独我論と言語と自意識と存在への予感(ネコ)

※togetterの調子悪いので一部関連tweet反映されず。後でまた追加する(16.52→17:07)   「独我論というタームをつかった時点で論理学、あるいは分析哲学的思考様式をとるべき」というなら端的にそういえばいいと思うんだけど……まぁとりあえず、「日常言語を介した論理演算で<存在>や<他者>を論証するという可能性を保留すべき」という態度と、「日常言語をを介してそれはムリなのならば、とりあえず現時点での生活の満足を得るために他者への予感を信じることにする」という態度の間を探る、みたいな話。   「自他の境界がないとき、他も自もないのだから自己犠牲的利他行動をとってしまうのではないか?(そこからすると自己保全的利他意識というのは偽善であり欺瞞では?)」 続きを読む
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m_um_u @m_um_u

そんなの当然じゃないですか。。 QT @finalvent: @m_um_u 知っているよ、死ぬ、その死を自分で引き受けるということ。

2011-10-12 13:29:37
finalvent @finalvent

@m_um_u: 一言居士しちゃったのならそうと最初から言えばよろしい @finalvent”とかで安定する、スキーム。

2011-10-12 13:29:49
finalvent @finalvent

ではないよ。“@m_um_u: いっておきますけどわたしの意識はそんな偽装されてませんよ QT @finalvent: デカルト自身は考えていたんだが、デカルト的理性が独我論を超えると、世界と意識がフラットに一元化される。あたかも世界が実在であったかのような前提が偽装される。”

2011-10-12 13:30:34
finalvent @finalvent

当然じゃないというのが独我論。“@m_um_u: そんなの当然じゃないですか。。 QT @finalvent: @m_um_u 知っているよ、死ぬ、その死を自分で引き受けるということ。”

2011-10-12 13:31:06
m_um_u @m_um_u

はぁ、そうですか。ではあなたのいう独我論とやらとそこから連なる理やスキームをこちらに当然としてぶつけてこないでいただきたい QT @finalvent: 当然じゃないというのが独我論。“@m_um_u: そんなの当然じゃないですか。。 QT @finalvent:

2011-10-12 13:31:55
finalvent @finalvent

結果的にね。“@m_um_u: はぁ、そうですか。ではあなたのいう独我論とやらとそこから連なる理やスキームをこちらに当然としてぶつけてこないでいただきたい QT @finalvent: 当然じゃないというのが独我論。“@m_um_u: そんなの当然じゃないですか。。 QT

2011-10-12 13:33:58
finalvent @finalvent

デカルトもカントも、知覚と理性の議論の背景に、「夢」の不可解さを持っている。

2011-10-12 13:36:07
finalvent @finalvent

この世界の知覚も記憶も他者もそして夢も、みな、語りという仕組みをもっている。大森荘蔵は、ではそれを存在としようとした。

2011-10-12 13:38:43
finalvent @finalvent

意識・知覚・記憶は、「語り」のなかで存在する。

2011-10-12 13:43:10
finalvent @finalvent

覚醒意識が夢と違うなら。“@womadinai: 夢は時として自然則を無視するから、人はその根っ子の部分において自然と反した衝動を持つ、なんて言えないでしょうか? QT @finalvent デカルトもカントも、知覚と理性の議論の背景に、「夢」の不可解さを持っている。”

2011-10-12 13:43:54
東郷正永 @TOGO_Masanaga

70キロの体重の人までしか座れない椅子は、80キロの人には「座れない」ことをアフォードする。ここまでいうと主体が環境を決定しているように見えるが、アフォーダンスはあくまで公共的なものなので、50キロの人に30キロの重りを持って座ってもらえれば、同じアフォードを経験することが可能。

2011-10-12 13:46:38
m_um_u @m_um_u

4月にもちょっといったけど、言語と論理のみで問い詰めて言ったらどうやっても「わたしが夢のなかに居るのと現実の中にいるのの違いはわからない」「他者の実在はわからない」「わたしが死んだら世界は閉じる」=「セカイとはわたしの認識を中心としているのではないか?」から脱せない

2011-10-12 13:47:53
東郷正永 @TOGO_Masanaga

だけど、主体が環境と相互作用することで環境のアフォードが決定されることに代わりはない。このあたりが、ギブスンのいう「公共性」と「主観」の一致、みたいな話か。自然は人間相手に本来的には何もアフォードしてない訳で。

2011-10-12 13:49:10
m_um_u @m_um_u

だから、我や他者、世界の根拠をどこに置くのか?ということだけど、オレはそれをあの時点で他者との信頼関係から催される満足(「信」)としたわけ。たとえ他人から見てそれが誤謬であっても、そんなのデカルトがコギト・エルゴ・スムしてんのと同じレベルだよ

2011-10-12 13:49:44
m_um_u @m_um_u

そういう背景も理解できねーくせに適当なこと言うな。。

2011-10-12 13:50:05
m_um_u @m_um_u

だから、当然のように他者の実在や世界の予感というのは幻想というのは分かってるの。その上で、幻想でもいいのでそれをどのように満足に変えていくか?って話であってね。。

2011-10-12 13:51:55
m_um_u @m_um_u

だから、そういった「幻想でもいいから」って妥協のこと言ってんのね最初の話は。。まぁ別にいいんですけど余人には理解されなくても

2011-10-12 13:54:26
m_um_u @m_um_u

なので、挑発的にフックかけてきたのは別にいいんすけど、独我論に連なる意識やらなんやらのスキーム?がオレの知ってる(あるいは予感してる)範囲以上に展開されてないとどうもなぁとは思いますよ

2011-10-12 14:00:45
m_um_u @m_um_u

あとfinalvent教うざい

2011-10-12 14:11:13
finalvent @finalvent

としてもいいんだけど。“@oiroppa: 記号+主体では RT @finalvent: 意識・知覚・記憶は、「語り」のなかで存在する。”

2011-10-12 15:14:39
finalvent @finalvent

記号=言語を語る=言語ゲーム=「私」 でも、独我は「私」ではない。“@oiroppa: 記号+主体では RT @finalvent: 意識・知覚・記憶は、「語り」のなかで存在する。”

2011-10-12 15:20:03
finalvent @finalvent

間主観なるものは、独我を超えるものではないく、言語像=言語ゲームとして、「私」がプレイするもの。「私」はそしてぼつねんと宇宙に残される。

2011-10-12 15:23:26
finalvent @finalvent

「私」というゲームを辞めることを、「死」としないことは、ある独我論的な帰結。自殺とは、間違い。

2011-10-12 15:27:51
finalvent @finalvent

他者や世界を「信」の構造とするには逆に「××教」といったまさに超越的に独我をとらえるメタなスキームを導入することになるが、それ自体が欺瞞。このスキームは「信」からは抜け出せない。他者や世界は、ゲームの強度として存在し、強度は意識の状態に比例する。

2011-10-12 15:38:06
finalvent @finalvent

自殺者の言葉はすべてどこかしらその人が「私」の意思として凌駕しなければならなかった演義として響く。ゲームの強度のなかに「私」が埋没することのまさに倒錯の形態となる。

2011-10-12 15:40:13