アゼルバイジャンは中世に移住してきたトルコ系の人たちの国家とされますが、アゼルバイジャンの国名自体は、古代のアケメネス朝の総督の名前に由来します。その総督はアレクサンドロス大王に降伏し、領土の南半分を失ったが、北半分は残ったので、そこがアゼルバイジャンと呼ばれるようになりました。 pic.twitter.com/V8ZvnrEKuO
2023-09-22 02:11:4117世紀前後のイラン・サファヴィー朝に帰順していた西北イランのトルコ系諸集団が、その言語・文化的な共通性からアゼルバイジャンと呼ばれたが、1826年にロシア帝国と戦争したイラン王朝(トルコ系遊牧集団が建国)は、アラス川以北の「北アゼルバイジャン」をロシア帝国に奪われてしまいました。
2023-09-22 02:46:47その北アゼルバイジャンに成立したのが、旧ソ連の構成国だったアゼルバイジャンで、ソ連から離脱して現在のアゼルバイジャン共和国を構成してます。そのため、現在のイラン側にもアゼルバイジャンと呼ばれる地域があります。
2023-09-22 02:51:38なのでペルシャ語だとアーザルバーイジャーンになります。 炎(アータル)の守護者/〜によって護られた という意味。 国章にも永遠の炎が描かれてます。 twitter.com/fushunia/statu… pic.twitter.com/2WXU6urowq
2023-09-22 13:14:10アゼルバイジャンの国名の起源は、古代のアケメネス朝ペルシア帝国のメディア州がやたらと広く、アレクサンドロス大王の征服以降に分割されて、その北半分が大王に降伏した人物であるメディア州総督アータレパータÂtarepâtaの領土になったことに由来します。これは「火の守護者」を意味する名前でした pic.twitter.com/yQhEzsiqJp
2023-09-22 12:11:48アゼルバイジャンの首都バクーの近郊にあるスラハヌの拝火教寺院だそうです。 ※フリー素材 pic.twitter.com/4V04DSo5E2
2023-09-23 03:12:21アゼル人の中にはたまに「az(少ない)+ər(男)+ bay(豊か)+ can(心)」とテュルク語彙に分解できるからテュルク起源だとか言う人がいるが、「can」はそうではないし、そもそもただの駄洒落なので信じてはいけない twitter.com/fushunia/statu…
2023-09-22 14:49:56前回の記事(2020年のナゴルノ・カラバフ紛争当時のもの) 「ユーラシア大陸を横断して古代日本にまで伝来したアルメニア・アゼルバイジャンの「幻のコムギの民」の農耕と八千年の歴史」 ↓リンク togetter.com/li/1621376 pic.twitter.com/AfP4XlJcda
2023-09-23 02:36:14@fushunia 歴史的な名称変遷は、 メディア>メディア・アトロパテネ>アトロパテネ>アゼルバイジャン ですね。歴史的アゼルバイジャンとはほぼアゼルバイジャン国とイランの東西アーザルバイジャーン州の領域です。
2023-09-22 23:10:04@fushunia 歴史的アゼルバイジャンは、パンノニア平原や六盤山と並んで、私が「騎馬遊牧民の不沈空母」と呼んでいる中規模草原の代表的なもので、中央ユーラシアの大草原地帯で形成された遊牧国家規模の遊牧集団は、これを足掛かりにすることで農耕地帯へ踏み込んだ軍事侵攻が可能になっていました。
2023-09-22 23:14:31@fushunia つまり、ヨーロッパに侵攻したフン帝国やアヴァール帝国、マジャル国がパンノニア平原を、中華世界に侵攻したモンゴル帝国が六盤山を軍馬の大群の駐屯する不沈空母としていたのと同様に、西アジアに侵攻した遊牧集団は歴史的アゼルバイジャンを不沈空母として足掛かりにしていたわけです。
2023-09-22 23:16:24@fushunia ですから、西アジアにメディア人などのイラン系集団(アーリア人)が支配権を確立した時も、アナトリアやイラン高原にトルコ系の遊牧集団が地歩を築いた時も、足掛かりとなったのは、歴史的アゼルバイジャンでした。
2023-09-22 23:17:58@fushunia ちなみに、今のトルクメニスタンの草原地帯からコペトダグ山脈を越えてイラン高原に侵入してアルサケス朝パルティア王国を建国したイラン系遊牧民パルニ族はコペトダグ山脈南麓を勢力圏としていた時期には弱小勢力に過ぎませんでしたが、
