戸田先生の獄中体験と、法華経に現れる二重構造、文上と文底その一

法華経を文上と文底で読むことの違いについて説明していきます。そして、日蓮大聖人の本意は法華経を文底から読むことにあります。
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komekome39 @komesandazo

なお、池田先生のこの講義は、身延派が学会の最大の敵だった頃のもので、獅子吼の如き強烈なものだ。逆に、新・人間革命3巻のブッダの章では「その(釈尊の)生涯は、日蓮大聖人には及ばぬまでも、法難に次ぐ法難であった。試練に次ぐ試練であり、激動に次ぐ激動であった」と穏やかな表現になっている

2024-01-02 23:43:13
komekome39 @komesandazo

最後の疑問点。 法華経の文上の口決相承(インドの教主釈尊から大聖人へ) 法華経の文底の口決相承(久遠元初の自受用報身如来(宇宙の大生命体)から大聖人へ、そして自受用報身如来となられた大聖人から大聖人門下へ) ということが言えるのだが、文の底というのは法華経にはどう説かれているのか?

2024-01-02 23:59:40
komekome39 @komesandazo

このテーマがこのまとめの後半となる予定。前半のまとめこれにて終了。前のまとめの反省から、今回は長いまとめにならないために、半分に区切ってまとめることにする。

2024-01-03 22:51:48