批評のアクチュアリティと後期クイーン的問題

『法月綸太郎の消息』解説を書いた頃に考えていたこと
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@quantumspin

むしろ批評家が真に批評的であるなら、作品の優劣など付けられず、他者の作品を持ち上げたり否定したりすることなどできない筈なんですよね

2022-10-30 08:05:53
@quantumspin

だから批評家が論を立てるとき、その時点で内省を一旦停止しているはずなんですよね。評論を書いている時点で、批評的では居られない。同じように、批評家は作品を貶している時点で、やはり批評的なまなざしを一旦停止している筈なんです。

2022-10-30 10:40:52
@quantumspin

論を立てている時点で、批評家は評論家(理論家)になっているし、既成理論や先行作品を価値判断している時点で批評家は書評家(伝導者)になっているわけです

2022-10-30 10:45:02
@quantumspin

だから批評家と言うのは、理論も立てず、伝道もせず、ただくよくよしている人、と言うのが、自分の理解ですかね。自分の場合、理論は立てるが伝道は苦手なので、評論家という事になるかな。それじゃあ駄目なんですが

2022-10-30 10:51:09
@quantumspin

科学理論の場合、真実はいつもひとつなので、理論の優劣は客観的に決まっていきます。しかし評論の場合、理論の優劣は他者への感染の程度で測られるので、他者へ自説を伝道する必要があると思います

2022-10-30 10:55:07
@quantumspin

いわゆる初転法輪と言うやつです。大乗仏教に例えると、評論家は声聞独覚に留まっていてはだめで、菩薩乗に至る必要があるわけですね

2022-10-30 11:03:32
@quantumspin

このフェイズこそ、一般の方が批判とか否定と言って、批評家を嫌う所以だと思いますが、実際のところこのフェイズは、批評そのものというより、営業活動に近いんですよね

2022-10-30 11:06:47
@quantumspin

笠井さんなら批評家のこうした行為を階級闘争と言い表しそうな気がするけど、自分の感覚ではこれは布教ですかね。新しい世界観を世に広め、蒙を啓いていくわけです

2022-10-30 11:16:30
@quantumspin

科学が理論とモノとの関係を記述しているのに対して、評論は理論とヒトとの関係を記述しるので、モノに作用し検証する実験のかわりに、ヒトに作用し検証する布教が要る、と言うべきか

2022-10-30 11:22:13
@quantumspin

だから自らを批評家と名乗れる方と言うのは、じつはとても特殊な方だったんですね。自分は理論も立てず、他者を教え導く事もせず、ただくよくよする人間だ、と自称し広めているわけですから

2022-10-30 11:38:45
@quantumspin

「サブカルチャーと後期クイーン的問題」をトゥギャりました。 togetter.com/li/2020442

2022-12-25 10:51:04