徒歩と思索は良い関係、あるいは自分で考えることの大切さについて
- muggy_weather
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歩いていると、ふと妙案が浮かぶことがある。京都には哲学の小径という道があるらしく、ある哲学者がよくその道を歩きながら思索にふけったという。歩くことと思考することは関連するようだ。
2011-10-06 19:01:50どこかの誰かは、「私の脳は足にある」と言っていたらしい。その人も散歩中に妙案を思いついたのだろうか。はたまた、妙案を思いつくために、散歩をしていたのかもしれない。
2011-10-06 19:05:50@muggy_weather @iamkappamaki \呼んだ?/ 歩くのが思考するのに向いているのは修道院に造られた回廊にも見られます。修道士や修道女は誰と話すこともなく、時間があれば回廊を歩き、ただ神のことを考え、また神と対話しているのです。って去年発表でやりました。
2011-10-06 22:55:19古くは三上、すなわち枕上・廁上・馬上でよい詩が作れると言っていた人もいた。頭は自由に、さりとて何が出来る状況でもない。そんな状況が思索には向いているのかもしれない。
2011-10-06 19:09:35三上と同様に、徒歩も思索に向いている。意識を使って歩く人は少ないだろうが、歩きながら何かする人も少ないだろう。まさしく頭は自由で、身体が不自由な状態である。思考をするしかない。歩きながら本を読んでいた二宮金治郎は、思索の時間を削っていたことになる。
2011-10-06 19:16:23時間を惜しんで勉強する二宮金治郎の姿は立派かもしれないが、インプットばかりではよろしくない(金治郎がアウトプットしなかったという話ではないが)。やはり、日々どこかで思索にふける時間はとるべきだろう。通勤通学中、入浴中等々。
2011-10-06 19:21:19そう言えば、仕事が出来る人ほど筋トレしてる、みたいな本がかつてあったような気がする。もしかすると、筋トレの最中に思考をめぐらす時間が確保できて、その結果仕事が上手くいっているのではなかろうか?
2011-10-06 19:24:05いずれにせよ知識を活用するにはアウトプットが必要なのであって、十分学んだのちは書を捨てて歩こうってのがいいのかもしれないですね。ある程度の知識を持って、自分自身の内側を探る。これこそが哲学ってやつなのかもしれないな。
2011-10-06 19:29:51