【特別講座】プロ野球オーナー企業の変遷

なんだか複雑で覚える気にならないプロ野球オーナー企業の変遷を分かり難くまとめました。ほぼ個人的なメモ。
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オーナー会議の結果待ちですが、ベイスターズの経営譲渡がほぼ決まりました。これを機に各球団のオーナー変遷を振り返ってみましょう。

河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

以下、プロ野球オーナー企業の変遷(再掲)

2011-11-04 21:42:48
河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

現在の日本野球機構に連なる日本野球連盟は1936年2月5日に創設された。設立時の加盟球団は、東京巨人軍(読売ジャイアンツ)、大阪タイガース(阪神タイガース)、名古屋軍(中日ドラゴンズ)、阪急軍(オリックスバファローズ)、東京セネタース、大東京軍、名古屋金鯱軍の計7球団。

2011-11-04 21:49:54
河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

このうちオーナー企業の変わっていない球団は読売と阪神の2球団のみ。06年に阪神電鉄が阪急ホールディングスと経営統合する際に物言いが付いたが、結局「経営譲渡ではない」という主張が認められた。

2011-11-04 22:00:20
河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

阪急電鉄は88年まで球団経営を続けたが、当時のオリエント・リースに経営譲渡。社名をオリックスへと変更する。近鉄バファローズとの合併後の05~07年まで暫定的に近畿日本鉄道が20%株式を保有していたが、現在は再びオリックスの完全子会社である。

2011-11-04 22:05:36
河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

少々経緯が複雑なのが中日ドラゴンズ。中日の源流は新愛知新聞社がオーナーとなった名古屋軍である。新愛知新聞社は42年の戦時統制で金鯱軍を経営する名古屋新聞社と合併。中日新聞社が発足する。しかし実態は中日新聞社取締役・大島一郎の個人経営であった。

2011-11-04 22:07:20
河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

(承前)大島の個人財産では限界があり、名古屋軍理事の赤嶺昌志が理研工業に譲渡し、球団名も産業と改称する。戦後、大島が経営に戻り、中日新聞社も経営に復帰する(その後の「赤嶺旋風」はここでは触れない)。以降、今に至る・・・と思いきや。

2011-11-04 22:07:50
河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

(承前)戦後は中部日本、後に中日ドラゴンズと名乗ったが、51年より名古屋鉄道も経営に参画。名古屋ドラゴンズと改称。53年オフに再び中日新聞社だけで経営することとし、中日ドラゴンズも名を戻す。ようやく今に至る。

2011-11-04 22:08:13
河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

金鯱は名古屋新聞社を親会社とし、鳴海球場を本拠地とした。名古屋新聞社は41年に戦時統制で名古屋軍(のちの中日)の親会社である新愛知新聞社と合併することになり、経営から手を引く。セネタース改め翼軍と合併。大洋軍となる(のちの大洋ホエールズとは異なる)。

2011-11-04 22:09:30
河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

セネタースは旧久留米藩主有馬家の第15代当主であり、有馬記念でも有名な有馬頼寧がオーナーとなり、西武鉄道(今の新宿線を経営する鉄道会社で、後に武蔵野鉄道と合併し、新・西武鉄道に)を運営母体とした。球場は西武新宿線の上井草にあった。後述するが、41年に金鯱と合併し、大洋となる。

2011-11-04 22:09:51
河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

前述の通り、セネタースと金鯱が合併して出来た大洋軍は、有馬と金鯱軍の取締役であった大宮伍三郎の共同経営だったが、財政不安から43年に経営を西日本鉄道に譲渡し、西鉄軍となった(戦後の西鉄ライオンズとは別)。本拠地は九州だが、試合は一度も九州で行わなかった。43年に解散。

2011-11-04 22:10:26
河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

さあさ、皆さんお待ちかねの大東京軍の番ですよ。

2011-11-04 22:11:25
河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

大東京軍の親会社は徳富蘇峰で有名な国民新聞社。ちなみにこの時の国民新聞は新愛知新聞社の傘下で、新愛知が経営する名古屋軍(後の中日)とともに「大日本野球連盟」を正力とは別に構想するが頓挫し、日本職業野球連盟に参加。のちにセ・リーグ第2代会長となる鈴木龍二が代表常務を務めた。

