古賀春江の新発見資料一覧
瞑花文庫に掲載している古賀春江の新発見資料についてのポストのまとめです。
- meikabunko
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瞑花文庫
@meikabunko
古賀は1927(昭和2)年11月に神経衰弱を癒すために帰郷しており、1928(昭和3)年5月末に長崎に転地しているので、その日に実家から葉書を出したとしても不自然ではないと思われます。
2014-04-17 21:19:27
瞑花文庫
@meikabunko
出典は『烏城』第2巻夏季号です。古賀春江資料室さんによれば、「詩抄製作」の初出は1934(昭和9)年発行の詩画集のようですが、今回の出典はそれよりも早い1933(昭和8)年7月3日発行です。
2015-06-11 01:36:19
瞑花文庫
@meikabunko
『烏城』は岡山市で発行されていた美術雑誌です。厚紙に印刷されているので開きづらく、のどの付近がどうしても暗く写ってしまいます。
2015-06-11 01:37:08
瞑花文庫
@meikabunko
古賀春江(推定)のカット(『行動』第2巻第2号)を掲載しました。 sekineshoji.net/shiryo/meika/s…
2021-08-02 19:35:37
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@meikabunko
このカットにはサインがありませんが、出典の目次にカットの作者として名前が挙がっているのは、恩地孝四郎、石井柏亭、赤城泰舒、福沢一郎、阿部金剛、野口弥太郎、伊原宇三郎、古賀春江、木下義鎌(「木下義謙」の誤りか)、高畠達四郎、児島善三郎、田口省吾、陽咸二、鈴木信太郎です。
2021-08-02 19:36:24
瞑花文庫
@meikabunko
この中で今回のカットのような絵を描く可能性があるのは、古賀春江、阿部金剛、陽咸二、恩地孝四郎あたりかと思われます。しかし、阿部金剛はp.56に、陽咸二はp.20にそれぞれサイン入りのカットを描いているので、サインなしのカットを描いたとは考えにくいです。
2021-08-02 19:36:48
瞑花文庫
@meikabunko
残る2人のうち、恩地孝四郎よりは古賀春江の方がこのカットのような絵の作者としてふさわしいのではないかと思われます。以上の理由に基づき、今回のカットの作者は古賀春江だと推定しました。
2021-08-02 19:37:08
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@meikabunko
古賀春江「6月のヒトミ」(『大阪の三越』第8年第6号)を掲載しました。 sekineshoji.net/shiryo/meika/s…
2024-03-21 13:24:38