2023-09-22 23:24:55@fushunia ここからじわじわ橋頭保を西に伸ばしていき、歴史的アゼルバイジャンの草原にアクセスすることで一気に強大化してイラン高原からヘレニズム国家セレウコス朝をたたき出し、帝国化を成し遂げています。騎馬遊牧軍事力にとっていかに歴史的アゼルバイジャンが重要なのかを示す好例です。
2023-09-22 23:27:32@fushunia これがアルサケス朝の首都圏構造です。 コペトダグ山脈山中のニサに最初に拠点を築き、そこから次第に橋頭保を西に伸ばし、アケメネス朝以来のイランの帝国のトライアングル首都圏の歴史的アゼルバイジャンを扼するエクバタナにアクセスするに至っている様子が見て取れます。 pic.twitter.com/pO9C6TVmss
2023-09-22 23:40:37@fushunia 古代イラン帝国のトライアングル首都圏 ①金属鉱物資源のサプライを扼する青銅器時代のエラム王国の地域(スーサ) ②農業生産と商工業を扼するメソポタミア南部(バビロン→クテシフォン) ③歴史的アゼルバイジャンの騎馬軍事力駐屯地を扼するエクバタナ
2023-09-22 23:47:56@Clunio 詳細なご教示、ありがとうございます。出てくる国や集団は入れ替わって行きましたが、「アゼルバイジャン」という言葉から、現在進行形の世界情勢だけでなく、古代に遡って何かを拾い出せる体験ができた気がしまして、興味深かったです。
2023-09-23 00:31:24アゼルバイジャンは、中央アジア及びコーカサスの歴史を話すときに、その一国として語られる印象がありましたが、日本からは遠く、最近の戦争、とくにドローンを使った戦術によって知られるようになった気がします。実はこの国(地域)がアゼルバイジャンと呼ばれるようになったのは、19世紀からでした。 pic.twitter.com/HqN95LDcjy
2023-09-23 16:01:35アゼルバイジャンを貫くクラ川の北の「シルヴァン」や、イラン側に続く南の「ムガン平原」などがあり、すべてを合わせる名前は無かったとされてます。そのため、必要とされて引っ張り出された言葉が「アゼルバイジャン」で、アレクサンドロス大王に降伏したアケメネス朝のメディア州北部を指す言葉です
2023-09-23 16:15:54アケメネス朝の州を記した地図を見る限り、やたら広いメディア州と、その北に小メディア州があり、その「小メディア州」にアゼルバイジャン・グルジア・アルメニアの大部分が入っています。アゼルバイジャンの南辺が大きい方のメディア州に入ってますが、アゼルバイジャンはメディア州北部を指します。
2023-09-23 16:31:56この本来の、というか、旧ソ連国家の「アゼルバイジャン共和国」とイラン側の「アゼルバイジャン」(歴史的アゼルバイジャン、南アゼルバイジャン)の同一性が強調されるのは、中世以降、騎馬遊牧民の突厥の仲間にあたるトルコ人がこの範囲に居住するようになり、イラン王朝の軍事力を担ったからでした。
2023-09-23 16:37:36しかし、この歴史的アゼルバイジャンを中心とした地域で形成されたトルコ人勢力は、イランに王朝を建国してその軍事力を担う傾向にあったので、自分自身を呼ぶ言葉を探し、自立を模索したときには、イランが戦争でロシア帝国に敗北し、2つに切り離された状態でした。
2023-09-23 16:51:29狭い意味でのアゼルバイジャンは、アケメネス朝のやたら大きな方のメディア州の「メディア州部」のことなので、トルコ人の居住地=アゼルバイジャンの指す範囲が少しづつ拡大して、現在のような、野心と野望が掻き立てられる「大アゼルバイジャン思想」が生まれました。
2023-09-23 16:56:41ただ、アゼルバイジャン共和国の大部分は、アケメネス朝の小メディア州で、アケメネス朝はその前の政権のメディア王国に取って代わった帝国だった訳ですから、アケメネス朝の認識でも、アゼルバイジャン共和国の範囲までが「大小のメディア」だった訳です。
2023-09-23 16:59:26紀元前1世紀のローマの歴史家ストラボンの『地理誌』によると、アルメニアの「オルキステネ州」は馬の産地だとされ、騎兵の供給元だったとのことです。オルキステネ州は、古代アルメニア王国のアルツァフ州 (現在のナゴルノ・カラバフ)だとされ、カラバフ馬は19世紀のヨーロッパでも人気の馬だったとか
2023-09-23 03:55:47