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.@KTetsuro 純粋に鑑賞することができなるなる、という原理的な意味で、作者であっても解釈を語るべきではないのだと思います。でも現実に語ってはならない理由は、それ以外にはないと思います。
2011-12-04 12:22:36![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@KTetsuro カサハラさんが大好きな不完全さは、作品解釈の多様性ですよね?作者の解釈すらも、一解釈であって正解ではないという意味だと理解したのですが(^_^)
2011-12-04 12:24:42![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@KTetsuro いや、私の自分の口調がきつめに見えてたらと思ってです…。文字って難しいなと思って。
2011-12-04 12:25:31![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@KTetsuro 私も宮崎監督には、そう思っていません。やっぱりあれだけ受け入れてる方々がたくさんいるので、その方々の評価の方が強いですよね。
2011-12-04 12:27:33![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@KTetsuro これは構造主義だとかポスト構造主義だとかにも関わってくる話で・・かのロランバルトが「作者の死」を告げたように、解説による価値の規定化は作品の真実とは必・・ああ背伸びしたんで続きませんw作者の意図を理解する楽しみもあれど個々の印象を大事にする柔軟性も大事ですよね
2011-12-04 12:29:39![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
うー、伝わらない歯痒さっ(笑)「不完全さ」と「作者による解釈するべきか論」は全く別です。RT @t_rkd: カサハラさんが大好きな不完全さは、作品解釈の多様性ですよね?作者の解釈すらも、一解釈であって正解ではないという意味だと理解したのですが(^_^)
2011-12-04 12:29:50![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
作品が不出来で不完全で、でも伝えたいことはメチャクチャ伝わって、別媒体でそれを作者が解説することで作品の足りなかった部分が補完されて、「ああ!なっとく!」と、さらに好きになる。そんな出来損ないっぷり炸裂な作品、全然アリ派ということです。@t_rkd
2011-12-04 12:33:22![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
わぁ…むずかしー!ごめんなさいっ!(笑)RT @tonnpuku1: @KTetsuro これは構造主義だとかポスト構造主義だとかにも関わってくる話で・・かのロランバルトが「作者の死」を告げたように、解説による価値の規定化は作品の真実とは必…
2011-12-04 12:34:30![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@KTetsuro だって「作品内ですべて語っちゃたら」次回作はあり得なくなりませんかね? そこんところ、そう主張する人はどう考えているんだろ
2011-12-04 12:40:47![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@t_rkd あ、もちろんサトウさんに「そういう不完全な作品を好きになるべき」とか「サトウさん達も作品を積極的に自己解説するべき」とかいうことでは、まったくないです。お分かりかとは存じますが、一応念のため…。
2011-12-04 12:42:55![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@KTetsuro テツローさんが「不完全さが大好き」と返されたもとのツイートが,作品の完全不完全じゃなくて(私も最初そう思ったのですが),解釈が不完全と書かれたものだったんですよ。http://t.co/My8748bI それでちょっとした食いちがいが
2011-12-04 12:44:47![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
きっと「全て語れないので次回作があるのだ」とお答えになるかと…。や、たぶんですが。RT @KitiCookie: だって「作品内ですべて語っちゃたら」次回作はあり得なくなりませんかね? そこんところ、そう主張する人はどう考えているんだろ
2011-12-04 12:44:57![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@KTetsuro @KitiCookie その作品で語るべきことは語り尽くすけれども、人が人生において語り尽くすことは発生しないと思います。
2011-12-04 12:47:29![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@KTetsuro @KitiCookie 追記するならば、同じテーマを同作者が扱ったとしても、そこに経年による自己の変化と内省や、過去の作品への意見が反映されて全く違う作品が生まれると思います。
2011-12-04 12:49:47![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@KTetsuro かの大先生だって終わった作品に何回も手を入れているという例などを見れば、その作品で全て語れていないと言うことになるような…
2011-12-04 12:51:16![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@KTetsuro その楽しみは賛成です。私も大好きです(^_^)私が言った不完全さは解釈の方です。極端に言えば、ナウシカは実は男なんだ、と宮崎監督が解説しても、作品中に言及されていなければ、解釈として不完全と言う意味です。
2011-12-04 12:52:25![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@KTetsuro 山本直樹氏が「作品について、自分からは解説しない」と昔インタビューでおっしゃっていて(理由は失念;)、潔いなぁと思った覚えがあります。でも、それはジャンルによるものかなとも……。
2011-12-04 12:53:12![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@m_d_d_b そうです!その続きです(^_^;)→作品中で言われていないことは、鑑賞者も作者も付け加えることはできないですよね。芸術を鑑賞するということは、その作品と鑑賞者の間に成立するもので、作者の解説は作品が潜在的に持っている解釈のタイミングや深度に干渉してしまうので、
2011-12-04 13:01:04![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
自作品の解釈について語る作者、是か非か論。①私は、これは創作物が持っている構造の問題を、2つの側面から見た意見だと思っています。創作物はそれ自体の表現の内に成立する。なので外部からの解説がなければ成り立たない「解釈」は間違っている。(続く)
2011-12-04 13:27:34