南部氏を調べてどこ引っかかった? な話

タイトル通りです
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帆船ハッカ @kotosakikotoko

南部氏やって最初どこで引っかかったかなぁと思い返してたけど、あれだ、『八戸南部氏』が2つあることだった。

2021-04-30 23:20:28
帆船ハッカ @kotosakikotoko

根城南部氏(八戸の苗字を名乗る)→遠野南部氏 根城南部氏から分かれて七戸南部氏(≠七戸藩主家) 三戸南部氏→盛岡南部氏 盛岡南部氏から分かれて八戸南部氏(八戸藩主家) 盛岡南部氏から分かれて麹町南部氏(七戸藩主家) これ南部氏やり始めた時ごっちゃになったよなぁ、という思い出。

2021-04-30 23:30:18
帆船ハッカ @kotosakikotoko

あと南部氏つうても、一戸・三戸・四戸・七戸・八戸・九戸がそれぞれ存在するし、元々は南部氏ではなかったんじゃね? という指摘があるし、地名の土地以外を支配している場合も多いし(九戸の本拠地は二戸とかな)こう書いていくとややこしいな南部氏(いまさら)

2021-04-30 23:33:38
帆船ハッカ @kotosakikotoko

・中世の三戸・八戸以外の大家(一戸・四戸・七戸・九戸・久慈)は戦国時代に一度滅ぶ(分家はいるけど宗家は滅ぶ) ・八戸藩主家の南部氏と七戸藩主家の南部氏が生まれるのは江戸になってから。中世のそれと名前が似てても違う存在――と覚えておくのが一番楽かなぁ。

2021-04-30 23:50:19
帆船ハッカ @kotosakikotoko

ここから三戸南部氏や八戸南部氏のさらに分家がどうだとかの話になるとまあややこしいことになりがちなのでそれはおいおいでうっちゃる。

2021-04-30 23:52:51
帆船ハッカ @kotosakikotoko

津軽氏を説明しようとすれば、その出身である久慈氏は根城南部・八戸氏の分家の七戸氏のさらに分家でさらに三戸南部氏の子息を受け入れて三戸南部氏にとっても重要な役割を担い、秋田の仙北地方を支配していたその一族が紆余曲折を経て津軽に来た――なんてややこしいとしか言えんやん。

2021-04-30 23:57:37
帆船ハッカ @kotosakikotoko

南部氏、戦国期は基本的に三戸を宗家としながら一戸・四戸(櫛引)・八戸・七戸・九戸・久慈などの『戸の家』、さらに津軽には三戸分流の大光寺氏、久慈分流の大浦氏・一戸分流の千徳氏がいて、さらに各家の重臣一族領やら中小領主が錯綜していてもうワヤ。そしてこの膨大な共同体こそが南部氏。

2021-02-18 00:22:54