「象徴界」言語/肉体的・生理的

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@satoru79

最近、遅れてきたポストモダニストが多い事を感じる。思うに、70年代末にリオタールが「ポストモダン」という言葉を使ったときは、特定の文化やモードを示すものでは断じてなく、寧ろのこと複数のモードが並列、共存し、それが支配性を帯びずに進捗する文化的状況への警鐘だった。

2010-05-09 08:26:13
@satoru79

社会のポストモダン化が「大きい物語の解体」とリオタールの指すように、示唆するならば、現代は「退化」しているのかもしれない。Googleやwikiで遍在知が入るように見えて、皆が共有している蛸壺の情報の地下水脈を探れば、底の浅い、「大きい物語」に繋がる事が多いからだ。裏も踏まえて。

2010-05-09 08:27:19
@satoru79

僕も含まれる、75年以降生まれのポスト団塊ジュニアの世代の20代後半~30代前半辺りの世代はナード化を保った人だけがサヴァイヴを「許されている」感じもある。ナード化、それは、或る種のオタク的消費活動、生産活動を意味するが、存外に「共通言語内での開けたネットワーク」を示す。

2010-05-09 08:29:35
@satoru79

30代以上の方の書棚に『構造と力』は大概一冊ある。比して、例えば『存在論的、郵便的』が20代の方々の書棚にある確率は断然低い。それは時代の変容も意味しているが、後者が視角の妙にデリダを援用したのに対し、前者は混迷する世の中の見渡しを良くし、逃げ切る技法の伝授したという差異に依拠。

2010-05-09 08:33:18
@satoru79

僕の実体験から前者(浅田氏)の有効性はその読時には感得出来ず、後者(デリダ)の在り方に魅力を感じた。コンスタティヴ、パフォーマティヴという側面から。修辞と言い回しの妙がコンスタティヴ、その記号の奥へ潜っての含みがパフォーマティヴ。

2010-05-09 08:36:23
@satoru79

この二つが行き来しながらも、ラカン言うところの「象徴界」が衰弱しているのは今なのかもしれない。ラカンは「象徴界に名簿登録する事でまず(去勢)、主体的になる」と考える。その「象徴界」が崩れてきた結果、僕らは本当に語り合える言葉があるのかどうか、となるのは自明か、と。

2010-05-09 08:38:28
@satoru79

そうですよね、要は、パースペクティヴと時間論の問題なんですよ。RT @taisouegao 。「知識の底の浅さの重積」と「例えば深いとされる知識」との多面的なリレイションのほうに視点が移動し、むしろその時間的な推移の方に「知識」という言葉自体の意味のほうが変質しているように

2010-05-09 08:52:10
a part of the dust @PONKICHI02

私は「象徴界」と「生理的・肉体的」との接近性とのバランスの問題を考えたいと思うのですが・・・@satoru79「象徴界」が崩れてきた結果、僕らは本当に語り合える言葉があるのかどうか、となるのは自明か、と。

2010-05-09 09:21:37
@satoru79

ちょっと詳しく理論的に敷衍して頂けないでしょうか?個人的に少しピンとこなくて。RT @PONKICHI02 私は「象徴界」と「生理的・肉体的」との接近性とのバランスの問題を考えたいと思うのですが

2010-05-09 10:22:18
a part of the dust @PONKICHI02

. @satoru79 すいませんわざとぼかしましたw 「象徴界」が現実に関与しすぎた、というか関与されたがった結果、現実の存在感が薄れ、「生理的・肉体的」欲求が満たされることと「精神的」欲求が満たされることのバランスが取れていないんではないか でも実際私たちは「生きて」いる

2010-05-09 10:32:48
@satoru79

例えば、「想像界のイメージ」を「象徴界の言語」に置換する事で、自己の意志や感情を他者に伝達して「他者の承認・共感」を求めるようになってきます。need→desireの転換点で、言語活動は促進され、そして、他者とは異なる“自我”には自律性と自己責任が求められるようになってきます。

2010-05-09 10:40:29
a part of the dust @PONKICHI02

.@satoru79 「生理的・肉体的欲求」について、これまで清貧であれと説いてきたのは宗教とか道徳の役割でしたが、満足することで自らの精神的探求が薄れると恐れれば不満足のままの生活を選びますよね それは哲学者かな でも、その影響力も薄れると、「生・肉欲求」はどこへいくのか

2010-05-09 10:40:36
@satoru79

となると、象徴界における「言語」は不完全な媒介手段ではありますが、「私(自我)内的世界(想像界)」を他者に対して写像するための手段論として捉えられ、他者に自己の存在や内面を表象するためには象徴界(言語の世界)に参入する切実さ、という文脈はどう思いますか?@PONKICHI02

2010-05-09 10:42:38
a part of the dust @PONKICHI02

.@satoru79 「象徴界」で満たされたもの/満たされなかったものの関係性が、「象徴界」が広く・薄くなることでますます混迷する あるいは逃走する場がどこにあるのかさえ そこがどうなるのかということなんですが、私は人間回帰というか、本来人は何であるか論への回帰になるのでは と

2010-05-09 10:50:27
@satoru79

なるほど。僕と違って(苦笑)、とても優しい感覚ですね。RT @PONKICHI02 「象徴界」で満たされたもの/満たされなかったものの関係性が、「象徴界」が広く・薄くなることでますます混迷する あるいは逃走する場がどこにあるのかさえ。そこがどうなるのかということなんですが

2010-05-09 10:52:51
a part of the dust @PONKICHI02

.@satoru79  実際「幸福論」的な考察がされてきている兆しも見えますしw

2010-05-09 10:53:30
@satoru79

僕は「言語として構造化された無意識」に自覚的になるということは「言語の裏に隠された真意」を探求したくなるが故に、人間が他者の内面を知る手段は「言語とイメージ」以外には存在しないからこそ、言語・イメージを「同一化」させる認知論を脱化するメタ意識を持ってます。@PONKICHI02

2010-05-09 11:04:54
a part of the dust @PONKICHI02

.satoru79 なるほど、そこが私と決定的に違うのか 言語を介さない共通認識について 例えば、不安を解消するためには言葉を重ねれば大丈夫ですか 手を重ねると言葉を重ねるの両方が行う作用については、どうお考えでしょう

2010-05-09 11:08:38
@satoru79

それは、バルト的に撞着は無いと思いますよ。彼は、テクストって「身体性」を付与しようとしましたよね。バタイユでもいいですが。RT @PONKICHI02 例えば、不安を解消するためには言葉を重ねれば大丈夫ですか 手を重ねると言葉を重ねるの両方が行う作用については、どうお考えでしょう

2010-05-09 11:13:04
a part of the dust @PONKICHI02

.@satoru79 そうですね そこが難しいところだと思うのです 思考と生理の同化と分離 でも、生きるための思考について、私は人にやさしくありたいと思っています 私も母のところへ!

2010-05-09 11:23:30