ただ、繰り返される戦争で、カラバフ馬は激減し、戦闘を避けて放牧地を移動するなりして、流産するなど、劣悪な環境で飼育されてたそうです。
2023-09-23 03:58:36このアケメネス朝のメディア州がやたら広い理由を調べてたら、(現在のアゼルバイジャンはロシア帝国が奪った北アゼルバイジャンで、イラン側に南アゼルバイジャンがあるから、分割されまくってるけど)メディア州北部の歴史は古代アルメニアの歴史とも絡んでて、入り組んでそうでした。 twitter.com/fushunia/statu…
2023-09-22 12:43:39アゼルバイジャンの国名の起源は、古代のアケメネス朝ペルシア帝国のメディア州がやたらと広く、アレクサンドロス大王の征服以降に分割されて、その北半分が大王に降伏した人物であるメディア州総督アータレパータÂtarepâtaの領土になったことに由来します。これは「火の守護者」を意味する名前でした pic.twitter.com/yQhEzsiqJp
2023-09-22 12:11:48アルメニア共和国の首都エレヴァンから見たアララト山 ※フリー素材 pic.twitter.com/QWk5cxkGw9
2023-09-23 02:17:01まずアルメニアに関してですが、 地理上、印欧語族によるかなり初期の王朝であるヒッタイト王国の影響を受けやすい場所にありました。 pic.twitter.com/mkWdendaBP
2020-08-17 19:43:23ヒッタイトは複数の言語を話す民族が混淆して出来た国で、ヒッタイト人やルウィ人などは印欧語族に属するアナトリア語派の言語を話していましたが、 よりメソポタミア寄りに住んでいたフルリ人やウラルトゥ人は別系統の膠着語を話し、系統不明のこれらの膠着語はコーカサス語族と関係があるのでは?
2020-08-17 19:43:23と一説には仮説づけられています。 このフルリ人の神がヒッタイト王国でも崇められたのが雷神テシュブです。 彼は両刃の斧を持ち雷鳴を轟かせる勇ましい神で、牡牛に跨る姿で描かれています。 pic.twitter.com/ncYYrbavc4
2020-08-17 19:43:27しかしさらに面白いのはここからでアルメニアは地理上、印欧語族の中でも東南方面に進出した一群であるアーリヤ語派と関係が深く、ゾロアスター教神話を受容した、と言う一面です。
2020-08-17 19:43:28アルメニアはウラルトゥの時代からミタンニ王国の時代に支配層であった印欧語族、特にアーリヤ系の一派の影響を受けますが、特にメディア王国やアケメネス朝が成立してペルシャ系文化の強い影響を受ける様になるとパンテオンが一気にゾロアスター教化します。
2020-08-17 19:43:28ウラルトゥ系の神でヒッタイト系の影響が強かった=アナトリア半島系の古い印欧語族の神々であったハルディ、テイスパスなどは脇に追いやられ、
2020-08-17 19:43:29アフラ=マズダがアルメニア化したアラマズダ、アナーヒターのアルメニア形アナーヒトなどが信仰される様になります。 ですが一方でウラルトゥ系の主神ハルディに女神と化したアフラ=マズダ?であるバグマシュトゥが配偶するなど両パンテオンが融合すると言う現象が起こります。
2020-08-17 19:43:29そしてもう一つ特徴的なのは、アルサケス朝〜サーサーン朝の正統ゾロアスター教では悪魔ダエーワと化したデーヴァ神族が、アルメニア・ゾロアスター教神話では、デヴと言う空気から作られた下級神となり完全には悪魔化しなかった点です。
2020-08-17 19:43:29加えて、イスラーム化語、イラン・アーリヤ人の仇敵となったアラブ人の王として『シャー・ナーメ』では描かれた邪竜ザッハークが、 アルメニア神話版では初期ペルシャのライバルであったメディア王として描かれており、 印欧祖語の時代はクロニクルの悪役であった蛇が明確に敵対民族の王になって
