【なぜか山形に】続・木コンクリート橋を見てきた【北海道オリジナル】

北海道で戦前に開発され、昭和40年代初頭まで国道の道路橋を含めて架橋事例のあった「木コンクリート複合桁橋」の現存事例を、2017~2018年に渡道して複数実見し、【北海道オリジナル】木コンクリート橋を見てきた【戦時設計】https://togetter.com/li/1271685 をまとめて、一部の方々ではあるがご覧いただいた。 伝統的な木橋とは異質な、「コンクリート橋に近い性能を目指し」「北海道で独自に開発された」ユニークな橋は、昭和末期までにほとんど消えたものと見られていたが…… それがなぜかケモ耳の国モフスタン もとい山形県内陸に現存することが判明した。 当方撮影の画像については、安スマホ(買い換えても安スマホ)でのオート撮影でたいへんお見苦しいですが、長文ツイート共々ご容赦ください。 続きを読む
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甘木@欅道居士 @profenigma

C型は木桁上面を波状に加工したもので、コンクリと木桁の張り付きに期待せざるを得ず、成績はABに劣る。Dは参考程度だろうが、フラットな木桁上面に駒型ジベル(金具)を埋めてコンクリと接合するもの。成績はC桁類似で、金具を増やせばマシになろうが金具をやたら使えなかった時勢では無理な話である

2021-09-17 20:06:40
甘木@欅道居士 @profenigma

どれにしても荷重による破壊は、コンクリと木の接合面での滑動から始まり、木桁欠き込み部分が圧縮され、コンクリート下側に亀裂が発生する。 C、D桁の形だと、早くに亀裂ができ、重さにつれコンクリ上面まで亀裂が入るが、A、B桁だとより重さに耐え、最初の亀裂は載荷面から45°方向に起こるという

2021-09-17 20:20:19
甘木@欅道居士 @profenigma

A、B桁のコンクリ亀裂は欠き込み部支圧面の頂点を起点に斜め上方向に生じ、欠き込み部に充填されたコンクリが水平せん断される例は少ない、という。 結局、実際の木コンクリ橋桁では、水平せん断力の大きな桁端部にA型の加工を、それ以外の中央寄りに単純凸凹のB型の加工を行うことになった

2021-09-17 20:26:21

ここ。このまとめにおける竹狸さん、jj7tmmさんおよび甘木の画像を思い出していただきたい。
甘木が前のまとめで見てきた松前・荒谷橋は丸太埋め込みで実態がわからず、湧別の無名橋も角材埋め込みでわからないところ、梁の脱落で凹凸がわかった。
今回の谷柏橋は、角材露出、かつT桁基部が突出した構造だったので、こののこぎり、凹凸の使い分けがよくわかったのである。

甘木@欅道居士 @profenigma

このあたりの判断について一読してから考えてみたが、木コンクリート桁橋用の木桁上面を加工する場合、1940年の日本にはNC加工機械によるプレカット技術はおろか、製材所で使う丸ノコなど以外にろくな小型木材加工手段がなく、大工職人の手ノコやノミによる人力作業に頼らざるを得なかったはずである

2021-09-17 20:34:00
甘木@欅道居士 @profenigma

なら、単純な凹凸パターンメインとすれば桁加工の作業効率が上がるが、桁端部の強いせん断力に抗するためには強靱なレ型加工も捨てがたく、手作業で融通が利くのを幸い、複合パターンの加工を思い切って導入したのだろう

2021-09-17 20:40:50
甘木@欅道居士 @profenigma

後段の「施工上の注意」では「木材の缺込に正確を期することも其の必要は認め難い」という矛盾した意味不明な一節があるが(校正漏れ?)、直後木桁の加工についてか「鋸と鑿を使用して斧の類は使用しない方が良い。普通大工一人一日の工程は桁長一二米乃至一八米である」ともあり、実状を裏付けている

2021-09-17 20:51:08
甘木@欅道居士 @profenigma

特性が著しく異なる木とコンクリを一体で計算するために、実験から弾性比をえいっと決定したり(むろん安全方向に)、初めて架けた実物の7m長木コンクリート橋に大型トラックの後輪側だけ載せて、無筋コンクリ打ちの橋桁が横方向でどのように撓みを生じるか細かに計測したりと、実地主義が見て取れる

2021-09-17 21:07:30

1940~1942年の高橋・上戸・鈴木文献で、木コンクリート橋の開発過程およびそのコンセプトはおおよそ理解しうると思われる。
またその力学的な実例として、橋脚すげ替えの問題はあるにせよ、山形市の谷柏橋はまたとない現存の実例ではないか。

それにしても残念なのは、あの橋がモフスタンに架かっていなかったことである。
ケモ耳美女の国と聞いているのだが…………

木コンクリート橋はまだ残っているか

これは難しいところである。

甘木@欅道居士 @profenigma

で、実は昨夜、土木学会付属図書館のサイトを見ていた jsce.or.jp/library/archiv…

2021-09-05 20:21:53
甘木@欅道居士 @profenigma

jsce.or.jp/library/page/h… その中に、「橋梁史年表」というのがあった。 藤井郁夫氏が近年までの記録をまとめた労作をDB化したものだ。 ちらちら見るとかなり充実している様子だったので、「木コンクリート橋」で検索してみた

2021-09-05 20:24:44
甘木@欅道居士 @profenigma

ただ、戦時の道内架橋の例の多くは、寒地土木研の論文に見受けられる名前があり、おそらくそちらから年表に引っ張ったのでは、とにらむ。 面白いのは、盛岡の芋田橋(1957-77 74.5m)、五所川原市(秋田県の記載は誤りだろう)の島田橋(1952-? 6.25m)という東北での架橋例があることだ

2021-09-05 20:38:06
甘木@欅道居士 @profenigma

見てみると、「木コンクリート橋の案出」高橋敏五郎による、1937、と情報が載っている。 そして結構な数の橋の名前があるのだが、多くが1941年架橋で、北海道のどこにあるのか(あったか)見当も付かないものばかりだ。 戦後すぐの寒地土木研究所系論文でも、個別の橋の場所はわからないものが多かった pic.twitter.com/aZFeWml5U5

2021-09-05 20:31:47
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甘木@欅道居士 @profenigma

芋田橋は、好摩駅東の北上川に架かる橋でそれなりに長い。なぜここに木コンクリート橋を架けたのかは興味深いところだ

2021-09-05 20:42:18

島根の橋が発見され、また山形の橋も竹狸さんが思いがけず見いだした。
この先も、人知れず生活橋として残る木コンクリート橋が、北海道内から、また技術伝播した日本のどこかからいきなり現れるかも知れない。
とはいえ、古い橋の更新は着々と進んでいる。北海道松前町には旧国道橋から生活橋になっていた鳥井橋(1955年竣工)が残っていたが、今年架け替えられたそうである。
あらたな橋を見いだせる時間は少ないように思われる。