「ぶら下げ」再考
@monokano もしかしたら、小池さんの昨晩のツィートに触れたので、すこし混乱させてしまったのかも。ぼくの理解では、彼は「読ませる本文」が「見せる本文」の浸食を受けて変化しつつある現状を言っていたのだと思います。しかし、ぼくの夕方のツィートで言いたかったのは、それとは別の事。
2011-11-09 00:44:12@monokano 『本と文字と!』はぶら下げてます。では『図書』は?とみれば…ぶら下げてませんね。や、や、や! 岩波が発売している『科学史研究』はB5判横2段組みですが、コンマとフルポイントをぶら下げてます! ぶら下げられたフルポイントって埃にしか見えません :-}
2011-11-09 00:47:35@ogwata なにが言いたいのかというと、私が「公理」を持ち出したのは、字送り均等がひとつの「系」の根幹だからです。この系の中では、字送り均等は嗜好ではなく前提です。一方、矩形志向は系の中の嗜好にとどまる。そう考えています。
2011-11-09 00:48:31@monokano あ、それはぼくそう思います。「矩形への志向」とか「字送りベタへの志向」よりも、「字送り均等、行送り均等、行頭行末そろえ」の方が優先順序は上です。その意味では「嗜好」なのかもしれません。
2011-11-09 00:50:32@monokano 書籍の本文組版をする中で、示される幾つかの選択肢。それは「矩形への志向」と「字送りベタへの志向」に従って選択されるのではないか、ということを指摘しようとしていました。
2011-11-09 00:55:50@monokano 小池さんが言っていた「グレイの矩形」については、原弘以来のさまざまな言説の歴史があるのですね。たぶん、彼はそれも踏まえて詠嘆したのだと思うけども。
2011-11-09 00:58:11@ogwata @monokano ベタ組至上主義は、実は作業性優先の効率至上主義でしかないと思います。仕上がりの姿としては同じものをよしとするわけですが、実は媒体毎の特殊性を加味した場合は異なる結論に帰着します。私は「公理」とはみなしません。
2011-11-09 01:00:30@ogwata (ぶら下げの有無は実際のところ、空気を読むみたいな右へならえの感じで決めたりするんですけどw、これはまた別の話ですね)
2011-11-09 01:01:10@koikekaisho 公理は「文字組版のひとつの処理系の前提」というほどの意味で、実はわざと大げさにいいました。この世の絶対唯一という意味では決してありませんー @ogwata
2011-11-09 01:14:08@monokano 一連のツィートで理解を深めることができました。前提→諸選択(うまい言葉ではないですが)というように、優先順序によっていくつか段階分けできるように思います。チャート図に落とし込めれば面白いけど、ちょっとむずかしいかな。
2011-11-09 01:56:47ぶらさげは禁則文字対策としては効果大だが、視覚的なjustificationという意味では欧文でのhunging punctuationとは異なり、負の効果もあるかと思案。
2011-11-09 06:41:03@ogwata 私も勉強になりました。で、私が系を持ち出したそもそもの発端は、電子書籍でどうして文字の組み方が変わらない(変えられない)のか、「電子書籍なのに紙の文字組版にこだわってる」という見方がまったくの誤りであることを示したいという思いがあったからです(続きは夜に〜)
2011-11-09 12:50:13新聞がぶら下げ組みをしないのは、版ごとに組み替えがあり、面を移動することも多く、活字をブロックで運ぶため。雑誌でも、数行単位で削除するなど日常で、ぶら下げは作業効率が悪過ぎるから。全ては慣習。
2011-11-09 12:59:18活字組版で、インテル(行間)や込め物(字間)が浮き上がって、ゲラに現れることがあり、これに対して「オス」と入朱します。「押し込む」わけです。
2011-11-09 14:58:01一本一本活字を拾い、一つ一つ句読点や括弧類を半角の込め物を合わせて挿入し、一行一行インテルを挟んで組み上げて行く。活字組版は手間のかかる作業です。手動写植も、一字一字探して印字し、現像し、台紙に貼り込む作業の繰り返しです。専門職ですから技術を磨くことにプライドもありました。
2011-11-09 15:05:18行単位の移動ならぶら下げは効率に影響しないと思いますが RT @koikekaisho: 新聞がぶら下げ組みをしないのは、版ごとに組み替えがあり、面を移動することも多く、活字をブロックで運ぶため。
2011-11-09 15:05:31