CAMP「アートの未来:作品体験とアーキテクチャ」12/23
星野:1893年タゲレオタイプの一般化。副菜が増えるに連れ、直接体験の重要性が前景化。ベルグソン、フッサールなど直接性に対するオブセッションが盛り上がってくる。 #mgntcs
2009-12-24 01:07:49星野:1939年「アヴァンギャルドとキッチュ」(グリーンバーグ)。モダニズムとは支持体というメディウムの問題だった。 #mgntcs
2009-12-24 01:09:061839から2009「直接経験へのオブセッション」、1939から2009「直接的に構成するものとしての支持体」。 #mgntcs
2009-12-23 16:00:28星野:作品を「直接体験する」ということは、そもそも存在しない。むしろ、無数のインターフェースに支えられて、作品体験が成立している。 #mgntcs
2009-12-24 01:10:56星野:参考文献として、Barbara Maria Stanford のEcho Objects、Roma Chandran, Daniel Denettなどへの言及。脳科学、認知科学は作品体験のインターフェースという議論と一致する。 #mgntcs
2009-12-24 01:12:48星野:ハードウェアとしての脳:マラブー『新しい負傷者達』、ソフトウェアとしての脳:レフ・マノヴィッチ『ソフトウェアを支配する』。 #mgntcs
2009-12-24 01:14:23「直接」というのは、より「直接的」というように「介在するレイヤーの少なさ」を志向する際に使われる言葉だと思う。
2009-12-23 16:03:54※『メディアは存在しない』のことかな?Amazon.co.jp: メディアは存在しない: 斎藤 環: 本 http://bit.ly/8j67sr
2009-12-24 00:15:06@masmt 僕が言いたかったのはコレ。http://bit.ly/8TmPFe
2009-12-24 00:19:03おおっキットラーですか! RT @nnnnnnnnnnn @masmt 僕が言いたかったのはコレ。http://bit.ly/8TmPFe
2009-12-24 01:06:17そういえば星野君が話すのを前回聞いたときも地下だったな。企画者も同じだった。地下が好きなのか。
2009-12-23 16:05:54インターフェースが問題になるとき、実は「歪み」を問題にしているということなのではないだろうか。
2009-12-23 16:07:24↓と言ってしまうとプロセスにしか着目していない。結果や瞬間的な出会いのレイヤーを無視している、、、。
2009-12-23 16:08:33展覧会で作品に向かい合うときの情報量と、複製技術を介して作品に触れるときの情報量とは、その「多さ」のレイヤーが違う。
2009-12-23 16:10:40星野:複製図版による作品体験と、実物を見ることによる作品体験は何が違うのか?実物を直接体験するほうが情報量が多いという話に過ぎない。 #mgntcs
2009-12-24 01:15:40星野:梅沢和木の作品は画像をブラッシュ・ストロークとして使っている。ここから、mashup・MAD的な認知モデルの可能性が志向できる。そもそも認知はMAD的なものではなかったか。つまり認知とはインターフェースの重なりだったのだ。 #mgntcs
2009-12-24 01:17:44星野:菊地成孔『アフロ・ディズニー』では、映画は視覚と聴覚を一度分断したあと、再接合するものとして捉えられていた(編集のこと)。では、21世紀のアートはやはりMAD的なものとなるだろう。 #mgntcs
2009-12-24 01:19:49マッシュアップとMADのちがいって、わかるようでパッと言語化できないなあ。でもイメージ的にマッシュアップのほうがおしゃれで、クリエイティブなかんじがする。#mgntcs
2009-12-23 16:11:42