西域の遥か彼方から「空飛ぶ車」が伝来し、驚愕した殷の初代湯王が破壊して隠した「車」とは、草原地帯で発明されたばかりの二輪戦闘用馬車のことだった!?

ユーラシア草原地帯で家畜化/発明された「馬」「車」(荷車・戦車)は、殷代以前の中国にどんのような方法で、いったい誰が伝えたのか?
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河東竹緒 @rivereastbamboo

春秋時代の戦が戦車戦というのは中国史好きの常識ですけどじゃあなぜ戦車つまり馬と車輪という丁零=テュルクみたいな習俗を取り入れたのかは謎で ・そもそもが遊牧系 ・遊牧民から戦車だけを摂取した など想像の余地が多々ございますのよぬ 春秋時代から遊牧民とは接触していたハズなのですぬ(・_・; twitter.com/nurhici_null/s…

2023-07-01 02:07:51
哲拳ヌルヒチ @nurhici_null

商王朝(殷王朝)は古代中華世界に戦車戦術を導入した。サラッと流されがちだけど、これはとんでもない事態だ。現にそれより少し前の西方世界ではヒッタイトやミタンニ、カッシートなどが戦車を用いてオリエント諸国を次々に滅ぼしていき、文明を激しく動乱させていた。

2023-07-01 00:06:36
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@rivereastbamboo 騎乗自体は古くからあったと見られてますが、青銅器時代に騎兵よりも戦車が先行して普及するのは、家畜としての馬の改良が進んだ結果(改良前の馬は騎兵戦闘に不向きだった?)という説もあったようです。外国の研究のようなのでよく分からなかったのですが。

2023-07-01 02:21:04
河東竹緒 @rivereastbamboo

@fushunia かなり早い時期に農耕民にも騎乗や車輪利用が広まっていた……?🤔

2023-07-01 02:28:27
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@rivereastbamboo そもそも、馬と車と牧畜と小麦農耕を周辺に伝播させたのは、ユーラシア草原地帯の牧畜農耕民ですので、遊牧というのは農耕が脱落した形態です。

2023-07-01 02:31:03
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@rivereastbamboo 殷周時代の出土史料に外敵として記されてて、宮城谷昌光とかの昔の小説だと騎馬遊牧民として描写されてた人たち、騎馬遊牧民だった根拠な無くて、そうした人たちの遺跡の李家崖遺跡とかだと城郭があります。牧畜農耕民だったはずです。遊牧適応は気候変動の結果だともされてるようでして。

2023-07-01 02:36:21
巫俊(ふしゅん) @fushunia

スキタイより以前の、青銅器時代以前の草原地帯の研究があまり紹介される機会が無い理由、草原地帯が好きな人は遊牧民が好きなので、その遊牧民が元々牧畜農耕民で、環境の厳しい場所で徐々に遊牧適応したことに興味が持てないからなのかもしれないと思ってます。

2023-07-01 02:41:48
巫俊(ふしゅん) @fushunia

興味が持てないってことは無いかもしれないですけど、「典型的な騎馬遊牧民」(スキタイは鉄器時代の騎馬遊牧民なので意外と起源が新しい)とは性質が違うので、どんどん遡って興味を゙広げるより、匈奴から突厥とか清朝の時代の遊牧民に向かうことの方が多そうに見えてました。

2023-07-01 02:46:17
巫俊(ふしゅん) @fushunia

鉄器時代になると、文字史料とかも充実しますが、トルコ系の遊牧民が中世の頃に分布を拡大させる以前は、ユーラシア草原地帯の言語は農耕民も遊牧民も同じ印欧系言語で、神話も同系のものがありました。

2023-07-01 02:49:38
巫俊(ふしゅん) @fushunia

ユーラシア草原地帯に共通の文化が広がったのは、牛が牽引した荷車の普及で、人間が生存可能な面積が飛躍的に増えたことにあります。荷車に飲料水を積めば荒れ地を横断して農耕と放牧に適した場所を探せるからです。環境の厳しい場所に進出すると農耕が脱落しますが、まだ部分的な適応でした。

2023-07-01 02:53:51
巫俊(ふしゅん) @fushunia

遊牧適応が起こった理由として、4200年前頃の「気候乾燥化」により、草原地帯の農耕が可能なスポットが減少していったとか、馬を含めた家畜の管理数の上限が増えて、集団の規模も大きくなり、騎馬遊牧化が起こったと説明されてたことがありました。

2023-07-01 02:58:06
巫俊(ふしゅん) @fushunia

騎乗も遊牧(よく考えると遊牧って定義が曖昧な言葉です)も古くからありましたが、初期の馬は戦闘には向かなかったりします。それにユーラシア草原地帯に車を使って広がった農耕牧畜民が登場するのは5500年前頃ですが、荷車を軽量化した戦闘用馬車が出現するのは4000年前なので、1500年も間があります。

2023-07-01 03:02:25
巫俊(ふしゅん) @fushunia

ただ、馬の家畜化は草原地帯の複数の場所で発生したとの説もあります。よく分かって無いだけで複雑な構成の人たちがいて、遊牧寄りだったり農耕寄りだったりのグラデーションで分布してた上、移動するからそれらの人たちは繰り返し混じり合ったりしてたはずですね。

