【質問】 「アラスカ作戦」って何?
- KCin_Tokorozawa
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万物は流転する
フィンランド版ノアの方舟? 「アラスカ作戦」 1940年、冬戦争もいよいよ終盤に入っていた頃、フィンランド救援基金の議長であったフーバー前大統領にある計画が提出された。それはフィンランド国民370万人のアラスカ準州への避難・移住という壮大な計画であった pic.twitter.com/e7cvSGLHXy
2022-12-29 22:53:27これはちょうどその頃、フィンランド軍が押され始め、前線も瓦解しつつあった事から、ソ連がフィンランドを占領された際にフィンランドやフィンランド人に待ち受ける過酷な運命を懸念しての人道的な目的もあったがアメリカにはその他にも狙いがあった pic.twitter.com/qNBBopYr1c
2022-12-29 22:59:391930年代、アメリカの隣国であった日本、ソ連は拡張主義の傾向を見せており、アラスカの戦略的重要性は高まりつつあった。というのもアラスカは日本から1000km、ソ連のウランゲリ島からは500km足らずであった事からアメリカが事態を把握する前に深く侵攻されるという危険性があった事が挙げられる pic.twitter.com/jE8eO58F3I
2022-12-29 23:16:11そのためにはアラスカの人口を増やし、地域を発展させる事が地域防衛にとって重要であると考えられていたが…当時のアラスカは面積がフィンランドの4-5倍であるにも関わらず、わずか6万人であり、産業は林業や漁業、鉱業くらいとなかなか発展は進まなかった(写真は当時のアンカレッジ) pic.twitter.com/Vd1JXPJFXP
2022-12-29 23:23:28そんな中、アラスカ発展のために白羽の矢(?)が立ったのがフィンランド人であった。フィンランドとアラスカはほぼ同じ緯度に位置しており、そしてアラスカの環境がフィンランドのそれと類似していたため、フィンランド人は問題なく適応できると考えられていた…(左がソルタヴァラ、右がアラスカの写真) pic.twitter.com/ulH0fdKPYI
2022-12-29 23:32:59また、以前からアラスカにはフィンランド人が一定数居住しており、現地で高い評判を獲得していた事、そして冬戦争でのソ連相手の奮戦で獲得した同情や好感、フィンランド人の冬季戦の高いスキルを軍が必要としていた事も相まって、フィンランド国民のアラスカ移住計画へ政府からも関心が示されていた pic.twitter.com/LTXOXVdSYd
2022-12-29 23:49:24フィンランド国民のアラスカ避難後の居住地に関しては、例えばポフヤンマー(フィンランド北部)出身者はアラスカ中部フェアバンクスの土地(彼らの故郷と気候がほとんど同じであった事から適応しやすいとされた)へ移住する事になっていたが、実現すれば”ニュー・オウル”なる都市が建設された可能性も… pic.twitter.com/UKCBJrMo30
2022-12-30 08:08:39ではこの計画はフィンランド人にどのように受け止められていたのか。アラスカ作戦自体、冬戦争終盤にはフィンランドで知られるようになっていたが、ある新聞では「たとえソ連が隣国のままでも、シベリアよりはアラスカの方がマシだ」とユーモアを交えて発信している pic.twitter.com/UkY7XeYQWF
2022-12-30 10:31:23この計画はフィンランド救援基金だけでなく、前述したように関心を示していたアメリカ政府内でも真剣に考えられるようになっていき、内務省は1940年初めにかけてフィンランド国民のアラスカへの避難・移住計画案をいくつか作成していたと言われており、連邦議会でも法案が審議されようとしていた… pic.twitter.com/Hx2MAIrk4W
2022-12-30 12:26:30が、しかし、いくらフィンランド人が高い評判や同情、好感を獲得していたとしても、当時のアメリカ国内が排他的な風潮である事に変わりはなかった…そのため、この法案も審議した委員会メンバーの外国人嫌いもあって結局は審議も停滞してしまう pic.twitter.com/97f7aFi643
2022-12-30 12:35:58そして冬戦争自体も1940年3月に講和条約が結ばれて終戦。フィンランドは国土の10%を失い、国民の12%が故郷を追われたものの、独立と主権の維持には成功した事もあってこの作戦は流れた……と思われていた pic.twitter.com/yOfrqdrGBk
2022-12-30 15:54:39時は流れて継続戦争末期1944年。フィンランドとの戦線で、以前よりはるかに精強になったソ連軍は大反攻を開始し、再びフィンランドは危機に陥っていた…… pic.twitter.com/kebmc3IxkG
2022-12-30 16:04:09ソ連軍の進撃は迅速であり、冬戦争では最後まで陥落しなかったヴィープリが反攻開始から2週間も経たないうちに陥落。さらに悪い事にソ連将兵の間でフィンランド人への復讐心が高まっているという情報をアメリカは受け取っており、フィンランドとフィンランド人の待ち受ける運命が懸念されていた… pic.twitter.com/xdd2HQQBm2
2022-12-30 17:01:28今回ばかりはフィンランドも持ち堪えられないだろう、そう考えていたアメリカ(ちなみにアメリカは終始フィンランドに同情的で宣戦布告をする事は無かった)は再びアラスカ作戦の検討を開始する。前回のようにアラスカの発展も狙っていたが、アメリカ軍参謀本部が主導で立案を行ったという違いもあった
2022-12-30 18:07:56しかし、フィンランド軍はソ連軍の攻撃になんとか耐え、反撃にも成功した。フィンランドの占領を狙っていたソ連軍はここにきて方針を変え、ドイツ本国への侵攻を優先した事で、ソ連とフィンランドの間に休戦条約が締結。フィンランドが再び持ち堪えた事から、アラスカ作戦はまたもや中止となった… pic.twitter.com/Q7KD0dT3zb
2022-12-30 18:41:03その後、アラスカ作戦はソ連側に内容が伝わるのを防ぐためにアメリカの金庫で厳重に保管される事になった…以上がフィンランド国民370万人をアラスカへと避難・移住させるという一大輸送作戦である「アラスカ作戦」の顛末でした pic.twitter.com/o69wYxTrpn
2022-12-30 19:24:57この壮大な計画、実現性は置いておいても、人も含めて何もかも敵に残さないという点ではある意味一種の焦土戦術のように感じました(小並感
2022-12-30 22:08:36