諸葛亮死後の蜀漢の政治の流れについて
せっかくなので、ここ数日のツイートをまとめてみた。
諸葛亮薨去前後の混乱から姜維がトップに立つまで。
Jominian
@Jominian
@Mar__sch そう。凄く強固なのです。あと、姜維が陳祗と誼を通じたのは、彼が有能で大抜擢されたからと言うのもありますが、諸葛亮を知らないという事も大きいと思います。変に諸葛亮を知っていると、その幻想に囚われてしまいます。姜維(と陳祗)は、諸葛亮の幻と戦っていたと言えましょう
2011-11-16 20:47:02
Jominian
@Jominian
費禕のやり方は、姜維を漢中に置き、ある程度自由にさせ、自身は極力成都にいる方法。と言っても、費禕は3年程度漢中にいた。姜維の攻勢に多少なりとも勝機があったからだろう。面白いのは、呂乂が名声を失墜した時期は、費禕が成都を離れ、呂乂が留守を守った時。考えるに値する事象である
2011-11-16 20:53:08
陸合
@Rieg__Goh
@Jominian 姜維を掣肘した費禕がまさに諸葛亮の幻影に囚われていた人ですものね。諸葛亮の弟子と世間で言われる姜維の実態が理解できつつある気がします。
2011-11-16 21:01:16
Jominian
@Jominian
@Mar__sch 姜維も諸葛亮から多くを学んだでしょうから、弟子には違いないと思います。ただ、世間で言われるような関係ではないでしょうね。弟子の全てが師に似るわけではない、という事でしょう。
2011-11-16 21:08:53
Jominian
@Jominian
「我らは丞相に及ばない…」ってのは、北伐そのものの成否もそうだが、国をまとめる力についても言ってそうだ。「蒋エンのようになりたいのか」と費イは警告してるんだよ。姜維はその費イの予想の上を行った。費イの信頼する陳祗を抱き込んで。
2011-11-16 21:33:41
Jominian
@Jominian
姜維が陳祗と結び付き政権を安定させた裏に、蒋エンの存在があったら胸熱だよね。蒋エンの最後を看取った時に、信頼できる者に成都を委ねるよう遺言されるわけだよ。自分は諸葛亮になれなかったが、姜維にその夢を託すわけだ。その場に蒋斌も居ると尚良い
2011-11-16 21:40:23