自由・平等・友愛:仮面ライダー アマゾンズ試論のための雑想

個人的なメモ。作品『仮面ライダー アマゾンズ』から「自由(鷹山仁)・平等(水澤悠)・友愛(駆除班)」のトリレンマ(正義の衝突)というテーマを受け取った人の、雑想保管倉庫。
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河樹 彬 @e_rewhon

LEF2.1-4 平等な各人の自由は衝突する(自然状態)。ここに法(秩序)が要請される。

2023-02-20 22:51:42
河樹 彬 @e_rewhon

LEF2.1-41 1789年の仏人権宣言はいう。「各人の自然権の行使には、それが社会の他の人々が同じ諸権利を享受することを保証するもの以外には限界がない。こうした限界は法によってのみ決定される」。

2023-02-20 22:52:23
河樹 彬 @e_rewhon

LEF2.1-5 人は自由であり平等である。ただし、法(秩序)の下において。人は法に対しては、自由ではなく、平等ではない(人は法秩序に従わねばならない)が、全員が法に従うことによって、人は人に対して互いに自由であり平等である。

2023-02-20 22:52:49
河樹 彬 @e_rewhon

LEF2.1-6 秩序を否定することによって、自然状態(自由・平等)を介して、超越的な秩序(法)が要請される。 pic.twitter.com/OMyQT4dCH4

2023-02-20 22:58:41
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河樹 彬 @e_rewhon

LEF2.1-7 秩序の創設に社会契約等の仮定は不要である。等質的な諸項間で交換が成り立てば十分である。秩序は、第三項排除効果により自然生成される。

2023-02-20 22:59:18
河樹 彬 @e_rewhon

LEF2.1-71(なお、「自由・平等・友愛」の最初期のヴァージョンは、「自由・平等・財産」である。第三項が物神化したところに、ライヴァル同士の競争(友愛)からなる経済的秩序が生まれる。「友愛」「財産」「宗教」「秩序」は、第三項排除効果において一つに繋がる。)

2023-02-20 22:59:40
河樹 彬 @e_rewhon

LEF2.2-1 「自由・平等・友愛」という三つの理念は、現実に顔を出す際には、同列のものとしては現れない。秩序を否定し、自由と平等を原理とする社会では、自由・平等を原理とすることにより秩序は逆に超越化される。このことは外の二つについてもいえるはずである。

2023-02-20 23:09:33
河樹 彬 @e_rewhon

LEF2.2-2 自由を最小化し、友愛(秩序)と平等の理念に全振りした社会を考えてみよう。前世紀の社会主義国家の理想だ。そこでは個々人の自由意志は一旦否定されるものの、社会契約にもとづき、「共同体の全体意志」のもとに集約される。自由は超越化される。

2023-02-20 23:11:19
河樹 彬 @e_rewhon

LEF2.2-21 全体意志は成員の自由選択による「合意」の加算である。それはいわば「秩序全体の自由意志」であり、個々人の自由意志に優越する。

2023-02-20 23:12:09
河樹 彬 @e_rewhon

LEF2.2-211 (注記。ルソーやニーチェの語る意志は「合意」ではなく「差異」の加算であり、以上とはかなり毛色が異なる)。

2023-02-20 23:13:26
河樹 彬 @e_rewhon

LEF2.2-3 全体意志(民主‐全体国家)は人気がない。ただ、その失敗は主に技術的なものだ。社会全体の合意形成(という幻想)を支えるだけの環境が整っていなかっただけだ。たとえば「成員全員による国民投票」に政治の理想を見いだす人は、今でも一定数いるはずだ。

2023-02-20 23:15:47
河樹 彬 @e_rewhon

LEF2.2-4 「法」の支配が成員にとっては一方的服従であるのに対し、「全体意志」と成員の関係は双務的である。その関係は確かに「社会契約」と呼ぶに相応しい。社会契約では、個と(その個を含む)全体が契約を結ぶ。たぶんここに幾つかのパラドクスが胚胎する。

2023-02-20 23:17:47
河樹 彬 @e_rewhon

LEF2.2-5 社会契約において、市民は「自由であるように強制される」。ルソーの言葉だが、カントの言葉でもおかしくない。技術の進展に伴い、独浪漫派のいうように、自由はやがて社会化する。

2023-02-20 23:31:54
河樹 彬 @e_rewhon

LEF2.2-6 自由の超越化により、交換が個と全体に限定されるとき、第三項排除は固定化し、クラインの壺は閉じられる。全体意志の支配する社会は、スタティックな停滞社会となるだろう。

2023-02-20 23:38:11
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