独我論と言語と自意識と存在への予感(ネコ)

※togetterの調子悪いので一部関連tweet反映されず。後でまた追加する(16.52→17:07)   「独我論というタームをつかった時点で論理学、あるいは分析哲学的思考様式をとるべき」というなら端的にそういえばいいと思うんだけど……まぁとりあえず、「日常言語を介した論理演算で<存在>や<他者>を論証するという可能性を保留すべき」という態度と、「日常言語をを介してそれはムリなのならば、とりあえず現時点での生活の満足を得るために他者への予感を信じることにする」という態度の間を探る、みたいな話。   「自他の境界がないとき、他も自もないのだから自己犠牲的利他行動をとってしまうのではないか?(そこからすると自己保全的利他意識というのは偽善であり欺瞞では?)」 続きを読む
2
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

最近、自身の死が避け得ないし、それはいつ来てもおかしくないという前提で生きるように色々な感覚が変化してしまっている。自分の死は、自分自身だけのもので、世界や他人とは全く関係ないのだとふと亀裂のように感じて見える景色は普段とは違う。ヒリヒリした孤独と、解放感がある。

2011-10-12 11:04:14
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

「自身の死」をリアルに感じたときの、それ以外のことが全てどうでもよくなる感じは気持ちよくもあり、そのことは文学なり芸術なりがこの世に必要であることの本質に関わっていることではあるとは思うものの、この自己の「死」への対峙が逆説的に世界に巻き込まれ、あるいは巻き込む恐れがあるよねぇ

2011-10-12 11:11:55
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

放射能は、事故死や即死とは違う形での「自己の死」を基準にした思考や世界認識に人を誘うところがある気がする。「自己の死」は原因がなにであれいつか来るから、どうせ受け入れなきゃならん、と自分に対しては覚悟を決めれるけど、「他者の死」への連帯や共感はそれでどう変わるだろうか。

2011-10-12 11:16:03
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

これは幼稚なことを言うんだけど、幼稚であるがゆえに強い真実だと思うんだけど、「自分はいつか死ぬ」「自分は死んでも世界は続く」ということのリアリティは強い。自分が死ぬときに世界なんかどうなってもいいのに、人は他人や世界と連帯し、共同し、遺すことが出来るのは、何故なんだろう

2011-10-12 11:24:53
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

いきなり「社会」とか「連帯」とか言うよりも、この「個の死」や非モテでもコンプレックスでもなんでも「自意識」の問題に絡めとられて内部に内部に向かうような「個」を含みつつそれらが「社会」や「連帯」を形成していることの不思議を知りたい。まぁ、生活とか慣習、と言えば、そうかもなんだけど

2011-10-12 11:27:42
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

歳をとると、いつの間にか、こういう「中2」的な設問を意識に上らせていることはなくなっているんだけど、それはいつ、どうして消えたのか、よくわからない。忙しさにかまけたり生活していたり遊んでいるうちにいつの間にか「なかった」ことにしていただけで、解決はついていなかったのかもしれない

2011-10-12 11:29:19
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

そう考えると、この世の大体の人は、自分がいつか死ぬとわかっていて、その時間が有限であるにも関わらず、何かにその時間と絶対に取り戻せない生を費やしているわけで、本当に偉いと思う。命を賭けるだけの使命感をその仕事(など)に見い出しているのか、せざるを得ないだけなのかどちらにしても

2011-10-12 11:41:12
m_um_u @m_um_u

独我論的には死んだら世界は終わるリアリティなんだけど QT naoya_fujita: これは幼稚なことを言うんだけど、幼稚であるがゆえに強い真実だと思うんだけど、「自分はいつか死ぬ」「自分は死んでも世界は続く」ということのリアリティは強い。自分が死ぬときに世界なんかどうなっても

