
要素現象とドゥルーズ/ガタリ

精神病理学原論:カール・ヤスパース http://t.co/2AyCNsVg ヤスパースの診断学といえば,すぐにディルタイ由来の「了解と説明」の概念による「了解不能性」があるのが分裂病,みたいな単純な話になってしまいますが,実はヤスパースはもっと面白いことを言っています.
2011-09-22 16:29:12- 参照: カール・ヤスパース http://goo.gl/RJiqK

ヤスパースはかなり虚弱体質だったらしく,患者の主治医となって経過をしっかりと見る仕事に向いていなかったようで,鑑定業務などのように数回の面接だけで診断をしていたようなのです.それだけに,彼の診断学は,クレペリンみたいに精神病院で患者を長く観察していたような人のそれとは違います.
2011-09-22 16:31:50
ヤスパースは「患者の検査について」という章でこんな事を言ってます.患者の話のなかに了解不能な体験の存在を疑った場合,それが「(病的)過程Prozess」によるものかどうかを確定せねばならない.「病的過程」が生じていることを確認できれば,診断は「プロツェス性精神病≒分裂病」となる.
2011-09-22 16:37:46
じゃあ何が病的過程の証拠になるのか.彼は,病的過程の場合は,絶対にそのはじまりに「要素的症状(elementares Symptom)」があると言っています.
2011-09-22 16:41:29
で,その要素的(elementar)なものとはどういうものかというと,それは「幻覚(…が見える)」や妄想「(…と思う)」のようにはっきりした内容を持たず,無意味で無媒介な体験として与えられるもので,「根源的な力Urgewaltをもって精神へと侵入するもの」と言われています.
2011-09-22 16:42:22
ここでヤスパース=クロソウスキー=D&Gに通底するテーマがすでに出てきていることが分かりますね! ラカンもこのelementarな体験を分裂病診断にかなり重視しており,学位論文から『精神病』までの裏テーマになってます.
2011-09-22 16:46:06- ピエール・クロソウスキー http://goo.gl/vy2rv
「D&G」とあるのは、ドゥルーズ&ガタリ(Deleuze & Guattari)のこと。
- ジル・ドゥルーズ http://goo.gl/bNuKy
- フェリックス・ガタリ http://goo.gl/uLeNG

こういう要素的=根源的な体験は,幻覚や妄想のようには名指し得ず,「何か」としか言いようのない物で,それに先行する推論過程をもっていません.現代思想風にいうと「出来事」と言ってもいいかと思います.この体験に対する意味づけは「後から」得られて,そこから明らかな幻覚や妄想が形成される.
2011-09-22 16:49:50
精神病理学研究2:ヤスパース http://t.co/Ia90SLMF わかりにくいので具体例を.「実体的意識性」という症状がありますが,これをヤスパースは「ひとつの要素症状」と呼んでます.
2011-09-22 16:56:29
実体的意識性とは,単純にいうと,「何が来たのか分からないが,絶対に何かがいる!」という確信です.何かがいるのが見えるわけでもないし,妄想のように与えられているわけでもない.それでも,「何か」が来たということが恐るべき強度をもって突然に確信される,そういう体験です.
2011-09-22 16:58:32
『嘔吐』サルトル http://t.co/D2cmyP3U ちょうど,サルトルが冒頭で描写している体験(Quelque chose m'est arrivé…)は,実体的意識性っぽいです.この小説と『存在と無』は対人恐怖とか離人症で論じられがちですけど,私には病的過程に思えます.
2011-09-22 17:08:44
「何かが私の裡に起こった。もう疑う余地がない。それはありきたりの確信とか明白な証拠とかいった物のようにではなく、病気みたいにやってきた…そいつは私の心の中に入りこむと…動こうともしなかった。そこで私は自分に言いきかせた。…つまらぬ思い過ごしだと。しかし今それが明確な姿を現した」
2011-09-22 17:10:47
もはや推測の域に突入してしまいますが,若きサルトルはポール・ニザンとともにヤスパースの『精神病理学総論』の校正をやってるんです.現象学的還元が,かなり分裂病的体験に近づくとい通説(分裂病は生きられた現象学的還元)からの影響なのかもしれないですけども,少々真面目に考えてみても良い.
2011-09-22 17:13:49- 参照: ポール・ニザン http://goo.gl/pQOKj

脱線したので戻ります.「何が分かったかはよく分からないが,《何か》が分かったことを確信する」というのが古典的な妄想型の発病の最初期において起こります.このような経験は,患者自身にとってある種の「啓示」であって,この啓示の「強度」が確信をつくっていると考えられます.
2011-09-22 17:31:56
ストリンドベルクとファン・ゴッホ:ヤスパース http://t.co/IuzwEcMr この診断学をもとに,ヤスパースはストリンドベリを分析した.同様に,クロソウスキーはニーチェの教義形成を読んだ.つまり,ニーチェにとっては,永劫回帰の体験が妄想=教義形成の根源となっている.
2011-09-22 17:35:53- 参照: ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ http://goo.gl/C35Bl

クロソウスキーは永劫回帰の体験を論じて,「個人をつねに溢れ出すものとしての力の侵入」(p.186)であると言っていますが,これはヤスパースの「根源的な力Urgewaltの侵入」から一直線.これがさらに,AOの「幻覚や妄想より深い次元の強度こそが真に一次的である」という主題に繋がる
2011-09-22 17:38:47- 「AO」とあるのは、ドゥルーズ+ガタリの『アンチ・オイディプス L'Anti-Œdipe』(原書は1972年)のこと。
http://www.amazon.co.jp/dp/4309462804

そこから全てが引き出されるような「出来事」的体験は「それ自体としては証明不可能な明証性」(p189)をもつ.この言葉は,例えば幾何学の「公理」を連想させる.実際に体系妄想を作る精神病では,根本的体験から続発性の体験へと展開するので,単一の公理から全ての命題が演繹されるのに似てる.
2011-09-22 17:43:34
そんなわけで,クレランボーは熱情妄想病(ストーカーの病的なやつ)の基盤となる確信のことを「公準postulat」と呼んだ.この単一の出来事から残りの全てのものが演繹されて妄想=教義体系がつくられる.これをD&Gは「記号のパラノイア的体制」と呼んでいるわけです.
2011-09-22 17:44:36- ガエタン・ガシアン・ド・クレランボー http://goo.gl/z5K59
ラカンの直接の師。 cf.『熱情精神病』 http://goo.gl/qTju4

ラカンはヤスパースとクレランボーを大きな準拠枠としてます.彼は,体系的妄想は,「要素現象(phénomène élémentaire)」という無意味な謎のシニフィアンが突然到来し,それが「一つの葉脈が植物全体へと発展=再生産されるような力」を孕むためにできると考える.
2011-09-22 17:58:01
だから,D&Gが言いたいのは,ヤスパース=クロソウスキー=ラカンのように「”一”から統一的な”全体”(妄想=教義)を形成する」精神のシステムから根源的な強度=Urgewaltを解き放って,別の精神と経済のシステムを考えようよ,という話なんですね.
2011-09-22 18:02:30