魔王×勇者は第二の「嫌韓流」か
- crowserpent
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軍服姿のキャラが経済やら歴史やらの講義をしてくれるサイトなんて作ってるやつも読んでありがたがってるやつも全部バカ。という趣旨の発言を一年前くらいにした覚えがあるけど、バカでしかも悪。まおゆうも同じ文脈で悪なのでゎ。歴史修正と植民地主義の欲望を肯定する経済学ていうか。
2010-05-17 11:07:28このサイト2001年だから嫌韓流どころか小泉訪朝よりも早いんだ。植民地主義肯定と歴史修正と近隣国差別の欲望を「軍服姿の知性」が慰めてくれる最悪なサイトなんだけど、ここが果たした役割大きいと思う→http://maa999999.hp.infoseek.co.jp/
2010-05-17 11:29:42http://twitter.com/hokusyu82/status/14109996693 予想される反論「んー、馬鹿にしてるっていうか、成長を暖かく見守るって感じかな」ふざけんな。それがどんだけどんだけのことかって分からない奴は今すぐ死んだほうがいいよ。
2010-05-17 11:18:22まおゆうのマクロ的構造を見ると、精霊が求める「終わらない世界」にはマルサスの罠とでも云うべき成長の限界があって、それゆえに「循環する世界」=「文明の興亡を繰り返す世界」になってる。そのループを線的発展ベクトルによって突破しようとする構造がある。
2010-05-17 11:20:23んでまあ線的発展ベクトルというものが極めて近代的な代物で、現代からは疑問視されるものであるのだが、その辺は中世から近世への発展として描かれたことを含みに入れないとちょっとずれる。中世の「マルサスの罠」を農業革命から始まる社会変化で突破することそれ自体は、正義といって概ね問題ない。
2010-05-17 11:25:54そういう問題設定が恣意的であり、現代的な問題を反映しておらず、ゆえに現代にそのような物語は無効である、というような謂も勿論ありうるが、ここで重要なのは「閉塞した世界を突破するためのビジョン」を持つ視点と、それを現実にするための意志が称揚されていることであり、これは割と普遍的命題。
2010-05-17 11:30:43社会批評とか文明批評とかそういうことは全くの本筋でなく、停滞の突破ということにどれだけ真剣に取り組めるか、というお話としてまおゆうはあるわけ。ここで重要なのは、善悪二元論とかすら「停滞」のモチーフでしかない、ということ。
2010-05-17 11:33:41この手のサイトについて、内容面でのデタラメを指摘することも重要だろうし、そういう情報も並んでた方がいいとかいう考え方もあるだろうけど、そもそもこの口ぶりに「共感できる自分」を見出したなら、それはもうサイトの記述が「たとえ全て真実だとしても」裁かれなければいけない。
2010-05-17 11:35:52つか、少年少女が出会って、この息詰まる/行き詰まった世界を変えてみたいと思った、という話を支えるモチーフでしかないのね、ほとんどのネタが。で、そのネタが陳腐なのは、前にも云ったように「高速化」のために既存データベースから臆面も無く引用をしまくってるからなんだけど。
2010-05-17 11:36:41んでまあ、その引用の体系自体が悪い、というのは――つまり21世紀にもなって啓蒙主義かよ、というお話については、もうちょっと考えてみたいところ。「啓蒙の弁証法」とか。
2010-05-17 11:40:39まおゆう賞賛記事きもいよー。リンダキューブとかも関係してくるんだ。あれは奇想を売りにしたゲームだからってことで設定自体いちいち問題にされない安全なとこにあったと言っていいと思うんだけど、まおゆうと一緒に引きずり出してきちゃうのとか無自覚にやるとこ含めて一貫してしょうもない。
2010-05-17 11:54:34#maoyu あと、よく混同されるのは「その作品そのもの」と「その作品の拠り所となる思想」の違いで、批判もごっちゃになりやすい。まず第一に「物語と思想は別問題」なのだけど、ある思想が答えになりえない(もちろん対立概念も答えにならない)というのは当たり前なので思想論は分けてやるべき
2010-05-17 12:07:16Kanon的問題は鬼門なんだけど、ふるり先生の謂を借りていうなら「誰かが救われるためには、必ず他の誰かが犠牲にならなければならない」的価値観の悪を突破する物語としても、まおゆうは存在しているわけです。とか。(オブジェクトレベルでは)
2010-05-17 11:59:25メタレベルで云うと、まおゆうという物語が提示してくるものは植民地主義や歴史修正とはあまり関わってこないと思う。あえていうなら「オーバーナレッジによる優越感確保」が精神的に植民地主義的、とは云えるかもしれない。(これはオブジェクトレベルでも魔王の言動に散見される)
2010-05-17 12:03:31この「オーバーナレッジ視点から自らを正義、発展段階的に下位のものを不正義とみなし、啓蒙を行う」というやっかいな問題は、ジェイムズ・ティプトリー・Jr「スイミング・プールが干上がるころ待ってるぜ」に出てきた脳天気な線的発展論者の主人公のそれに合い通ずる。
2010-05-17 12:05:33メタレベルにおいて、線形発展を素直に受け入れるようなタイプの人間は、基本的に線形発展の中途段階にあるものを「見下す」――あるいは差別的に、あるいはパターナリズム的に。その見下す視線と、オブジェクトレベルでの勇者や魔王の行動とが混同されると、自己の倫理が肯定される快感を得られる。
2010-05-17 12:12:37本来線形発展自体が批判的に彫刻されるべき問題で、なおかつそれに自らの倫理を重ね合わせるとかどうよ、という、読み手への批判は可能。おそらくそういう結託は意図的に選択されたものではないのだが、とはいえそういう読み方も十分にありうるテクストとしてまおゆうはある、と云える。
2010-05-17 12:15:51もしそのようなメタレベルの問題も解消した「政治的に正しい」テクストたらんとすれば、線形発展史観やそれを内包する己の倫理自体に対する懐疑的視点を常に持っていなければならない、ということにはなるかなあ。
2010-05-17 12:20:49@crow_henmi いや、全体の0.1%ぐらいしか読んでないんだけど、amamako君も指摘するように、世界の説明として統計が持ち出されるやり方とか事実の提示の仕方とか、明らかに嫌韓流や歴史修正主義の作法にのっとってますよ。アレはそのような文脈に漬かった人でないとできない、
2010-05-17 12:26:52まおゆうにおいて、オブジェクトレベルでの魔王と勇者の関係がメタレベルにおいて読み手とそうでない人間との関係に摩り替わって知的優越感を覚える構図、というものがあることに思い当たった罠。まおゆうフィーバーもその延長線上で、要するにおまえら得々と魔王みたく語りたいんだろう感。
2010-05-17 12:34:37あと、「何かを助けるためには何かを擬制にしなければならない」世界を否定するために「何かを犠牲にすること」を甘受しなければならないというねじれ方についても考えたが、まおゆうは比較的そういうねじれは少ないか。
2010-05-17 12:36:15「嫌韓流」ですら日韓友好をうたっている。しかしそれは「日本の(歴史的)責任」をいっさい骨抜きにしたうえで、すべての問題を韓国に押し付け、日本は手を差し伸べる「よき隣人」として描かれるような世界観においての「日韓友好」である。
2010-05-17 12:36:50