itangiku氏によるソ連時代の少数民族に対する同化政策の歴史

個人的に気になっていたものの資料がどこにも無かった、ソ連時代に行われた少数民族への同化政策についてitangiku氏がTweetしてくれていたのでまとめました。
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丹菊逸治 @itangiku

「対雁アイヌ」は当初の約束と違い、宗谷ではなく対雁に移住させられた。この事件全体は果たして「強制移住」なのか「自発的移住」なのか。「一部は自発的で一部は強制的な移住」が正確な記述だろう。問題は物事が常にそのように行われる、ということだ。局所的な「好意」で始まり悲劇に終わる。

2011-10-31 00:19:05
丹菊逸治 @itangiku

露領樺太に残留するよりも日本への移住を勧めるという「好意」は、自国がロシアよりもアイヌ人にとって良い国である、という判断を根拠とする。樺太千島交換条約後とWW2後に同じことが繰り返された。後者のケースでは、日本のほうがましという判断自体は正しかったろう。

2011-10-31 00:33:06
丹菊逸治 @itangiku

自民族内部のあらゆる異質性を撲滅しようとしていた国民国家が、国内異民族の異質性をそのままにしておくことは、ほぼ不可能だった。方言撲滅のイデオロギーが国内異言語を標的にせずにおくこともない。大日本帝国の対策や金田一京助の同情にも関わらず、結果的にここまで同化が進んでしまった。

2011-10-31 00:46:55
丹菊逸治 @itangiku

ソ連と大日本帝国、異なる体制をとりながらも、日露でおきた先住民の同化プロセスはよく似ている。近代国民国家が住民に対して要求するものが共通していたのだ。

2011-10-31 01:01:15
丹菊逸治 @itangiku

多民族国家を標榜したソ連でもロシア語の称揚はやむことがなかった。「文化」とはロシア文化の延長上にある近代文化を意味した。言語以外の独自性はたんに同化・統合のプロセス促進のために考慮されただけで、最終的には放棄されるべきものだった。

2011-10-31 01:09:20
丹菊逸治 @itangiku

『アファーマティヴ・アクションの帝国 ソ連の民族とナショナリズム1923年~1939年』はざっと目を通した限り重要な本。「民族創出」と同化政策がなぜ両立したのか、という話。

2011-10-31 01:23:33
丹菊逸治 @itangiku

ソ連ではありとあらゆる少数民族に下駄をはかせて近代的な「民族」、いわば「ミニ国民国家」を創出した。それはロシア近代国家にきわめて同化させやすいものだった。同化後は下駄を外せばよい。現在のニヴフ民族などはその最終段階で、都市の最下層労働者に転落しつつある。

2011-10-31 01:36:30
丹菊逸治 @itangiku

ソ連でも新生ロシアでも、ニヴフ民族の同化・消滅が公式に目標とされたことはない。「連邦は多民族から構成されており、ニヴフ民族の独自性・自立性も最大限尊重される」という建前が放棄されたことは基本的にない。それにも関わらず同化は促進された。

2011-10-31 01:45:55
丹菊逸治 @itangiku

ソ連によるニヴフ民族の「ソビエト化」は一貫して集落の統合を伴っていた。「強制移住」によって、より大きな集落が建設された。そこには漁業基地・学校・発電設備・映画館・集会所などが設置され、ロシア人が常駐する。そこではニヴフ語・ロシア語がともに使われた。

2011-10-31 01:55:25
丹菊逸治 @itangiku

(続き)やがてそれらの集落は、さらに大きな集落に統合されていく。最終的には1970年頃にロシア人集落に統合された。その時にはさすがにニヴフ人も抵抗したが、警察力(軍事力)によって強制的に移住は実施された。元の集落は(戻れないように)破壊された。

2011-10-31 02:02:16
丹菊逸治 @itangiku

(続き)集住化を進める間に、シャマニズムが抑圧され、氏族制度が半ば解体された。前者は意図的に、後者はおそらく結果的に。ニヴフ語はそれより若干遅く、最終的なロシア人集落への統合によって決定的に衰退した。

2011-10-31 02:15:30
丹菊逸治 @itangiku

ニヴフ語は第二次世界大戦~1970年代の間、公式の場・ロシア人と共有する空間ではほとんど用いられなかった。1950年代には抑圧が強く、すでに子どもにニヴフ語を教えない傾向が強かった。だが、ロシア人が少ない地域では子ども達も当然ニヴフ語を覚えてしまっていた。

2011-10-31 02:25:11
丹菊逸治 @itangiku

1970年頃に行われたロシア人都市への集落統合で、ニヴフ人は圧倒的少数派になってしまった。子どもたちはニヴフ語を身に着ける機会を失った。日常生活はすみずみまでロシア化した。公的には「ニヴフ民族」は保障されていたが、自立性・独自性など絵に描いた餅だった。

2011-10-31 02:33:25
丹菊逸治 @itangiku

ニヴフ民族に対して行われた集落統合は、同化政策を分かりやすく表している。ニヴフ人だけの集落として統合されていく様は、まさに「ニヴフ民族の近代化」だ。ソ連当局は莫大な経費をかけてニヴフ民族に下駄を履かせた。だが最後にロシア人都市への統合という形で下駄が外され、全てが失われる。

2011-10-31 02:39:55
丹菊逸治 @itangiku

ニヴフ民族に対して行われた集落統合は、基本的には労働力の集約を意図したものだが、サハリン先住民をソビエト当局が把握しやすいものに再構成するプロセスでもあった。

2011-10-31 02:53:16
丹菊逸治 @itangiku

ソビエト当局は熊送り儀礼さえもソビエト化した。当局主宰の熊送り儀礼が行われ、同時に熊送り儀礼に付随する芸能がショー化する。ソビエト行事の出し物として「民族芸能」が再編され、現在の「民族音楽集団」につながっていく。

2011-10-31 03:00:09
丹菊逸治 @itangiku

ニヴフ社会はある時期から二重化されてきた。「ソビエト漁業」とノルマ達成後の個人的な漁労活動。ソビエト的芸能と伝統的な個人的儀礼。近代文学と伝統的口承文学。それらはある時期、同時に存在していた。

2011-10-31 03:08:40
丹菊逸治 @itangiku

多くの場合、「バイリンガリズム」は少数言語の保存どころか消滅を促進する。民族レベルで二重言語状態を継続するためには、むしろ強い民族的意思が必要とされる。「文化のバイリンガリズム」でも同じである。

2011-10-31 03:15:17
丹菊逸治 @itangiku

ニヴフ伝統的社会はすでに崩壊し、同時に元のままの伝統文化も失われた。現在かろうじて形を保てるのは「ソビエト型民族文化」だろう。つまり近代化され文字と辞書と古典を具えたニヴフ語、芸能化された儀礼などだ。それらとロシア語・ロシア文化との「バイリンガリズム」を目指すことになる。

2011-10-31 03:37:52
丹菊逸治 @itangiku

だが「ソビエト型ニヴフ文化」はかつてのニヴフ伝統文化と違い、ロシア文化と両立しやすい分、移行もたやすいだろう。

2011-10-31 03:42:58