闘戦経から始まる兵法話

江戸期も今も、「日本独自の~」好きな人多いのね。 しかし日清・日露戦争に勝利した日本陸軍は、翻訳教範で学んでいたのだった・・・
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名無し整備兵 @seibihei

洋式兵学を取り入れた兵学には、他に長沼流がある。甲州流兵学が「武略・智略・計策」を重視するのに飽き足らず、現実の合戦の様相を追及した学派である。このため火器の用法等の西洋流兵学を早くから取り入れた実戦的兵学だった。

2011-11-27 01:36:35
名無し整備兵 @seibihei

長沼流兵学にせよ、荻生流兵学にせよ、新たな知識を入れない限り陳腐化するのは避けられないし、実際江戸後期には「長沼流兵書は・・・虚文多くして実武少なし」と評されることとなった。とはいえ、幕末の洋式兵学はこのような実用的な思想から受け入れられることになる。

2011-11-27 02:04:59
名無し整備兵 @seibihei

山鹿流兵法について蛇足。明治41年に山鹿素行の兵法を刊行・普及する「素行会」が結成された。発起人は東郷平八郎、乃木希典、井上哲次郎等。

2011-11-28 01:18:11
名無し整備兵 @seibihei

背景としては、日露戦争の勝利の要因を「我が国独自の武士道」に求める見方があった。井上哲次郎は「武士道叢書」の編纂も手がけている。

2011-11-28 01:20:05
名無し整備兵 @seibihei

荻生徂徠は日本の戦い方を「短兵独闘」と批判した。ところが、これがどうしたわけか「白兵使用は我が国人独特の妙技なり」と言われるようになる。これが精神主義と相まって、「根本主義」の中の「白兵主義」として採用されたのが明治42年の歩兵操典。

2011-11-28 01:26:45
名無し整備兵 @seibihei

逆に、荻生流兵学は「中国崇拝」「功利主義」と批判されるようになる。「中国(外国)崇拝」はともかく、用兵は「功利主義」でなければおかしいんじゃないだろうか。

2011-11-28 01:29:35
名無し整備兵 @seibihei

吉田松陰は芯舐める・・・じゃなかった、山鹿素行を「先師」として崇拝しつつ、しかし「西洋流でなくてはとても勝ち申さず」と現実的なところを見せている。後世の精神主義とは一線を画している。

2011-11-28 01:32:59
名無し整備兵 @seibihei

昭和初期の日本の兵学思想が「我が国独特の尊王思想+武士道」に固執していった一つの要因、または誘因として山鹿流兵法を見るのも、日本的戦争観を探る一つの見方になるかもしれない。

2011-11-28 01:50:52