2011-11-04 22:11:43
河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

(承前)間もなく経営は行き詰まり、鈴木は知己の共同印刷専務・大橋松雄に譲渡する。大橋は義兄弟の田村駒治郎を経営に参画させる。この時スポンサーとなったのが小林商店(後のライオン)であり、球団名をライオン軍と改める。大橋は経営から退き、田村の個人経営となる。

2011-11-04 22:11:59
河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

(承前)小林商店とのスポンサー契約も切れ、41年に朝日軍へ改称。戦中は田村が経営していた奈良県御所市の工場に疎開していたが、戦後田村から独立してゴールドスターを結成。田村は一からの球団再建を強いられる。パシフィック、太陽ロビンス、大陽ロビンス(野球は点取りと願掛けて)と改名続く。

2011-11-04 22:12:14
河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

(承前)大映に対抗して球団を保有しようとした松竹の話を聞きつけスポンサーとして参画させ、松竹ロビンスと名を改める。また本拠地をそれまでの西宮球場から衣笠球場に移転する。37年から経営を続けた田村だったが、52年に勝率3割を切った罰則として大洋ホエールズと合併。経営から離れる。

2011-11-04 22:12:30
河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

田村駒物語は話し出すと長くなるのでかなり端折ったが、それでも面白い。両リーグ分立初年の50年セ・リーグ初代チャンピオンは松竹。小鶴・岩本を主軸とする水爆打線は、毎日オリオンズとの対戦となった日本シリーズで敗れる。近鉄を除く消滅球団では唯一のリーグ優勝を果たしたチーム。

2011-11-04 22:12:50
河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

37年から後楽園球場が経営するイーグルスが連盟に参加。翌年、後楽園が経営から退いたため、サッポロビール役員の高橋龍太郎がオーナーとなる(高橋は戦後も高橋ユニオンズのオーナーとなる、後述)。その後、黒鷲軍と改称し、42年途中から鉄工会社である大和工作所に譲渡され大和軍に。翌年解散。

2011-11-04 22:15:57
河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

38年9月に南海が加盟する。戦時統制で合併し、近畿日本鉄道がオーナー企業に(後の近鉄バファローズとは別)。戦後直後はグレートリングという愛称にするが、これは米国で女性器を意味するスラング。翌年経営分離とともに南海に譲渡。88年オフにダイエー、04年オフにソフトバンクと譲渡される。

2011-11-04 22:20:10
河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

戦後は巨人軍、阪神軍、中部日本軍、阪急軍、パシフィック、グレートリングの既存6球団に加え、セネタース(現在の北海道日本ハムファイターズ)とゴールドスターを加えた8球団で46年より再開する。

2011-11-04 22:26:48
河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

セネタースは戦前のセネタース監督を務めた横沢三郎が中心となって設立された。元老・西園寺公望の孫である西園寺公一がオーナーとなるが1年で資金不足となり、東京急行電鉄に経営譲渡される。48年は永田雅一の大映が経営に参画するも1年で解消。54年より球団運営は東映に委託される。

2011-11-04 22:47:37
河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

(承前)東急は73年に球団を東映に譲渡、東映は不動産会社である日拓ホームに売却する。同年オフにロッテとの球団合併を目論むも失敗し、日本ハムに経営譲渡し、今に至る。なお日拓ホームがパチンコ事業に乗り出したのは球団を手放した後の76年の話である。

2011-11-04 22:52:57
河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

ゴールドスターは前述の朝日軍の選手らが中心になって独立、結成した。その後、金星スターズと改名、48年に大塚幸之助へと譲渡される。同年オフ、東急との経営を解消し大映が球団を買収。大映スターズと名を改める。57年には高橋ユニオンズを合併、58年に毎日オリオンズと合併(いずれも後述)。

2011-11-04 23:03:22
河内家牛若丸 @dancer_in_tokyo

毎日球団の加盟問題で連盟は49年オフに分裂。加盟反対派の読売ジャイアンツ、中日ドラゴンズ、大陽ロビンスと、賛成派から華麗なる寝返りを演じた大阪タイガースの4球団に加え、新設の大洋ホエールズ、広島カープ、西日本パイレーツ、国鉄スワローズの計8球団でセントラルリーグが結成される。

2011-11-04 23:10:09