- ttt_cellule
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メルロ=ポンティの『見えるものと見えないもの』から「超反省(ハイパーリフレクション)」という概念が取り出され、それによって言語とイメージ、可視性と不可視性の関係が、弁証法にも超越論的反省へにも還元されない特異な契機──フィギュラル(形象的なもの)──へと脱構築されてゆく。
2011-09-23 22:58:09この問題設定がフロイトや精神分析の概念装置へと接続されて開拓されてゆく可能性は甚大なもので、たとえば本書には多数の図版とその分析が含まれていることからしても、リオタールの企てには、本書を新たな「欲望の芸術理論」として構築しようとする意志が明確に伝わってくる。
2011-09-23 23:02:37実際、80年代末以降いわゆるフランス現代思想が勢いを失ってゆく一方、美術理論・映像論・メディア論(日本でなら「表象文化論」も入るだろう)が多様に展開するなかで、本書のフィギュラル概念に光を当てたのは、ロザリンド・クラウスだった(『視覚論』平凡社ライブラリー、参照)。
2011-09-23 23:09:11そういえば、だいぶ前だけど畠山くん @samedrill たちが研究会でD・N・ロドウィックの著書をとりあげていたっけ。これは、リオタールのフィギュラル概念を駆使して、映画理論やデジタルメディア論一般へと拡張して展開した画期的な企てだったように思う。その後どうなったんだろうか。
2011-09-23 23:15:25これです。David Norman Rodowick , Reading the Figural, Or, Philosophy After the New Media http://t.co/aOgIXnUa いま目次をみても面白そう。『言説、形象』の数ある可能性の中心の一つ。
2011-09-23 23:23:17そうでしたか。なんだかもったいないですね。ロドウィックって映画理論が専門のようですが、日本ではあまり注目されてないんでしょうか。ドゥルーズ論などもあって理論的にも面白そうですが、邦訳はみたことないですね。RT @samedrill: ...この路線はあまり展開していませんね。
2011-09-23 23:45:55@parages ロドウィックは映画研究者というアイデンティティーを強く持っているので、シャヴィロやマッスーミなどの、いわゆるアメリカのドゥルージアンとはちょっと毛色が違う感じですね。
2011-09-23 23:53:44@samedrill なるほど。ロドウィックの場合、アメリカとフランスに文脈が二重になっていて、しかも映画研究者のわりにはかなり理論的なこともやっているというので、そのぶんきちんとフォローする人も少ないという事情もあるのかもしれないですね。どうもです。
2011-09-24 00:22:36ドゥルーズの『無人島1969-1974』に所収されている「評価」という、リオタールの国家博士論文である『ディスクール、フィギュール』をドゥルーズが試問委員として評している短文があるのですが、これもとてもいい文章なのですの
2011-10-23 23:37:08リオタール『言説、形象(ディスクール、フィギュール)』書評。目次を全掲載。背景説明、最近の国内の言説状況との関連など目配りも。【新刊】『言説、形象(ディスクール、フィギュール)』法政大学出版局 - 本が好き! Book ニュース http://t.co/79wboB9l
2011-10-20 13:13:20『言説、形象』の監修者である合田正人氏が、REクラウスと同様に、リオタールが本書で行ったフロイトの論文「子供が叩かれる」の分析を評価しているのは偶然ではない。ここにこそ本書の特異性があるのだろう。隠喩的抑圧、総合、それらを頓挫させる出来事の非場所(ユートピア)、その律動。
2011-10-07 00:05:21クラウス+ボワの『アンフォルム』が面白いのは、たとえば「パルス」を読むことで池上高志さんのマッシブデータフローと、千葉雅也・佐藤雄一の詩学的リズム論と、trickenたちのルドロジーと、ARとしての郊外論via佐々木友輔が繋がるから。通底するものの提示という意味で重要。
2011-04-19 09:00:21クラウスはアンフォルムの「パルス」で、パルスと反復と暴力を関連付けて書いていた。個人的には、斎藤環的で村上隆的なキャラクターというのは、パルス的反復のもつ暴力性をその中核に抱えていると思う。
2011-04-19 12:59:30読みたい!RT “@nosnino: 美術出版社さんより『美術手帖』2011年4月号を頂戴しました。特集はホンマタカシ。私は213ページのBOOKコーナーでボワ+クラウス『アンフォルム』の書評を書いています。
2011-04-09 15:48:35REクラウスは、『アンフォルム』で、リオタール『言説、形象』の「夢作業は思考しない」を参照している。
2011-10-06 21:01:21『アンフォルム』の水平性の章、等方性の項目は、リオタール『言説、形象』と併せ読みしてもよくわからない。関連項目を引き続き読もう。
2011-10-06 23:22:17二十世紀後半の、情報化と高度消費社会の発達に伴って、マスメディアのうえで「政治の季節」が衰退する頃、1983,1984年に、アメリカではボードリヤールの『シミュレーション』、ジェイムズソン『ポストモダンと消費社会』、そしてリオタールの『ポストモダンの条件』が刊行される。
2011-10-06 21:58:31冷戦構造下で、ほぼ無自覚な資本主義的リアリズムとしてこれらが読まれたのだとしたら、ボードリヤールの疎外論的側面やリオタールの根源的な人間批判は都合よく無視されていたことは不思議ではない。
2011-10-06 22:00:49リオタール『非人間的なもの』では現代音楽三羽烏について多く言及している。ちゃんと読むべきだった。
2011-10-06 21:55:29ちなみに『ヴィデオを待ちながら』の図録にはロザリンド・クラウスの「ナルシシズムの美学」が収録されています。
2009-12-24 10:28:03クラウス「ナルシシズムの美学」より:過去15年、アート・ワールドはマス・メディアとの関係によって、深く破滅的な影響を蒙ってきた。アーティストの作品がメディアを通して公刊され、複製され、散種されるということは、過去10年間の推移の中で成熟した世代にとっては、事実上、作品の芸術とし…
2010-01-06 22:36:10クラウス「ナルシシズムの美学」より:(承前)芸術としての存在を検証する「唯一の」手段になったのである。
2010-01-06 22:38:16部分RT @yishioka: nnnnnnnnnnn 一つ言えるのは、編集装置すらろくにない時期のヴィデオの面白さについて、クラウスが語っているということです。今の「動画」とはそこが全く違いますね。
2010-01-06 23:14:14面白そう!ログはないんでしょうか…RT @takashiyam: スミッソンとかクラウスとかおさらいして、MTV前のライブハウスCBGBあたりの歌手とかとかローなカルチャーやって、マイク・ケリーとか、そういう授業を野々村さんとかしていた。
2010-09-25 16:06:57