【東方神霊廟】蘇我屠自古についての雑考・考察ログまとめ
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一方、『記伝(八)』では「度売(トメ)は老女を云称と見えて、書紀に姥と書り、(此字字書に老母也と有)例は記中に、春日建国勝戸売・沙本大闇見戸売・志理都紀斗売などあり、又戸辺とも通し云こと、書紀の石凝戸辺にて知べし」とあるという。
他にも幾つか書名を挙げ、これらの例から宮地直一氏は(江戸時代等の研究家は)「トメ」を以て老母、あるいは女性の意味であると解したこと、を示した。
同氏はこれに対して異議を唱えたものとして、『古史伝(九)』を挙げ、この場合ではトメは利所見(トミエ)であり、「御鏡の光の、利く所見たる由ならむか、然もあらば、度は清て称ふべし、…(後略)」と言っていて性別とは関係ない、とする論の例も示している。
これをさらに進めたものとしては、目じりに隈を入れて目を鋭くしたものだ、とするものもあったようだ。
そうこう論考を進めるうち、同氏は『三代実録』貞観九年三月十一日の項に「八坂刀"自"命神」と記されている例を見付け、示した。これも後の時代の人の間違いと一蹴すべきではないと同氏は取り上げている。
これは普通は「刀目」と書くつもりだったのが「刀自」となったもので、元々はトメであった、という説が多いらしいけど、そうではなく、最初から「自」と書かれていたのでは、と同氏は主張している。
ただ、帰着するところは一緒のようだ。当時は「トジ」も「トメ」と同じく女性を表す言葉として互いに区別されることなく使われていたがために、「刀自」と書いたのだろう、としている。
…うーん。あまり屠自古についての参考にならなかった気がする(汗)。
刀自待火(トジマチャービー)という怪火の一種が沖縄に伝わるといい、「刀自とは妻のこと。」(『妖怪事典』より)とあるわけだが…。そう考えると、刀自古郎女も「聖徳太子の妃」ということを表す名前だったのかもしれないな、と思うなど。時代や場所の隔たりや関連性はちゃんと考証しないとだけど。
2011-10-26 13:54:18※「トジ」の部分についての雑考 『日本書紀』の本文や補注から
とりあえず、屠自古関係のネタを。 神武天皇紀即位前戌午年六月の条に名草戸辺という者を殺したという記述があり、その補注として戸辺・戸女は戸口にいる女の意味であろう、と記してある。さらにこれは、トジが戸主の約転であるのと似た意味の語である、と。
あと、天智天皇九年五月にある童謡(わざうた)が引用されているので紹介。「討橋の 集楽(つめ)の遊に 出でませ子 玉手の家の 八重子の刀自 出でませの杭はあらじぞ 出でませ子 玉手の家の 八重子の刀自」
この歌自体は歌垣に助勢を誘う歌であったのだろう、と補注で記されている。この童謡が見える一月前、つまり天智天皇九年四月は聖徳太子が建立したというあの法隆寺が火災にあったという記事が見える。
補注では、漢書や後漢書では災害や凶兆があるとそれに併せて童謡が行われた記事が見える。さらに、後漢書では宮殿の火災は女性の怨念が関係しているという記事も載せていることから、このときも法隆寺の火災に併せて女性を誘う歌を取り上げて対応させたのだろう、と推察している。
意図はないのだろうけど、法隆寺の火災に対応する歌に女性を表す(あるいは音あわせ?)で「刀自」という音が見えることが気に掛かったので紹介。
※「トジ」の部分についての雑考 その他
中臣鎌足の娘に「耳面刀自」なる人物がいるという。日本書紀などには全く名前が見えないが…。
※"豊"の文字から
Wikipedia, 武内宿禰の項より>武内宿禰は応神天皇の母、神功皇后の忠臣として活躍し神功皇后はトヨの海の神と強く結ばれ「豊浦宮」(とゆらのみや)に拠点を構え、それは「トヨの港の宮」とも呼ばれ、そこから神功皇后はトヨの女王と呼ばれた。
この辺りの話が豊浦寺(=桜井寺=向原寺、蘇我稲目が建立した日本最初の寺)の名前にも繋がっているのかなぁ。
そうか、武内宿禰(記だと蘇我氏の祖とされる)と塩土老翁と浦島太郎の重なりを推めるならば、浦島太郎の煙になったという話から屠自古も尸解仙に一応は繋がるのか…。
※元興寺や蘇我氏と仏教の関係について
現在奈良市にある「元興寺」は平城京遷都に伴って移されたもので、元々は明日香村の「飛鳥寺」が「元興寺」だった。というよりは元々の名前が「法興寺」で、それが平城京遷都に伴って寺を移す、というときに移した先の寺の名前が「元興寺」、元々あった場所の寺の名前が「飛鳥寺」になった、でFA?
2011-12-12 15:46:33で、あれだ…桜井寺こと豊浦寺(向原寺)は蘇我稲目が欽明天皇13年のときに建立を発願した私寺だったんだよな。こっちの方が元興寺より前、かつ仏像が最初に日本に渡ってきたとき、とされる。反発したのは物部尾輿。元興寺に反発したのは子の物部守屋。
2011-12-12 15:50:49