2011/10/30 蜀漢の軍制に関する議論
- Smiths_Cider
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@Jominian 司馬懿は与えられた軍を与えられた条件の下で使いこなして勝敗を決する将ですが、諸葛亮は理想とする用兵をするために、自分専用の軍を作りました。司馬懿はさぞうらやましかっただろうと思います。それが「天下の奇才」という評価でしょう
2011-10-30 03:29:03惜しむらくは、諸葛亮の作ったものは完璧すぎて、諸葛亮にしか使いこなせなかった事だ。司馬懿はあの世で知った事だろう。諸葛亮の凄さは制度そのものではなく、それを使う事のできる諸葛亮自身にあったのだという事を。
2011-10-30 03:24:45@Jominian 衆に抜きん出た人物なんてそれほどいないわけで、大切なのはむしろ自分の意を体して動く手足となる人物を多く集めて、適所に配することなんですよね。これができる人物は、戦争に勝ったり戦略を練ったりできる人物より稀有です
2011-10-30 03:17:19しかし、魏がその研究を始めた時には、諸葛亮の作ったシステムは解体され、残骸しか残っていなかった。それを断絶させたのは姜維である。姜維の最大の罪は、蜀を滅ぼした事ではなく、諸葛亮の軍事制度を後世に残さなかった事である。
2011-10-30 03:15:12姜維は恐らく蜀で最強の指揮官だった。だが、強過ぎる程に強いが、魏から見ても分かりやすい強さだった。しかし諸葛亮は、強い上に、何故強いのかが魏の人間には分からなかった。どうやって諸葛亮のように軍を動かすのか分からなかった。だから研究させた。
2011-10-30 03:12:59@sweets_street 人を集める事は、劉備の死の直後から始められてますね。最初から構想はあったのでしょう。丞相府を肥大化させたのは、軍事面での彼の構想もあったはずです。人を見る目もそうですが、そうしたシステムを作り上げた事に諸葛亮の凄さがある。
2011-10-30 03:10:48@Jominian それだけに中級指揮官や幕僚に求められるものも多いですね。諸葛亮は人事に疎いと言われがちですが、これだけ優秀な幕僚を集めたのですから、相当なものだと思います
2011-10-30 03:07:33@sweets_street そうですね。諸葛亮の八陣図を見て常山の蛇であると語った桓温の言とも一致します。複数の戦略単位からなる軍を、監軍等を配置しつつ、伝令を充実させる事で自由に動かす。戦術面でも戦況に応じた予備の投入も適宜行えるようになる。諸葛亮の用兵の妙はそこにあるかと
2011-10-30 03:02:47@Jominian 中級指揮官と幕僚組織が充実してるということは、戦略単位を小分けにできるということと、万事に処理が早くなるということですね
2011-10-30 02:56:38司馬瑋は部下の公孫宏に「司馬懿が蒋済を味方につけて、軍への威光を高めたように、王渾を味方につけるべきです」と説いた。司馬懿のクーデターの正否には蒋済が非常に重要だったと見られていた。
2011-10-30 02:20:28司馬昭が諸葛亮の囲陣用兵倚伏之法を研究した理由も、諸葛亮の用兵が特異だったからではないか?そして諸葛亮のやり方には、護軍や監軍の存在が不可欠だった。
2011-10-30 02:14:36ただ二例、華陽国志において陳祗が中護軍であった事、中監軍前将軍の胡済が督漢中となった事が、中監軍や中護軍が姜維の時代に居た事を示している。だが、前者の真偽は分からず、後者の中監軍が姜維の時代かは分からない
2011-10-30 02:04:14http://t.co/2EXI2TWc 5年も前から思っている事だが、前後左右中の監軍や護軍は、姜維の時代になると途端に消失する。これは、諸葛亮と姜維の間で、戦力の運用について明確な変更があった事を示唆している。また、前後左右の監軍は魏では見られない。
2011-10-30 01:58:33