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猪瀬直樹著「昭和16年夏の敗戦」備忘録

猪瀬直樹著「昭和16年夏の敗戦」の備忘録。陸軍という組織の組織意思を東條首相ですら止められなかったこととの関連で、日本型組織についても備忘録の中で論じています。
メモ 太平洋戦争 日米開戦 日本型組織 猪瀬直樹 第二次世界大戦 昭和16年の敗戦 大本営
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【総括】

長野テル@日常専用 @naganoteru
猪瀬直樹著「昭和16年の敗戦」は、総力戦研究所と東條内閣とにフォーカスして日米開戦の「原因」に迫る力作。詳細な調査と見事な筆力で当時の現場へといざなわれることで、読者は昭和16年という時代を追体験することができる。ステレオタイプではなく、自分自身でその原因を考えたい人にお勧め。

【日本的組織と組織意思の変更】

長野テル@日常専用 @naganoteru
以下、その備忘録。開戦強硬派の陸軍の人間は誰もが開戦に積極的。その一方で、天皇から開戦回避を託された東條がいくら回避に向かって動いたところで陸軍の意思を変えさせることができなかったことは、その意思が個人のものではなく組織のものであったことを示している。
長野テル@日常専用 @naganoteru
組織の意思は、組織内の個人が動かすことはできない。組織に対してその外部から統制の仕組みを持たない限り、日本的な組織は組織目的に対して極めて合理的に向かってしまう。明治憲法の統帥権は、軍部への統制の仕組みの欠如を意味し、これが軍部の暴走を許した。この点は司馬史観に近似。納得的。
長野テル@日常専用 @naganoteru
現代に目を転じると、大臣が各省庁という組織に対して外部者として統制する立場にあるのだが、自民党長期政権の下、大臣が省庁という組織の内部化した側面がある。民主党の個人たる大臣が外部者として各省庁を統制することが困難だったのには、業務の専門性だけでなくこれも影響していると思う。
長野テル@日常専用 @naganoteru
もっとも、個人が組織意思を動かすことは不可能ではない。ただしその難度は、組織規模が大きくなればなるほど困難になる。組織意思修正の必要性を感じながらもできない人は、能力不足とも無責任とも言うことができる。したがって、組織は本来、そのポストに見合った能力と責任を有する人を配置すべき
長野テル@日常専用 @naganoteru
裏返して言うと、それだけの能力と責任を持つ人を配置できない時点で、組織はその適正規模を超えているということができる。霞が関はその典型だけれど、大企業にもこれは往々にして妥当すると思う。規模の経済を通じて効率性を追求した結果不効率が生じるのはこのメカニズムによっではないかと思う。
長野テル@日常専用 @naganoteru
もし今の霞が関がもはや統制のきかない組織であるとすれば、戦前の軍部同様、「敗戦」のような終末状況をもってしかその暴走を止めることができないのかもしれない。ぼくは、それを避けるもっとも現実的な方法は、地方分権ではないかと思う。
T.Tajima @uselessusetas
@naganoteru 公家の中央集権国家と武家の封建体制は歴史的に交互に時代の要請で生まれてきた。平安律令国家から鎌倉、江戸期をへて明治政府に。中央集権の律令国家は官僚役人ですから任地で収奪し中央に賄賂。封建領主は自領ですから殖産興業に熱心で領民や領地を大切にし石高を上げた。

【メモ】

長野テル@日常専用 @naganoteru
猪瀬直樹著「昭和16年の敗戦」備忘録の続き。主としてメモ。総力戦研究所での問答。「信義の信とは己が言を踏み行い、義とは己の分を尽くすを言うなり」、「漢民族とは征服されてもされざる民族」→異民族王朝にも妥当、「自由にものをいえる梁山泊的雰囲気、あるいは旧制高校の寮を想わせるもの」。
長野テル@日常専用 @naganoteru
「御前会議では天皇は発言しないことになっていた。君臨すれども統治せずなのだ」「明治憲法では統帥権は天皇の大権に属する。神聖にして侵すべからずだから政府は関与できない。…軍部の独走とは旧憲法の欠陥により生じた」
長野テル@日常専用 @naganoteru
陸軍将校の「大和魂こそアメリカにはないものでわが国最大の資源だ」との発言。司馬遼太郎はこれを日本的でないドイツ的なものを日本的とする異常とし、昭和初期からの観念であると規定する。はたして「大和魂」ということばはいつごろ作られたのだろうか。江戸期にそんな概念があったとは思えないが。
長野テル@日常専用 @naganoteru
アメリカ通を自認する陸軍省佐藤軍務課長のアメリカ評。「世論の国というがその世論は金で動く連中がでっちあげるもの」「兵隊の教育は低レベルで軍人としての心がまえをもっていない。国家への忠誠心などない」「多民族の寄せ集め国家」。低レベルの分析。陸軍の知性の欠如を示す好事例。
長野テル@日常専用 @naganoteru
エリート所員らのその後を見ると、敗戦という絶対的な事実は、それまでの経歴や利得をゼロクリアしたことがよく分かる。公職追放、警察部長の一斉罷免、財閥解体。華々しい過去を捨て去った人たちには潔ささえ感じる。東電やJALの様相とは対照的。痛みを伴う変革は破綻なく実現できないものか。
長野テル@日常専用 @naganoteru
終戦まで満州で県知事をやっていた元研究所の「宮沢は…日本での暮らしのスタートを日雇い人夫から始めることになる。昼は土方、縁日があると夜はアイスキャンディー売り。焼け跡整理用臨時職員として大八車を引いたり、氷水の屋台、トンカツ屋、ワサビ漬け物店、自転車一時預かり所、古道具屋…」。
長野テル@日常専用 @naganoteru
「事実を畏怖することと正反対の立場が、政治である。政治は目的(観念)をかかえている。目的のために、事実が従属させられる」。これは、開戦に向かった当時の政治状況と、福島第一原発や東電に対して大胆でまともな政策を打ち出せない現状の両方に妥当する。事実に向き合っていないという点で。
長野テル@日常専用 @naganoteru
無責任社会としての日本。意思決定機関に属する人間も組織意思や「空気」に抗うことをせず、その「空気」を作り上げていた一般国民も、戦後、それを軍部の暴走や強権的な政治体制のせいにし、自らを被害者と位置付けた。日本人は、反省をしているフリをして断罪して責任逃れをしているだけではないか。
長野テル@日常専用 @naganoteru
この無責任社会日本の様相は、原発問題に対しても妥当。ぼくの小文「空気が市会する社会<前後編>」と同旨。 http://t.co/SrBL2HPI http://t.co/uPqhOVEE
長野テル@日常専用 @naganoteru
「アメリカの場合、日本と戦争を始めた時点で、日本占領についての計画もスタートさせている。軍人に日本語を習わせたり、日本に詳しい研究所を雇ったり。その中から、ドナルド・キーンやサイデンステッカーが生まれた」。山本五十六の「戦争は終わらせ方まで決めてから始めるべきもの」に通じる。

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