時点と時空位置の形而上学

@iklog氏の論考「死の害の形而上学」(『科学基礎論研究』39-1)に対する@autochromatics氏の疑問から始まり,@at_akadaも交えてなされた議論のまとめ.(最後に同論考への@at_akada氏の疑問とそれへの回答も収録.)
3
OGU_MIN @autochromatics

@iklog 確かに困るでしょうね。あえてもう少し踏ん張ってみると、その場合には、四次元主義を採用して、「私ワームにはのんびりしているという性質が帰属される時間部分がある」など、量化がかかっているものを時間内の存在者に読み替えるという解釈になるのでしょうか。 @at_akada

2011-12-01 17:19:32
OGU_MIN @autochromatics

@iklog 「太郎ワームにはパンを食べているという性質をもつ時間部分が複数あり、かつ、私が太郎と出会ったのはすべてそれらの時間部分が属する時点においてである」とか。明らかにかなり強引ですが・・・。 @at_akada

2011-12-01 17:21:35
is @iklog

@autochromatics なるほど。確か中山先生も、宇宙の時間切片を時点の代わりに使っていたような。ただ、四次元主義は、むしろ時間の空間化の極限みたいな立場でもありますよね。@at_akada

2011-12-01 17:28:52
OGU_MIN @autochromatics

@iklog なるほど。空間化された時間については、そうした語り方で不都合が生じない(モデルと実在の食い違いを示す現象が存在しない)ので、それを文字通りの時間に対する語りとみなしてよい(よく出来たモデルだとみなしてよい)、という正当化はできるかもしれませんね。 @at_akada

2011-12-01 17:55:51
is @iklog

@autochromatics あ、もちろん時間の空間化をより強く拒否して、現在主義のようなタイプの時間論を採用する道を取るのであれば、(少なくとも現在以外の)時点は文字通りには存在しないと論じることはまったく可能だと思います。@at_akada

2011-12-01 18:00:19
is @iklog

@autochromatics 私は永久主義者なので、ちょっと偏りがありそうです。@at_akada

2011-12-01 18:02:21
OGU_MIN @autochromatics

@iklog @at_akada 現在主義を採用しても、「現在という時点は存在する」とは言わなければならないのですね。ううむ。ともあれ、長々とお付き合いありがとうございました。ちなみに、私も「アメリカはアメリカにある」が有意味であるのは読み替えて理解されるからだと思います。

2011-12-01 19:10:19
at_akada @at_akada

@autochromatics @iklog 一応強弁すると、「xは位置pにある」は、「xはpとオーバーラップする」と理解されるのではないかと思うんです。そして位置pはp自身とトリビアルにオーバーラップするので、「位置pが位置pにある」が真であると言えるのではないかと。

2011-12-01 19:16:37
is @iklog

@at_akada @autochromatics うーむ、そうであるとすると我々はみな現時点とオーバーラップしていて、従ってみんなが部分を共有していることになりませんか。

2011-12-01 19:18:52
is @iklog

@autochromatics こちらこそありがとうございます。蛇足ですが、現在主義において「現在が存在する」は、恐らく永久主義で「現時点が存在する」とは全然違っていて、全く空間化されない特別なものが存在することになるのではないかと思います。@at_akada

2011-12-01 19:21:39
at_akada @at_akada

@iklog とりあえずさっき考えてたのは空間的位置についてのみです。時点については、時点を、同時刻の世界全体と考え、われわれはみな現時点の(それぞれ別の)『部分』とオーバーラップすると考えれば問題はないでしょう。 @autochromatics

2011-12-01 19:41:50
is @iklog

@at_akada なるほど。それはそのとおりですね。では、物質的対象と時空位置を同一視するという立場に陥るのではないかという懸念はどうでしょう。@autochromatics

2011-12-01 19:44:21
at_akada @at_akada

@iklog 時空位置を空間的領域と同一視はしてると思います。しかしそれ自体はそれほど奇妙な主張ではなく、むしろ区別する方が「時空位置」という奇妙な対象の存在を許す、問題含みの存在論だと言えないでしょうか。 @autochromatics

2011-12-01 19:50:34
is @iklog

@at_akada おお、ぐっとラディカルにw。私は別個の対象が時空的に一致する可能性を認めるので、そこは受け入れられないところですねー。@autochromatics

2011-12-01 19:53:38
OGU_MIN @autochromatics

明日のゼミ発表準備があるので傍観者モードにシフトいたします。

2011-12-01 19:58:28
at_akada @at_akada

@iklog 一致を受け入れても、そこから空間的領域と区別される「位置」の存在を受け入れるべきという結論はすぐでてきませんよね。空間的領域と「位置」にどういう違いがあるか、結構難しい気がします。 @autochromatics

2011-12-01 20:03:57
is @iklog

@at_akada ええと、誤解してたかもしれないので確認させてください。太郎がぴったり位置している空間位置Pを考えると、太郎は時空位置と完全にオーバーラップしていることになりそうですが、この時太郎と時空位置は同一ではないのでしょうか?

2011-12-01 20:10:57
at_akada @at_akada

@iklog 太郎が時空位置と同一であるという主張は、肯定も否定もしてませんでした。

2011-12-01 20:13:13
at_akada @at_akada

@iklog (以下話をとりあえず空間に限定しますが)、主張したのは、(1)位置を空間と同一視する、(2)「xはpに位置する」を空間pとのオーバーラップによって分析する、という2点です。(1)(2)の帰結に、「位置pはp自身に位置する」という、「位置の反射性」があると思います。

2011-12-01 20:16:22
is @iklog

@at_akada なるほど。すると一致する対象の問題は別にしたほうがよさそうですね。とはいえ太郎が空間位置を部分に持つことは認めてよいですか?

2011-12-01 20:17:10
at_akada @at_akada

@iklog そうですね。「オーバーラップ」は部分の構成関係によって理解するのが通常でしょうから、認めてよいと多います。

2011-12-01 20:18:58
is @iklog

@at_akada 私も(1)は認めているので、問題は(2)ですね。(私は、空間位置について、それがどの空間を占めるかを問うのは意味がないという立場を(行きがかり上)とっていますが、それは別に空間位置と空間領域を区別しているわけではありません。)

2011-12-01 20:19:49
is @iklog

@at_akada ええと、「〈xがpに位置する〉は非反射的(irreflexive)だ」という私の主張が間違っている可能性はありそうですが、〈xがpに位置する〉をオーバーラップで解釈するのは厳しくないですかね。「太郎が太郎の部分に位置する」とかが真になりそうですし…

2011-12-01 20:40:48
at_akada @at_akada

@iklog それが奇妙にみえるのは「太郎の部分」ということで太郎の身体を理解してるからであって、「太郎は太郎の部分である空間に位置する」と補足するならば、そこまで変ではないと思います

2011-12-01 21:22:55
is @iklog

@at_akada ええと、ちょっと確認。「xはPに位置する」を「xはPとオーバーラップする」と同義と見なすのでしたっけ?

2011-12-01 22:30:29