独我論と言語と自意識と存在への予感(ネコ)
これ自体はおもろいんだけどなぁ >他者や世界は言語ゲームの強度として存在し、強度は意識の状態に比例する< でもこれもどこまでいっても類推なので。だからその部分は保留して他者や世界のことはとりあず蓋然的に「信」じてるだけなんだけどね。
2011-10-12 16:49:23「われ思う、ゆえにわれあり」は自意識のテーゼであり、思春期の心理的な次元における独我論の萌芽と読み替えられるような気がしてならない。(もとの文脈の考察ではまったくないが)
2011-10-12 16:49:50遠藤周作さんのエッセイで、女は社会のルールなんかどうだっていいと思ってる、みたいな言葉を読んでそんなことねーよとか思ったけど最近うーんそうかもとか。現実的であるがゆえに社会の虚構がどうでもいい。そんなことより空が青くてきれいだなでいいじゃんとゆー。
2011-10-12 17:15:29なすのが「女性の社会進出ってどうなのかなぁ?(女は感性の生き物なんじゃ)」っていうのはけっこうな背景があることではあるのだろうけどなんか意外だの。そんで同じTLに「理性偏重(≦独我論)突破するのは感性」「身体」とかでてるけど、それは織り込み済み
2011-10-12 17:15:48理性の反対が感性というより、うーんなんというか「理性が全てではない」という感覚。花の美しさがどーのこーのじゃなくて、「可愛いね、きれいだね」でいいじゃん!みたいな。勿論理性も大切なんだけど。矛盾を抱えた両立がいいなと思う。
2011-10-12 17:29:19ちなみにデカルトのコギト・エルゴ・スムって「本質はわからないけどとりあえず自分が考えてることはほんとだ」ってことだろけど、それ自体が幻想(夢)ではない確証はないんだよ。だからそれも信の構造と同じ。信じる対象が違うだけであってね
2011-10-12 17:31:10ラッセルの理性的な人なら誰もが疑いえない確実な知識があるか?という問題提起からの結論は人間は本能的信念を信じるしかないというものは結構好きだよ。
2011-10-12 17:43:34理性的な人間ですら、本能的信念を信じる他、知識と呼べるものはないのらしい。aならばb。bならばc。よってaならばcという知識もそれは本能的信念によっている。
2011-10-12 17:48:40自由恋愛的なものがなかったころに遊女屋で提供された自由恋愛の幻想と一般的な男女関係 の感覚って私と公未分化だったときのアレにも近いんかなぁ
2011-10-12 18:26:00男女関係に「子作りと家の維持」という機能性以外に「相手を恋しく思う気持ち」みたいなのが加わったのは幻想だと思うんだけど、それが幻想だと社会的にまだ認知されてた頃は1:1の縛りがないのよねたぶん。それで遊女はそのときどきのイロに本気になれると思うんだけど
2011-10-12 18:28:48そこで1:1の縛り(規範)がないので恋慕を複数の相手に分散してもそれはそれで是しみたいなのがあったかと思うに。それとは別にやっぱ人としてある程度特定の相手にバインドされた恋慕みたいなのは最初から在るのかなぁ、とか思ったりする。嫉妬とかも。
2011-10-12 18:31:18自意識過剰な人は「私」のみをどうにかすることで「私」にまつわる様々な問題を解決できると信じているように思える。でも、本当はそんなことはない。「私」を何とかしたかったら、一旦「私」を置いておいて他の要素に働きかけることも必要なんだよ。
2011-10-12 18:36:53そこからなんとなく外延すると、私感覚と自由恋愛的な恋慕の情(惚れた腫れた)の統制って関係するんかなぁとかボケーッと思ったりする。まぁ私とか自我とかいうとおーざっぱすぎるから、特に好意に対する自意識の統制かなとかなんとか
2011-10-12 18:42:23そんでそんな自意識過剰を治す手っ取り早い荒療治方法は、猫とか飼うといいと思う。赤ん坊を育てるとか。とにかく、自分のテリトリー、自分の肉体が自分の意志のままにならないということを肌身で受け入れられるようになったらいいんじゃないかな。
2011-10-12 18:42:38某業界の女性に猫飼ってる人が多いってのはそういう…(違います QT liliput: そんでそんな自意識過剰を治す手っ取り早い荒療治方法は、猫とか飼うといいと思う。赤ん坊を育てるとか。とにかく、自分のテリトリー、自分の肉体が自分の意志のままにならないということを肌身で受け入れられ
2011-10-12 18:44:40「デカルトは胡蝶の夢を見るか」だな、これは。 @m_um_u 「独我論と言語と自意識と存在への予感 (仮)」をトゥギャりました。 http://t.co/oI0NZLKs
2011-10-13 11:57:36(ちょっと修正しようしたが叶わず)とりえあず答えは「ネコ」でした QT @TOGO_Masanaga: 「デカルトは胡蝶の夢を見るか」だな、これは。 m_um_u 「独我論と言語と自意識と存在への予感 (仮)」をトゥギャりました。 http://t.co/r7Ckitrg
2011-10-13 13:20:22一連のアレには「自他の境界がないとき、他も自もないのだから自己犠牲的利他行動をとってしまうのではないか?(そこからすると自己保全的利他意識というのは偽善であり欺瞞では?)」という命題が自分的な背景としてはあるけど、他人にはわからんわなこの辺
2011-10-13 13:27:51そして、いまの自分の選んだ道は「偽善でも欺瞞でもいいので自/他の人としての生活の効用が高まるのならその幻想を生きる」ということだよ。それは哲学的態度ではないだろうけど、「哲学なんか役に立たない」「てめえの死の問題を引き受けられたら終了」ってことならそれでいいだろ
2011-10-13 13:31:40@m_um_u ちょっと思い出したのはシュティルナー「唯一者とその所有」かな。独我論を想像により「誰にでも当てはまる」と拡張することにより、社会が形成可能、みたいな。ちゃんとは読んでないけどw http://t.co/rmJEHieh
2011-10-13 13:50:04@TOGO_Masanaga ああ、これはわりと最近思ってたテーマとかぶりますの。生物学における利他行動の定義 http://t.co/fONWdrcN はそのまま経済学における利己的人間を基本とした合理的行動選択(≠功利主義)に被るように思うんだけど
2011-10-13 13:54:45