- southmtmonk
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(申命記15:1-9)「七年目の負債免除の年が近づいた」と、よこしまな考えを持って、貧しい同胞を見捨て、物を断ることのないように注意しなさい。その同胞があなたを主に訴えるならば、あなたは罪に問われよう。
2011-12-01 21:03:39ルカ書の祈りの方の「負債」は(いわゆる新約聖書はギリシア語原典(多分)ですから)ギリシア語では「ὀφείλω」という言葉を使って表現されています。
2011-12-01 21:13:43申命記の方について言う前に、新共同訳でなく新改訳の訳文を引用しておきますw /申命記15:2「その免除のしかたは次のとおりである。貸し主はみな、その隣人に貸したものを免除する。その隣人やその兄弟から取り立ててはならない。主が免除を布告しておられる。」
2011-12-01 21:17:39所謂旧約聖書の原語はヘブライ語ですが、七十人訳聖書のギリシア語では、この貸したもの、負債を指す表現が「χρέος ἴδιον ὃ ὀφείλει σοι」というもので、先のルカ書の祈りの方(あっちの正確な語形はὀφείλοντι)と同じ言葉が使われてはいると見て取れると思います。
2011-12-01 21:22:01まあイエスが実際どう言っていたかはさておき、同じ伝統の下にあの祈りは出ている筈ですので、金銭的なメタファがあの祈りには含まれているというのはさほど間違っていないのではないかと思います。多分。
2011-12-01 21:26:30まあ、専門の聖書学者の方はアラム語(シリア語)新訳聖書とヘブライ語聖書を引き比べて、もっと正確なことを言えると思いますが……っていうか多分そういう研究もうあるのではないかとは思いますが……
2011-12-01 21:27:12まあそんなわけで、財貨のやり取りを基盤にした表現は、古代から宗教的言説においても重要な位置を持ってきたのですねー、って、そういう話です。 (注:話の発端は、中国の僧伝やチベット密教にも負債っていう表現が使われるって話を見たことです)
2011-12-01 21:37:31『宋高僧伝』巻二十三遺身篇を見ると、「釈鴻休」「釈全豁」の二名が「賊刃」に斃れた例として挙げられる。そして、両者とも死後荼毘に付され、舎利を出したとされている。
2011-12-01 21:50:54後者は禅僧の厳頭全豁かな。 RT @busterbonze: 『宋高僧伝』巻二十三遺身篇を見ると、「釈鴻休」「釈全豁」の二名が「賊刃」に斃れた例として挙げられる。そして、両者とも死後荼毘に付され、舎利を出したとされている。
2011-12-01 21:54:28前者の釈鴻休は黄檗山に住まっていた修行僧で、生前から「宿債は須く償うべし」と述べていた(とされる)。また、後者・釈全豁は経律を修めた後に徳山宣鑑という禅僧に参じ、その後は山居していたそうな。
2011-12-01 21:55:01「剣解」であれ「借金の返済」であれ、立派(であると目された)坊さんが非業の死を遂げた際には、やはりそれ相応の意味づけが必要とされたんですナー。「人間、死ぬ時には死ぬよネ。ああ無常無常」で、納得できる人はそれほど多くない――むしろ少ないんであります。
2011-12-01 22:05:01「遺身篇」だけを読んでいると、死にたがり屋サンばかりが沢山登場してくるので、セーシン衛生上オススメできません。実にサツバツとしてきて実際ブッダシット。
2011-12-01 22:16:15高僧伝三本の「遺身篇」を読んだ際の資料があるんだけど、職場に置きっぱなしである。とはいえこのネタは、これ以上掘り下げても空気が重くなるだけだからここまでやね。
2011-12-01 22:25:07手元に『付法蔵因縁伝』があったのでザッと読み返していマス。コレなどは、「仏教の正統な伝承は断絶しちゃいました☆」と述べるところに目的があるので、その意味で結末部分が非常にサツバツとしていマス。
2011-12-01 22:30:07