2011-10-12 11:52:27
m_um_u @m_um_u

ただ、そのアポリアを実感としてもっていたときはほんとに死にそうだったので、いまは他者の存在や「世界は続く」、「信頼」というものが在ることの回路を探ろうとしてる

2011-10-12 11:53:35
m_um_u @m_um_u

だから、突き詰めれば人間も動物も全部エゴで生きてるんですよ、なんてのはガキの戯言な感じ。それを出発点としつつ社会や世界との妥協点を見出そうとしてるから

2011-10-12 11:54:35
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@m_mamoru @Rin_Subaru 身体が存在するということと、それが必然的に齎す生の喜びと、身体を維持するために必要な社会生活の中で芽生える共同体感覚(「体」が何故か入っている)の狡知さというのは、よくも悪くも不思議なものです。

2011-10-12 12:36:32
finalvent @finalvent

妥協点のほうがガキの戯言。“@m_um_u: だから、突き詰めれば人間も動物も全部エゴで生きてるんですよ、なんてのはガキの戯言な感じ。それを出発点としつつ社会や世界との妥協点を見出そうとしてるから”

2011-10-12 13:04:38
m_um_u @m_um_u

ほぅ・・・そのこころは? QT @finalvent: 妥協点のほうがガキの戯言。“@m_um_u: だから、突き詰めれば人間も動物も全部エゴで生きてるんですよ、なんてのはガキの戯言な感じ。それを出発点としつつ社会や世界との妥協点を見出そうとしてるから”

2011-10-12 13:11:38
finalvent @finalvent

世界を子供の知覚のように先験的にするから。“@m_um_u: ほぅ・・・そのこころは? QT @finalvent: 妥協点のほうがガキの戯言。“@m_um_u: だから、突き詰めれば人間も動物も全部エゴで生きてるんですよ、なんてのはガキの戯言な感じ。それを出発点としつつ社会や世

2011-10-12 13:14:11
m_um_u @m_um_u

?独我的に自分の中でのセカイ認識に落ち着いた後ですから、子供の知覚のように先験的にする、ということはないと思いますが? QT @finalvent: 世界を子供の知覚のように先験的にするから。“@m_um_u: ほぅ・・・そのこころは? QT @finalvent: 妥協点のほう

2011-10-12 13:16:34
finalvent @finalvent

@m_um_u 独我論を理解してるように見えないよ。最初から救済のスキームを狙ってるみたい。

2011-10-12 13:20:48
m_um_u @m_um_u

@finalvent 理解しているも何も経験的なものですから、その上で個人的な問題としてあなたのいう「救済のスキーム」とやらが絡んでるのかなぁってぐらいです

2011-10-12 13:22:01
finalvent @finalvent

@m_um_u 自分自身のギリギリくる問題から、はなから逃げるスキームになっとる。

2011-10-12 13:23:59
m_um_u @m_um_u

@finalvent ??なにいってんだからわかりませんけど、わたし個人のギリギリの問題のなにをあなたが知ってると言うんですか?

2011-10-12 13:24:40
m_um_u @m_um_u

一言居士しちゃったのならそうと最初から言えばよろしい @finalvent

2011-10-12 13:25:56
東郷正永 @TOGO_Masanaga

それはすごく分かる。世界は知覚の結果生ずるにすぎない。 @m_um_u @finalvent 世界を子供の知覚のように先験的にする

2011-10-12 13:26:02
finalvent @finalvent

デカルト自身は考えていたんだが、デカルト的理性が独我論を超えると、世界と意識がフラットに一元化される。あたかも世界が実在であったかのような前提が偽装される。

2011-10-12 13:26:36
m_um_u @m_um_u

いっておきますけどわたしの意識はそんな偽装されてませんよ QT @finalvent: デカルト自身は考えていたんだが、デカルト的理性が独我論を超えると、世界と意識がフラットに一元化される。あたかも世界が実在であったかのような前提が偽装される。

2011-10-12 13:27:45
m_um_u @m_um_u

つか、離人症寸前までいってる状態を「独我論ではない」とかよく知りもせず言われてもなぁ。。と嘆息するわ

2011-10-12 13:29:05
finalvent @finalvent

@m_um_u 知っているよ、死ぬ、その死を自分で引き受けるということ。

2011-10-12 13:29:15
1 ・・ 4 次へ