中世ヨーロッパの飲み水事情

一部、先行まとめと被っています
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Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

町の東側の水源から流れてきた水は、まず城壁の中にある参事会の養魚池に供給され、その後、木製のパイプに通され、市場の中央噴水へと送られました。 ローテ通りの住民がビールを醸造したいときは、ゲッティンゲンの養魚池管理官がその分の水を融通するという決まりがありました。

2022-11-15 15:32:03
Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

さて、町の外からの導管による水の供給は、一般に戦争時には弱点にもなりうるため、従ってしばしば飲料水を個人の井戸に頼るのも必要な手でした。 井戸ではない水源について、導管による給水は他の都市でも見られ、アインベックやリューネブルクなどでも記録があります。

2022-11-15 15:32:03
Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

リューネブルクでは、余剰の水を池に貯めてから、木製のパイプで都市内に導入していますが、これは14世紀後半にはそう珍しくないシステムです。 もっとも、はるか以前からロンドンなどではもっと大きな水道があるので、大なり小なり導水管による水の供給は中世において用いられていたことでしょう。

2022-11-15 15:32:04
Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

また、例えば中世の法律書『ザクセンシュピーゲル』では、井戸は人が落ちないように、地面から膝の高さまで作らなければならないことになっていました。 もし、落ちた人が死んだら、罰則があります。 ですから、中世には私設だろうが公共だろうが、当然飲み水を確保する井戸くらいあるわけですね。

2022-11-15 15:32:04
Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

また、ヘンリー3世やエドワード1世の御代、ロンドンでは新鮮な水源から水を引いてきて、必要な水分を市民に提供していました。 公共水源の必要性は、ある程度認識されていたということです。 ところで、中世において屠殺場や革加工業やその他の工業によって、水源や川が汚染されることは広く知られて

2022-11-15 15:32:04
Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

いました。 中世の人々は単なる阿呆ではなかったので、これにいくつかの方法で対処しました。 生活用水は大抵の場合、選ばれた水源や都市内の川や小川から引いて、きれいな水を確保できるようにしました。 さらに、皮なめし業者や染色業者がどこで操業できるかについての決まりがあったのです。

2022-11-15 15:32:05
Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

しかしまあ、例えば井戸や水源の使用料を払えないロンドン市民は、廃棄物の排水の結果として汚染された郊外の小川を使用した可能性が高く、またテムズ川には都市から出る汚物がかなり流れ込んでいたことでしょう。 しかし、それは同時代の都市ではありふれた光景です。

2022-11-15 15:32:05
Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

問題は、中世のような時代における貧しき庶民に、どこまでの待遇が現実的だったかということです。 裕福な人間や余裕のある人間にとって、求めれば待遇の改善の方法はあり、そうでない人間にとっては許容範囲の選択や、程度の選択すら存在しなかった。 これについては、それだけのことです。

2022-11-15 15:32:05
Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

まあ、酒類がある程度安全な飲み物として、市民や農民に水分を提供したことはそうかもしれません。 しかし、それが全てではないということです。

2022-11-15 15:32:06
Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

補足として。 twitter.com/boots_fleck1/s…

2022-11-15 15:32:28
Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

もっぱら西洋人が生存に全く水を必要としなかった(飲み水が汚いから、それを得る努力などせずに常にワインなどアルコールを飲む選択肢をとった)とは、到底信じられないことですが、特に大都市において公共の水道や水源の確保は努力されていました。 関連する論文をほんの少し紹介しましょう。 twitter.com/_596_/status/1…

2022-11-15 15:32:00
Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

@toshi52074 海賊とか航海に関しては仰る通りで、寄港地で必ず水の補給を要したこと、ナポ時代の艦隊も水の補給(乗組員の士気維持のために、必ず酒も補給したが)には至極気を遣ったことがあり、酒が完全に水を代替するようなことはなかったと思います。

2022-11-15 17:09:08
The Drake @toshi52074

@boots_fleck1 これ中世だけでなく海賊関連でも毎回出てくるデマですけど、脱水症状を利尿作用のあるアルコールで補えるわけ無いだろうって毎度突っ込みたくなります

2022-11-15 15:59:28
Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

補足として。 twitter.com/boots_fleck1/s…

2022-11-15 17:24:07
Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

中世人が水を飲まなかったなどということは、あり得ません。 特に、労働の厳しい田野で働く人々は、水やその他の飲み物を大量に摂取していたと思います。 しかし、中世の人々のアルコール消費量が現代と比較して多かったという説は確かに存在し、そしてそれは真実味のある話であるとは思います。 twitter.com/_596_/status/1…

2022-11-15 14:02:15
Rn残りライフ97(ワクチン×2) @Rn74725945

でも確かプラハのガラス職人さんが仕事中にビールを飲んでる話は有名だったはず…。 twitter.com/boots_fleck1/s…

2022-11-15 18:26:08
Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

@Rn74725945 それと水を飲まなかったし、得る努力もしていなかったというのは別の話ということです。 仕事中に酒を飲む人がいた、それはいいです。 中世では、おそらくそれは(日本でも)特に珍しいことではありませんでした。

2022-11-15 20:23:48
Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

訂正 × 12世紀に発見された古い井戸もあります。 ○ 発見された中には、12世紀の古い井戸もあります。 twitter.com/boots_fleck1/s…

2022-11-15 22:13:40
Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

話は変わりますが、例えば中世の都市Göttingenでは、たいていの市民は家の裏庭に井戸を作っていました。 考古学的な調査によって、さまざまなタイプの井戸が見つかっており、12世紀に発見された古い井戸もあります。 一つの例として、ローテ通り3424番地の例は、直径は80cmですが、

2022-11-15 15:32:02

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