2020-08-17 19:43:30アルメニアの歴史を調べると、神話も入ってきて錯綜としてまして、「アルメニア語」「アルメニア人」の成立過程も「大昔からずっとアルメニア人だった」では語れない錯綜とした記述があるようです。これは紀元前の頃、中国が春秋戦国時代だった頃の「錯綜」です。よく知られるアルメニア史はローマ以降
2023-09-22 12:57:40その辺を調べてると、紀元前9世紀に新アッシリア帝国が進出した「マナの土地」まで遡り、その人たちは「マンナエ」とも呼ばれてて、 「「アルメニア」という名前は、「ḪARMinni」、つまり「Minniの山」に由来する可能性があると一部の学者によって理論化されています。」hmn.wiki/ja/Mannae
2023-09-22 13:04:35このマンナエの集団が居住してたのが、現在の南アゼルバイジャン(イラン側の領土)で、アゼルバイジャン共和国(北アゼルバイジャンの国家)や現在のアルメニアに接してる地域でした。ここにアララト山のアララトが出てくるのも興味深いですが、アシュケナズは現在のアルメニアに進出してたスキタイだとか
2023-09-22 13:17:27このイラン側のアゼルバイジャン(南アゼルバイジャン)には、イラン及び中東最大の塩湖の「ウルミア湖」があるが、水量が減って消滅の危機にあるそうです。
旧約聖書にも出てくるマンナエ(ミニ)の人たちの居所は、このウルミア湖周辺だったとされます。マンナエは、アララトと呼ばれた人たちや、アシュケナズ(=スキタイ)とともにメソポタミアのバビロンを攻めたと聖書に書かれてます。
「マンナエの山」が「アルメニア」って言葉になったって説は興味深くて、アルメニア人の自称は「ハイ」だとされ、国名もアルメニア語では「ハヤスタン」です。
つまり、アルメニアとは外部からの呼称なのですが、そうするとアルメニアは「マンナエの山の方」って意味の外から呼ばれた呼称に由来するのかもです。
なお、この「ハイ」はヒッタイトという意味だとする説もあります。アルメニア語とヒッタイト語は少し離れた関係の言語なのですけど。
聖書では、マナ・マンナエは、「ミニ」の音で記録されてました。旧約聖書の「エレミヤ書」によると、アララテ、ミニ、アシュケナズの国の軍を集めて、バビロンを攻めたとあります。メディア人の王もバビロンを攻めたと一緒に記述されてるようです。このマンナエ(ミニ)は、系統不明の集団だとか。
2023-09-22 13:14:10このアシュケナズって言葉は、スキタイからスラブ人、ドイツ人を指すように代わり、ドイツや東欧に居住してたユダヤ人を指す「アシュケナージ」の語源になってます。聖書に出てくるイスラエルの言語の表現が使われてる訳ですね。
2023-09-22 13:19:29ソ連・ロシアがカフカスのアルメニア周辺に影響を及ぼしたり、色々あったりしてるように、モンゴル帝国のモンゴル人もまた、カフカスに進出し、その先鋒がグルジアを略奪すると、アルメニアは逃げてきたトルコ系集団がモンゴルに抵抗する拠点にしようとした他、アルメニア人もそこにいたとか。
2023-09-10 16:55:34モンゴル人の中には、ネストリウス派キリスト教が広まってたので、アルメニアの教会は破壊を免れ、修道院や聖職者は税を免除されたし、アルメニア商人は元朝の大都(北京)に支店を置くほどになるが、1300年頃までにイル・ハーン国がイスラム化し、アルメニア人は再び異教徒として扱われたそうです。
2023-09-23 00:50:21@fushunia ネストリウス派キリスト教徒と言えばプレスター・ジョンの伝説ってありましたね モンゴル帝国がホルムズ朝のようなイスラム国家を滅ぼしたので、最初ヨーロッパ諸国はモンゴル帝国はプレスター・ジョンの国でキリスト教徒を助けに来たと思ったとか
2023-09-10 19:40:39マッツ・G・ラーション『悲劇のヴァイキング遠征 東方探検家イングヴァールの足跡』によると、北欧から出発して世界各地に向かったヴァイキングは、東方ではカスピ海の南岸(現在のイラン北部沿岸)まで到達したと示す記録があるそうです。ただ、現地のセルジュークが強くて目立った成果は無かったとか
2022-05-27 13:04:11