2023-07-01 03:07:43
巫俊(ふしゅん) @fushunia

なので、荷車だとか青銅器、馬車を中国に伝播させた人たちも、当然のように騎馬遊牧民だったという訳では全然無くて、殷周時代の中国北辺のそうした集団の中には城郭を構えてた人たちがいた例がありますし(李家崖遺跡)、グラデーションの人たちが東方まで来た訳です。

2023-07-01 03:10:47
巫俊(ふしゅん) @fushunia

西晋時代の文献の『博物志』には、「西域の遥か彼方から機械に巧みな民が「飛車」に乗ってやってきた。殷の湯王は驚愕し、その空飛ぶ車を破壊して民に見られないようにした」という記述がありまして、紀元前2000年頃にカザフスタンのシンタシュタ遺跡で発明された二輪戦闘用馬車の伝播の記述かもです。 twitter.com/nurhici_null/s…

2023-07-01 03:16:33
巫俊(ふしゅん) @fushunia

『博物志』は西晋時代に、正史『三国志』の作者陳寿の上司にあたる政治家の張華がまとめたとされる文献で、古代ローマのプリニウスの『博物誌』を彷彿とさせる内容を含むというか、『博物誌』という言葉は、この張華の『博物志』より始まる発想の概念を西洋の著作に適合させた訳語と言えます。

2023-07-01 03:22:42
巫俊(ふしゅん) @fushunia

『博物志』には、中国西北にあった「西夏」という古い国の記述があり、宋代の西夏とはほぼ関係は無いのですが、西夏は、西晋時代に出土した戦国魏の墓に眠ってた周王の西域旅行伝説集の『穆(ぼく)天子伝』にも記述があるので、この空飛ぶ車の話も戦国時代の史料を引用してる可能性はありそうです。

2023-07-01 03:27:24
巫俊(ふしゅん) @fushunia

二輪戦闘用馬車(戦車)の殷における普及が殷代後期なのに、殷の湯王は中国の初期青銅器時代にあたる殷代前期の人なのですから、この空飛ぶ車の記述は、史実そのものと見ることはできませんが、殷の初代湯王は紀元前1500年頃の人なので、戦車との接触が無かったとまでは言えません。

2023-07-01 03:31:30
巫俊(ふしゅん) @fushunia

同じく戦国時代の文献の『山海経』には、騎馬遊牧民を神話伝説化したと見られる下半身が馬の人間が北方の世界にいるとの記述があります。そうだとしたら、戦車も草原地帯で使われ続けてた訳ですから、空飛ぶ車の話が出てきても不思議では無いです。徒歩に比べると、空を飛ぶように早いのが馬車ですので

2023-07-01 03:35:40
巫俊(ふしゅん) @fushunia

殷の湯王の6代前の祖先だとされる伝説上の人物の「上甲」は、草原地帯の印欧語族と同系の始祖神話(奪われた牛(荷車牽引用の牛)を取り戻した英雄だとされる)の主人公でして、しかも、その牛は草原の民の祖先に飼育委託中に奪われたものだと、戦国以前の文献に伝わってました。 twitter.com/fushunia/statu…

2023-07-01 03:42:44
巫俊(ふしゅん) @fushunia

それで、考えてきたことは、以前にもツイートしましたが、草原地帯の印欧語族の最古の神話として復元された「マヌ・エモ・トリト」が、古本『竹書紀年』に出てくる殷の祖先「上甲」の復讐物語と一致してる上、第2代綏靖天皇による、生母を奪って即位しようとした異母兄への復讐とも一致していました。 pic.twitter.com/5xVcdEqISa

2023-05-17 20:03:20
巫俊(ふしゅん) @fushunia

2022年より高校の新科目になった「歴史総合」の案内として一般向けに出版された、 『わたしたちの歴史総合 第一巻 さまざまな歴史世界 一七世紀以前の世界史(1)』(渡辺信一郎) にも、先史時代の草原地帯の遊牧化の過程(元々は農耕もしてた人たちが広く分布してた)に触れた記述があったはずです。 twitter.com/fushunia/statu…

2023-07-01 04:35:41
河東竹緒 @rivereastbamboo

@fushunia なるほどですね…確かに中国史好きですと外敵=遊牧民と考えがちですが氐羌や稽胡などは一概に遊牧民とは言えませんし、それは殷周時代も同じなんですね、勉強になりますm(_ _)m

2023-07-01 07:23:53
巫俊(ふしゅん) @fushunia

これから読みます。楽しみな本ばかり。 pic.twitter.com/SwAm3hmt3O

2023-07-01 21:03:04
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

@rivereastbamboo 氐は典籍記述の誤解から生まれた集団名で、羌は途中で別の集団に入れ替わったので先秦の羌とはほぼ無関係であることが考古学でも示唆されてるらしいです。

2023-07-01 22:57:33
巫俊(ふしゅん) @fushunia

天山山脈への家畜羊の到来時期とか興味深い…いい本見つけました。このところ馬とかの古代の本よく出てて嬉しい限り。

2023-07-01 23:25:26
河東竹緒 @rivereastbamboo

@fushunia 氐は『毛詩』に「彼氐羌」という用例がありますけど実態が判然とするのは前漢期以降ですのでなんだか変な感じなんですよね……羌族は逆に活動期間が長すぎて殷周交替期から五胡南北朝期まで同一かと言われれば確か怪しいです(-_-;)

2023-07-02 10:44:17