「リベリア紛争を乗り越えた女性たち」 - ミアタ・ロバーツ・サーリーフさん

「リベリア紛争を乗り越えた女性たち」 ミアタ・ロバーツ・サーリーフさんのゲスト講演 @ngalyak さんによる実況ツイート @京都精華大 続きを読む
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HOSOKAWA Komei @ngalyak

【ミアタさん14】 装飾品をつけず、結婚指輪も外した。裳に服するときの腰布をまとって行動した。デモをすると「反政府」と見なされる危険はあった。平和のために自分の命を犠牲にする危険はあったが、行動したかった。平和なかたちで行動したかった。

2011-11-29 13:50:05
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【ミアタさん15】 リベリア各地、道路が寸断されて、全国的な運動は難しかった。首都モンロビアの女性たちが全国の女性のかわりに行動した。北からきた女性たちは難民センターにいた。兵士からの脅しも乱暴もあった。何万人という女性が集まった。

2011-11-29 13:51:59
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【ミアタさん16】 女性達は手分けして、国連、大統領官邸、国会などへ。口をきかないデモ。夜なべしてプラカードを書き、無言デモをした。町の人たちは、こいつら何をしてるんだといぶかった。モンロビアの町が白衣の女性で埋まった。米国大使館前は白衣の無言の女性で囲まれた。

2011-11-29 13:53:48
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【ミアタさん17】 ひとつスローガンがあった。ちょっとやってみます。call: Women, all women. (response: Women!) call: Don't sit down, do something! 兵士は戦争するが、女は子供を育てる。

2011-11-29 13:55:24
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【ミアタさん18】 自然のゆたかな資源をつかって、子どもたちの食べ物をつくり、育てる。これをスローガンに、座り込み続けた。2003年6月、モンロビアは二分、停電、空港閉鎖、餓死者続出。政府軍と反政府軍の銃撃つづいた。遠くからミサイルも飛んできた。

2011-11-29 13:57:12
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【ミアタさん19】 そんな状況でも女たちの座り込み続いた。国連がようやくリベリアの状況に関心示すように。2003年6月の攻勢はひどかった。NGOスタッフも散り散りになった。学校も病院もサッカー場もすべて難民センターとなった。飲み水なく子どもたち死んでいった。

2011-11-29 13:59:04
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【ミアタさん20】 アメリカ大使館経由でジャーナリストの取材を受けた。内戦の本当の現状を知っている人と話したい、ということだった。政府・反政府、どちらに近づいても危険だった。女性は、少女たちまで、レイプされた。各地で葬儀が毎日おこなわれていた。

2011-11-29 14:00:56
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【ミアタさん21】 外国のジャーナリストの取材を受けるということは命の危険をおかすことだった。でも受けた。人々の側に立ちたいと思った。99年に日本に滞在中、多くの平和活動家と知り合った。ガンジーやキング牧師のことも学んだ。今が私のそのときだ、と思った。

2011-11-29 14:02:36
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【ミアタさん22】 インタビューはアフリカ各地を始め、BBCやCNNにも流れた。それを機に、多くのジャーナリストがリベリアに来るようになった。停戦協議がおこなわれるとき、女性リーダーが必ず参加を求め、平和的な行動を続けた。その姿勢は今も続いている。

2011-11-29 14:04:16
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【ミアタさん23】 停戦後、2005年に女性大統領がえらばれた。いま復興のときにある。ほとんどの若者は教育を受けていない。停戦をもたらした平和活動は、いま復興のための平和活動になった。国のゆたかな資源をどう活かすか。若い人たちが大切な存在。

2011-11-29 14:06:18
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【ミアタさん24】 破壊することは簡単だが、もとに戻すことは本当に難しい。心に傷おっている人多い。発展していきたいのだが、持続可能なやり方でないといけない。日本はよく発展している。昔は日本のようになりたいと夢見ていた。いろいろな人と話すうち、見方かわってきた。

2011-11-29 14:07:37
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【ミアタさん25】 311震災の前の週に、二度目の来日。福島の状況を見て、「日本ほど発展しなくてもよいのかも」と思うようになった。放射能の問題を目の当たりにして、電気でゆたかに暮らしたあとに何がくるかを考えるようになった。ちがう形の発展を考える。

2011-11-29 14:09:15
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【ミアタさん26】 放射能は見えない敵。でも毎日たたかわないといけない。それでも原子力を立てるという選択を皆さんはするか? リベリアはそうはしない。アフリカに帰ったら、電力の問題について、もっと学びたい。原子力でない方法にチャレンジしたい。それは日本の若い人にとっても..

2011-11-29 14:10:42
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【ミアタさん27】 同じチャレンジのはず。日本はほんと便利です。食べ物もある。でも、ずっと持続できる豊かさだろうか。ガンの罹患率がどんどんあがっている。日本の人参もキャベツもほんとにきれい。だけどその裏にあるものを見ないと。発展は誰のためのものか?

2011-11-29 14:12:16
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【ミアタさん28】 関西には東北の情報あまり入ってこないかもしれませんが、福島の子どもたちの状況を思うと、私は心が痛む。汚れた土壌で食べ物をつくらないといけない。また事故がおこったら、命は継続していけるのだろうか。

2011-11-29 14:13:40
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【ミアタさん29】 私はリベリアに帰って、持続するゆたかさを平和なかたちで探したい。皆さんはどのような将来を日本で作っていきたいですか? 以上、ミアタ・ロバーツ・サーリーフさんのお話。(会場拍手)

2011-11-29 14:16:46

質疑

HOSOKAWA Komei @ngalyak

学生との質疑が続きます。Q:奴隷が帰国して、なぜ上の階層になったのですか? A:米国での奴隷解放後、教育も受け、商売の才覚もあった。リベリアは植民地化されていなかったので、地元民はヨーロッパ流の経済や技術を身につけていなかったので、帰国組のほうがすべてで優位に立った。

2011-11-29 14:23:54
HOSOKAWA Komei @ngalyak

質疑続き/ Q:サーリーフ大統領はじめ、リベリアの女性達がノーベル平和賞を受けたのは、どうして? 今日の話をきくと、ミアタさんが平和賞をもらってもおかしくないけど。A:受賞した一人は白衣の女達の運動をともにした人なの。

2011-11-29 14:26:58
HOSOKAWA Komei @ngalyak

質疑続き/ Q:内戦に外国の干渉は? A:Looooong story! アフリカ全体で複雑な内戦の連鎖。私たちは本当には独立しきっていない。資源の価格を決めるのはアフリカではない。アメリカの影響も強い。

2011-11-29 14:33:33