2011年11月14日

独善性についての考察 ~科学性・対話・無知の知との関係から

ツイッター上で垣間見られる独善性について考察しています。 【関連まとめ】「サイエンスとアーツに関する考察」http://togetter.com/li/209420 「企業経営における短期的利益追求と長期的利益追求」http://togetter.com/li/206233 「独善的な人たちとのやりとりと独善性に関する考察」http://togetter.com/li/145320
5

【「科学」性の欠如と独善】

長野テル@日常専用 @naganoteru

こないだのネットストーカーの人にしてもワクチンの人にしても、ポパーの文脈における「科学性」が欠落してるんだよな。論理による決定可能性を前提にした結果、直観が直観であることにすら気付かないまま独善に至るか、そもそも反証を予定せず断定的評価を下すことで独善を実践するかの違いだけで。

2011-11-14 17:34:46

【「対話」の欠如と独善】

長野テル@日常専用 @naganoteru

自身の独善に対する認識の欠如は、それ自体が悲劇である。ツイッター上で群れる行為は、その悲劇を増幅する。ただ同調する人ばかりを消極的かつ選択的に周囲に集めてしまっていることに無自覚であることによって。おまけに、そういう独善的な人は、対話そのものを拒絶する。独善が独善に閉じるゆえん。

2011-11-14 17:41:35
長野テル@日常専用 @naganoteru

「対話とは、観念を共有しない他者―あるいは外国人―とのコミュニケーションであり、命がけの跳躍がなされなければならない」「したがって、観念を共有した『他者』との『対話』は自己対話―モノローグに過ぎない」柄谷行人

2011-11-14 17:49:13
長野テル@日常専用 @naganoteru

したがって、かかる独善的な人たちは、個体としては自己と別であったとしても、その実態はなんら自己と変わることのない同調者との間で「自己対話=モノローグ」を行っているに過ぎない。「対話」の拒絶と、独善性との間には極めて強い相関性がある。

2011-11-14 17:51:08
長野テル@日常専用 @naganoteru

たとえば、「民間企業は利潤追求を自己目的化する」という命題は、それ自体が定義されたものであるため、その延長線上で演繹的に導き出した結論は、その定義を共有する限りにおいてのみ真となる。その定義自体への疑問に応じることこそが「対話」であるにもかかわらず、独善的な人はそれを拒否する。

2011-11-14 18:01:53
長野テル@日常専用 @naganoteru

「本当に民間企業は利潤追求を自己目的化するのか」という疑問に対して「民間企業は利潤追求を自己目的化するものである」と応答するのは「対話」ではない。これを「対話」と錯覚できる感性は、その話者を、この命題から得られた結論を「論理的」で「正しい」ものであると考えさせる独善へと導く。

2011-11-14 18:09:35
長野テル@日常専用 @naganoteru

自身が独善的に定義した命題の演繹による結論に過ぎないにもかかわらず、その結論を「論理的」に「正しい」ものと盲信した愚者は、定義を共有しないがゆえに異なる結論を得た「他者」を「直観で論理に反論するな」と愚弄する。ああ、独善。あるいは「対話」の欠落。これは、悲劇以外の何物でもない。

2011-11-14 18:16:30

【ツイッターへのリアクション態度と独善】

長野テル@日常専用 @naganoteru

ツイッターというのは、無知と独善から来るお馬鹿なツイートが知らない人に知らないうちにRTされうるという意味で、すごいツール。無知と独善を人様にさらすことになる反面、それを指摘してもらえる可能性も高まる。本人に指摘を受け入れる準備があるかどうかで、これは両刃の剣になる。

2011-06-05 09:16:40

【「無知の知」の欠如と独善】

長野テル@日常専用 @naganoteru

独善的な人の共通点。寛容さもリテラシーもなければ品もない。「疑う」ことができず、盲信するか全否定するかのどちらかしかできない。一般論では極論を述べ、具体論ではヒューマニズムに支配される。そして何より「無知の知」がない。

2011-06-05 09:12:06
長野テル@日常専用 @naganoteru

独善的な人は、無知の知がないがゆえに、正しい指摘に対して素直にリアクトできない。自分のことを賢いと勘違いしているので、そのプライドが邪魔をして逆ギレをしてしまう。論点をずらし、まったく関係ない点で批判をして自分を保とうとする。

2011-06-05 09:12:33
長野テル@日常専用 @naganoteru

本当の知性とは「無知の知」。無知の知があれば独善的にもならないし、リスペクトレスにもならない。そして、その知性の差は、人間的成熟の差にほかならない。とっちゃん坊やのような人は多少賢くても知性がないし、知識の量に限らず知性のある人はいる。

2011-06-05 09:14:16
長野テル@日常専用 @naganoteru

独善性は、根本的には、相手の立場になれないという思いやり精神の不足に起因している。自分が批判しようとしている相手にも何かしらの正義があるのかもしれないと疑うことができれば、独善的な批判にはならないはずだから。知性とは人間的成熟なのである。

2011-06-05 09:15:03

コメント

@turquoise051 2012年1月13日
RT @naganoteru: 自身が独善的に定義した命題の演繹による結論に過ぎないにもかかわらず、その結論を「論理的」に「正しい」ものと盲信した愚者は、定義を共有しないがゆえに異なる結論を得た「他者」を「直観で論理に反論するな」と愚弄する。ああ、独善。あるいは「対話」の欠落。これは、悲劇以外の何物でもない。
0
@turquoise051 2012年1月13日
定義など自由にすればいい。多くの人と共有できたものが残る可能性が高そうだがそうでもない。実際は残るものが残る。共有しているものが、ある集団の独善だった。演繹の裏に帰納、イデオロギーとして葬るのはいけない。前提が間違っていれ結論は全て正しい。論理とはそういうもの。RT @naganoteru
0