中世軍事史の観点からみた補給に関する調書2

今回は本質へ掘り下げるのよりも概要を重視しました。
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名無し整備兵 @seibihei

河川は当時も、軍民問わず重要な交通路だったので、船団による補給には河川利用を含めても宜しいかと。作戦地域が大きく限定されるという不利点はありますが。 http://t.co/I8ldJjYO

2011-11-12 17:39:01
hajimemasite@頑張れない @pn_hajimemasite

@seibihei おっと、河川での補給について完全に失念して居ました。それについてもちょっと追記せねば

2011-11-12 18:19:13
hajimemasite@頑張れない @pn_hajimemasite

中世期の補給において(今でもだが)河川というのはかなり大きな位置を占めた。それは、補給船団が通れる道としての意味もあったが、水補給の位置としての意味合いもあり、行軍上のランドマークとしても活用され、そして渡河という問題を指揮官達に提供した。

2011-11-12 18:23:20
hajimemasite@頑張れない @pn_hajimemasite

まず、補給船団が通れる道としての意味合いだが、これは小さなものではなかった。船団が通れる川があるということは、大量の物資が内陸深くにまで到達できるということだ。基本的には海上補給が川沿いでできるということと同意語であると考えられる。

2011-11-12 18:25:47
hajimemasite@頑張れない @pn_hajimemasite

河川補給にて問題となるのは、川の水流の速さ、深さ、幅、そして制川権の所持であった。川は海よりも行軍ルートが限られているため、捕捉殲滅される可能性はより高かった。具体的には失念してしまったが、フランク王国軍がヴァイキングの河川を使った略奪に対し、軍を河口に集め、迎撃した事例がある。

2011-11-12 18:31:02
hajimemasite@頑張れない @pn_hajimemasite

川の深さ、および幅は船団というより通れる船舶の規模を左右した。小さすぎた場合、船団は内陸へと達することが出来なかった。百年戦争の英国の図版がセーヌ・ガロンヌ・ガロンヌといった大河周辺を中心としていることはこれを暗に裏付ける。

2011-11-12 18:52:55
hajimemasite@頑張れない @pn_hajimemasite

また、川を進軍の中心軸とするのには補給部隊が到達しやすいということ以外にも利点があった。河川近くというのは、農業に適した土地であり、現地調達(略奪、購入どちらでも良い)が楽にできた。

2011-11-12 18:56:07
hajimemasite@頑張れない @pn_hajimemasite

金銭の補給というのは通常の補給に比べ、圧倒的に楽にできることもここに明記すべきであろう。実質は同じでも、本国から直接農作物を前線へ送るのと、本国の農作物を売り払い、得た金銭を輸送するのとでは、必要な補給上の負担には大差が存在した。前者は船団が必要でも、後者ならば一隻で足りる。

2011-11-12 18:58:39
hajimemasite@頑張れない @pn_hajimemasite

そして、一隻であれば、的に捕捉される可能性極僅かでしか無い。ただし、自然災害は船団でも、一隻でも、容赦なく沈めに来る事もまた、確かである。

2011-11-12 19:00:09
hajimemasite@頑張れない @pn_hajimemasite

まぁ、河川についてはこんなもん。河川の利用は勉強不足ですが、ご了承を。クレフェルトの本に書いてあったことも書こうか迷いましたが、あれは近世なので割合させて頂きました。

2011-11-12 19:03:41