音韻学,あるいは学問研究と一般考察の差異について
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@arabian_m 「通常の発音」と書いたのは「ミュージック」「トーマス」と普通に発音するときのそれぞれの音の長さで、「現在発声するリズム」は、たとえば音楽に合わせてゆっくり発音しているときのリズムです。
2011-11-06 03:39:51@tenkafubufubu 言わんとすることがわかってきた気がします。となると、「頭の中ガンガン鳴ってる」はどう解釈できるのでしょうか。
2011-11-06 03:46:15@arabian_m 同様に「あーたーまーのーなーかーがーんーがーんーなーがーれーるー」といった感じになりますよね。拍の長さがそれぞれ通常の発音よりも長いだけで、すべて通常の発音と同じ拍数です。
2011-11-06 03:47:44@tenkafubufubu 「まーのーなーかー」だけ長さが倍になってるのはどう捉えられるのでしょうか。
2011-11-06 03:51:01@arabian_m 確かにそこだけ、他の音の倍の長さですね。曲の都合で突然発声のリズムが変わっているが、聞いた側が歌であることを加味して補正して「アタマーノーナーカー」ではなく「あたまのなか」であると認識できている、と解釈するしかないかな。
2011-11-06 04:02:00@tenkafubufubu 2倍の長さだと言われるまで気づかなかったことが、脳内で勝手に補正して意味の分かる単語として聞き取っていることの証拠でもあるか?
2011-11-06 04:05:07@tenkafubufubu ミュージックが5モーラで、頭の中が10モーラというならある程度納得できるのですが。
2011-11-06 04:06:59@arabian_m 「あたまーのーなーかー」を10モーラと解釈するのは、つまり「あたまのなか」ではなく「アタマーノーナーカー」という別の言葉だということになってしまうんですよ。
2011-11-06 04:09:00音の最小単位をどこに設定するかによってモーラの基準が変わると考えるなら自然な説明だと思います。
2011-11-06 04:09:24@tenkafubufubu 意味にこだわるとそうなりますね。「おじいさん」と「おじーーーーぃーーーさぁーーーーん」は違うモーラだけど語だと思うのですが。
2011-11-06 04:11:41@arabian_m 1モーラの基準は可変だということはまず良いとして、「あたまーのーなーかー」については歌特有の問題ではないかと。
2011-11-06 04:11:54となると、モーラ=時間的基準という原則が破綻してしまう気がしてどうもスッキリしません。 RT @tenkafubufubu: 1モーラの基準は可変だということはまず良いとして、「あたまーのーなーかー」については歌特有の問題ではないかと。
2011-11-06 04:16:11「おじさん」と「おじいさん」という語は、「じ」を1拍長くというモーラ的な部分で区別されている。「おじさん」を大声で呼ぶ際、「おーじーさーん」と同様の長さか、「おじさーん」と「さ」だけ伸ばすが、「おじーさーん」は「おじいさん」の「さ」だけを伸ばした場合と区別がつかないのでいけない。
2011-11-06 04:22:45「おじさーん」が許容されるのは、「おじさん」と意味が違う「おじさあん」という単語が存在しないからだ。「おじいさあん」も同様。
2011-11-06 04:23:54「おじさん」と「おじさあん」が同じものとして認識されるのは、たまたま「おじさあん」という語がないだけで、仮に「おじさあん」という語があれば明らかに弁別可能です。であればモーラが違うと考えるべきでは?と思います。
2011-11-06 04:33:09ようやく自分の言いたいことがまとまった。歌とか呼びかけの「実際に発声された音の長さ」ではなく、「聞き手が単位として聞き取った音の長さ」であって、途中で本来モーラ的に意味を持たない長音があっても、聞きが意味の無いものとして無視したならそれは数えない。
2011-11-06 04:45:33別の語として認識可能ですが、その「別の語」が存在しないので同じ語になる、ということだと思います @KamPinTang: モーラの観点からですと「おじさん」と「おじさあん」は別の語として認識されますね。日本語の仮名1文字が1拍なので。
2011-11-06 04:46:10