではなく「エビデンス」だと言っているんですね。後期クイーン的問題のように、エビデンスを突き詰めて真実への不到達性を嘆くポストモダニズムとはそもそも出発点が違っているという事です。
2022-08-11 07:46:08だからポストモダニストが現代を憂いアナクロニズムに逃避するのはまあ、必然ではあるんですよね。時代は新たなステージにすすんでいるにも拘らず、そこから目を背けることでしか自身の信条を貫けないというのは、残念ですがありそうなことです。それと比べるとやっぱり法月さんはすごい人なんですよね
2022-08-11 08:54:31人文系の研究者の語学力に関する語りを見ていると、文学も結局エンジニアリング抜きには語れないという事がよくわかりますよね。いかに文系が技術批判をしようとも、そうした操作もまたひとつのエンジニアリングという事です。設計と制御の賜物。
2022-08-12 08:19:19柄谷は80年代に近代文学の終りを認めるんだけれど、ちょうどそのころ、文学にはサブカルチャーが流れ込んでいた。記号消費は文化であり、同時に今日の言葉でいうと、サービス工学なるテクノロジーでもあるわけです。つまり機能を最適化する設計と、品質を維持する制御の技術が使われている
2022-08-12 17:31:36エンタメも読者の欲望に最適化していくテクノロジーです。柄谷が物語を嫌ったのは、まさにこの、消費者の快楽に奉仕する、物語のテクノロジー的側面だったと思えばわかりやすい
2022-08-12 17:36:48しかし文学へのテクノロジーの侵入は、90年代に至りインターネットが普及することで、もはや不可逆的なものになっていく。柄谷はここに、全世界的な「近代文学の終焉」現象をみたのではないでしょうか
2022-08-12 17:42:55SNSにせよARにせよVTuberにせよメタバースにせよ、いまや人文学的リアリティはテクノロジーで埋め尽くされています。人文学者のレストランへの怒りは、まさにこういう語りを文学から切り離し、見下しているからこそ、生じたもののように感じられます
2022-08-12 17:48:39そして日本の人文学者が文学をテクノロジーから切り離し無視し続けたからこそ、ポスト真実的な現代社会を論じられないと言うか、論が滑ってしまうということではなかろうか
2022-08-12 17:53:28『隠喩としての建築』を読んでいたら、柄谷がテクノロジーと文学との関係について真正面から論じていておどろいた。なんだ柄谷さん、自分とほとんど同じようなことを大昔に言っていたんじゃあないか。
2022-08-25 17:11:12曰く、「近代絵画や文学はテクノロジーと関係しているどころか、それ自体テクノロジーなのである。いいかえると、文芸批評や言語学から出てきたと思われている形式主義・構造主義は、基本的にテクノロジーであって、ヤコブソンやレヴィ=ストロースはそのことを知りながらわざと戦術的に隠していた」
2022-08-25 17:15:41「小説や物語の「構造」分析がなぜテクノロジーなのかを説明するのに手間はかからない。日本のある出版社では、コンピュータによって構成された少女向けの小説を次々と出版しているが、まさにそれは「構造主義」の成果である」
2022-08-25 17:19:48「そういうものは読者の「期待の地平」をこえるものではなく、例の「異化」作用がないではないかという(…)反論があるかもしれない。しかし、例えばそうした反論を根拠づけるかのように見える山口昌男の「文化」理論は(…)文化がサイバネティックス機械だという事を意味しているのである」
2022-08-25 17:25:30「中上健次は秘境である「熊野」から汚染によって背中の曲がった魚が出て来た事の恐ろしさを語っているが、その恐ろしさは野間宏が考えているような環境汚染や遺伝子工学の問題とは似て非なるものだ。というのは、そのような「汚染」や「工学」は、すでに書くという事の基底に浸透しているからである」
2022-08-25 17:29:38「坂本龍一は、伝統的な感性(耳)もまたテクノロジーにほかならないことを承知しているのであって、いまだに小林秀雄の「感性」に追従している音楽評論家がいうような「音楽の危機」、たとえば文化とテクノロジーとの「戦い」のようなことをいおうとしているのではない」
2022-08-25 17:33:37「その逆に、この「戦い」が、「文化」や「感性」として内面化されたテクノロジーとの戦いであり、のみならず、テクノロジー自体の、蛇がその尾をのみこむような戦いだということを意味している。また、それは「決していい方」に向かうことを意味していない」
2022-08-25 17:36:13「たんに事実としてそうならざるをえないということなのだ。したがって、彼は〝上機嫌〟でもなければ〝不機嫌〟でもなく、〝無知〟にいなおったりもしていない。だが、文学者からどうしてこういう言葉がでてこないのだろうか」
2022-08-25 17:37:50なんだかレストラン批評家の言説が滑稽に思えてしまうほどの格の違いに驚かされましたね。大塚英志が物語論や構造主義的フレームワークを戦略的商業的に消費していた、まさにそうした行為を柄谷はテクノロジーと喝破し、そこを内破していく営みにこそ文学性を見出そうとしていたわけなんですね。
2022-08-25 17:45:43