- alicewonder113
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放射能防護のあり方を考えるとき、「市民(私たち)は、科学的見解をどう判断し、生活に取り入れるか」と考えれば、科学や科学者をどう扱えばいいのかわかる。複数見解があるなら複数提示してもらい、選択は個人の自由とする。
2011-12-17 19:09:40ただし政策は、相異なるような複数の解をもてないから、最大公約数的なものを探すことになる。これは夫婦間でも同じ話。その最大公約数的なものを、どれだけ全力で探り合えるかが、どれだけ民主的な結果を出せるかの鍵なんだろうと思う。
2011-12-17 19:11:50http://t.co/W4iAlpUS 【ふくしま集団疎開裁判】(却下)について思ったこと。昨夜も書いたように、汚染地域には三種の住人がいる。避難した人、避難したいけどできない人、避難したくない人…だ。どれかの希望を通すために別の希望を犠牲にしてよいということはない。
2011-12-17 19:54:33自分の希望と他者の希望とが利益相反関係にある場合、人間社会はこれをどう裁定できるのか…という大きな問いがある。科学的知見は有効な目安であるし、法もそう。でもいつも必ず曖昧な境界部は存在する。そこで皆苦しんでいる。今回疎開を求めた子供達もそうなのだろうね。
2011-12-17 20:10:09@minadukiG そこは議論するしかないと思うんですよね。討議デモクラシーという概念があります。民主社会は、議論しながらできるだけ多くの人が納得できる道を探ることで成り立つのだと思います。
2011-12-17 20:16:11@minadukiG 「民主主義っていうけど何がいいの?」と自問したことがあります。本を読むと「一人一人を大切にする社会」とあります。それは議論して意見をぶつけあい、他人の意見を聞く社会です。なぁなぁで黙って済ませる社会ではない。
2011-12-17 20:17:51@alicewonder113 はい。それが理想ですね。ただ、大熊町のような、汚染もひどくて住民も少ないというかなり極端な事例を見てても、選挙で意見を集約するより住民同士亀裂が深まっていくという傾向があるように思えます。日本人は民主主義が苦手なのかも…と思います。残念ですが(汗
2011-12-17 20:19:57@minadukiG 選挙は参加デモクラシーの実現方法で、討議デモクラシーはそれとは別で、議論の実施にあるそうです。ただおっしゃるようにそもそも議論が根付いていない社会なので、大熊町のような場所では特に難しいだろうことは私も予想します。
2011-12-17 20:27:10日本での集団意思決定でよく見かける例。1)各利益関係者がそれぞれ別々の方向を向いて大声で主張する(決して直接の利害関係者に向かってではない、ゆえに話し合いにはならない) 2) 1)がひとしきり終わった頃、上位の誰かが適当に1)を重み付けして結論を出す 3)皆従う こんな感じでは?
2011-12-17 20:25:27@minadukiG この問題は私も考えます。何しろ相手の話を聞かないんですよね。相手の話を聞いて、合意点を探り合う。これはどうやったらできるのか。それでも小林傳司さんが紹介していたワールドカフェでは、取材記者が驚くほどきちんと議論できていたようです。やってみればできるかも。
2011-12-17 20:29:42@alicewonder113 民主主義はそれ自体が「いいもの」なのではなく、もしも自分(だけ)が不当に扱われるという状態を避けたいのであれば、他人も等しく不当に扱われないようなシステムにせざるを得ない、という理解の仕方から民主主義を支持する。その発想がないと底支えできない、と。
2011-12-17 20:30:37@tkonai 民主主義を実現するのはとても大変なことだ、という認識が必要ということでしょうか?ただそこにあって自分の幸せに供されるものではなく。
2011-12-17 20:31:49@tkonai (あ、続きがあった)納得です。そこの発想の転換を、どう共有できるか、なんですよね。議論するときにその感覚を共有してやりたいものです。
2011-12-17 20:36:24@alicewonder113 「話し合い」にもっと価値を見出す雰囲気が欲しいですね。民主主義は時間のかかるものだという社会合意が全般的に足りてない気がします。これは国会の論議を見ていても感じますよ。
2011-12-17 20:35:56法の解釈ではなく、日本で暮らす実感としてはまさにこの、「自分『だけ』が不当に扱われない権利」が基本的人権のように思う。で、これは場面によっては「皆が苦労してる」なら「自分も我慢しないと」や「お前も我慢しろ」にとても近いという危うさ…。 https://t.co/7MBKORzg
2011-12-17 20:51:21@minadukiG ご指摘わかります。表裏だと思います。主張を出させ合う方に作用するか、主張を呑み込ませ合う方に作用するか、ここは重要な分水嶺ですが、どうにか乗り越えないと結局「日本にはデモクラシーは合わない」的な議論に落とされてしまいますね・・・
2011-12-17 20:55:42安全にせよ危険にせよ、今回のような事態での不正確な情報発信は科学者に限らず取り締まるべし、という声は結構見かけるが、私は条件つきではあるが賛成しない。公正に・「正しく」取り締まる主体があり得ない以上、情報発信の自由はむしろ最大限、積極的に担保するべきだと考える。
2011-12-25 10:51:43ただ、そのためには自由な相互批判が同時に保証されること、また発信者が発信に責任を負う…批判に晒される覚悟、誤りの修正、そして事後の検証…ことが必要になる。逆に言えば、個人の発信者が責任を負いきれない問題への受け皿が決定的に不足していることが一番の問題だろう。
2011-12-25 10:52:12市民…というより、情報の受け手の側は、広いスペクトルの情報群を取捨選択し、自分で判断することが求められる。多分、私が「取り締まるべし」に感じる違和感はそこをお上に預けよう、という意識の露呈に対してのモノだと思う。
2011-12-25 11:00:25ということで、情報発信の自由は最大限、積極的に担保されるべきなのだけど、それを集約し、整理する人たちも必要で、その人たちには、情報発信者とは別のセンスが求められる。
2011-12-25 11:06:15@A_laragi そこでSTSの出番ですよね?そういう不確実な科学的状況があって、そこで市民がどうやって判断をくだすのがもっとも民主的で合理的かという。(ここでいう「合理的」は必ずしも科学的や経済的とは連動しない)
2011-12-25 11:07:14@A_laragi 仕組みってところが問題で、これを公的資金を投入していろいろ実験したりするんですよね。政府からもその辺を期待されているはず。もちろん寄付金によるNPOのあり方も検討範囲ではあるでしょうが。
2011-12-25 11:20:05