ポリコレムーブを「差別」からひも解く
- mamiananeko
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実際には「真に受け続ける」ケースはそう多くはないだろう。 現実との整合性を考えれば「ソーシャルアート」の世界に住み続けることはできない。 だが、現実との整合性を考えるのが不得手で、かつ、学業優秀な場合は、ソーシャルアートの世界から離脱しにくくなることは十分にありうる。
2023-07-08 02:30:57「教育はリベラルアーツである」を言う教育学者もいるので、被教育者がそういった思想に嵌ってしまうことは避けがたい部分もあろう。 amzn.to/44gH4ls
2023-07-08 04:13:49さらに、”現実との整合性を無視しさえすれば”、物質的に豊かな社会にあって「輝ける自分とそれを取り巻く社会の物語」を紡ぐことは、さほど難しくはないだろう。 社会構成主義という便利な思想もある。 「陶酔型リベラルアーツ市民様」はこうやって出来上がるのではないだろうか。
2023-07-08 04:23:12彼らは、「輝ける自分」でありつづけるためには、差別的でなく平和的な「善き思想」を掲げ「善き事」を行う。 少なくともそう信じているかのように動く。 「輝ける自分」と連帯する声は「善」であり、批判は全て「悪」であり「罪」であるという構図ができる。
2023-07-08 17:36:00「悪」は断罪されねばならない。 「輝ける世界と連帯する者(する筈の者)」に対して責任や罪を問うことはできないし。批判者の正当性を認めることはできない。 「謝ったら負け」ではなく「謝ったら世界が崩壊」なのだろう。
2023-07-08 17:51:57「対話の思想」と責任の希薄化
こういった世界観の中に安住しようとすると、法治主義的・罪刑法定主義的に「責任」が強固に設定される世界は都合が悪くなってくる。 「責任の希薄化」が必要になってくる。 この「責任の希薄化」に都合が良い考え方は既にいくつか提供されている。
2023-07-08 17:56:581)責任主体の「共同化」。 「市民派」の活動団体において「共同代表」が並ぶというケースは少なくない。 また団体化しない活動においては「呼びかけ人」として代表を設定しない場合もある。 archive.md/VeL1b nbk.or.jp/about-us/ prtimes.jp/main/html/rd/p… norikoenet.jp/about_us/repre…
2023-07-08 18:12:442)法治主義的・罪刑法的主義的「責任」の無意味化 法治主義的・罪刑法的主義的「責任」概念そのものが、近代資本主義社会の成立に伴って生まれた非人間的な概念であるとする言説である。 『責任の生成-中動態と当事者研究 國分功一郎・熊谷晋一郎 新曜社 2020』 amzn.to/3pxNFsT
2023-07-08 18:33:20人間的な世界にしていくために「”責任”は、対話、応答に回収せらるるべき」ということである。 國分功一郎氏が本気でそう考えているかはいささか疑問である。 2022年9月の「国葬を考えるシンポジウム」特設サイトは「404notFound」だ。 utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2022/09… jcp.or.jp/akahata/aik22/… pic.twitter.com/hP52hWEMsh
2023-07-08 19:02:55去年東大で行われた「国葬を考えるシンポジウム」は、「考えることが重要」を説きながら、学問としてやるための時期設定と人選、方法については、考えることを放棄した政治思想優先の企画だったと思うわね。 twitter.com/mamiananeko/st…
2023-07-08 19:24:16発信者の「責任」をうやむやにするために都合のよい「対話」しか求めていないのではないだろうか。 ちょっと長いが動画↓ ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_1989/
2023-07-08 19:12:051)「責任」の分散化・共同化 2)「責任」概念の変更、対話・応答への回収。 この二つ、及び、「自己の当事者化」によって「陶酔型リベラルアーツ市民世界」の崩壊を回避することが、言語論理の上では可能になる。 もちろん、こういう世界観を求めない多くの人にとっては通用しない話である。
2023-07-08 22:20:27”(市民派が)傷つかないやさしい世界”を拡大していくには、「被差別者(discriminationの意味での)」の範囲の拡大をして「当事者(B)」の裾野を拡げていくのが望ましいということなのだろう。 「”当事者化”人間行動科学」といったものも登場。 tojishaka.net/about-us/ pic.twitter.com/o3rbo1aVUT
2023-07-08 23:04:04「当事者化促進プログラム」の開発も視野に入っているようである(もちろん当事者(B)である)。 手法としては、1950年台「綴り方生活指導」にあった「苦悩の物語を綴らせる」の延長線上にあるもので、自己開示要求を含むものである模様。 先行した取り組みは下記だろう。 pic.twitter.com/C3TgPfg9k2
2023-07-08 23:43:56市民派はなぜ差別に着目しやすいのか?
彼らは、現実生活の中で「満足感」が少なく「不満感」をつのらせやすいのかも知れない。 戦後のメディア空間は「素晴らしい活躍」「素晴らしい世界」が多数紹介されるようになった。 物語の中に自分を投影しやすい人ほど、現実の自分に立ち返ったときの落差は大きくなるだろう。
2023-07-09 00:23:45さらに教育、こと作文や生活指導においては 「抑圧を認識して生々しく表現せよ」といった指導が一時期流行もした(北方綴り方からの流れ)。 歴史も「権力の抑圧⇒打倒の物語」が主軸として扱われやすかった(いわゆる進歩史観)。 疑いを持たなければ”そういうもの”と理解しやすい。
2023-07-09 00:33:29そして、左派勢力が何につけ「権力の横暴」を叫ぶ。 地域格差においてはその差異を「搾取」と見る見方もあったし、フェミニズムにおいては、家事労働を金銭換算して経済的搾取に投影する向きもあった。 ”差別/discrimination”は、見つけてしかるべきもの、という位置づけになり易かった。
2023-07-09 01:02:39「格差=搾取=差別」といった単純な図式をうっかり内面化すると、何もかもが「差別:discrimination」になってしまいやすくなる。 「対価」と「日々の糧を得る”稼ぎ”」を分けて考えなと、この罠にはまりやすいように思う。 pic.twitter.com/SgQJI6ZqXf
2023-07-09 01:25:14産業構造の変化、人口分布、社会の安定度、メディア状況、その他さまざまな要素によって「対価」への期待も、「稼ぎ」への渇望も変化するだろう。 もちろん個々人のおかれた状況や性格によっても変化するものだ。
2023-07-09 01:41:53こういった複雑性を考慮せずに「格差=搾取=差別(discrimination)」といった構図に当てはめて解釈すると言説が多く流布してきたのが戦後日本の状況である。 「被差別感」を持つ人も増えるだろうし、「差別(discrimination)」は見出されやすくもなる。
2023-07-09 01:48:56国民の「対価への期待」「稼ぎへの渇望」といった非常に複雑な変動要素を持つものを、そこそこ満たしながら、よりマシな方向へ導くのが「政治」の役割である。 思想・メディア言説的な部分で厳しい状況にあったことを考えるに、戦後30年くらいは、政治はもそこそこうまく回っていたのだろう。
2023-07-09 02:15:06しかし、今日のメディア状況やポリコレムーブ、キャンセルカルチャーなどを見るに、思想・言説空間において、あまりに単純な「差別(=搾取)からの解放」の物語を基礎とした言説をなかなか淘汰できなかったことの害は大きかったといえるだろう。
2023-07-09 02:26:33