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地震・津波で被災した酒蔵が復旧するために必要なこと@佐々木酒造店

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佐々木酒造店 @sasakishuzouten

この度の能登半島地震で被災されたみなさまに心よりお見舞い申し上げます。また現在も奔走される行政職員、救護、QoLの確保、救助捜索に尽力されている方々に感謝申し上げます。 津波で壊滅してなお今も酒屋を営んでいる自分達だからこそ発信できる経験があるのではないかと数日頭を整理してました。

2024-01-07 15:21:54
佐々木酒造店 @sasakishuzouten

被災事業者の災害復旧、酒屋についてになりますが順番に書いておこうと思います。これは2011年から復興する2019年までの自分達の経験です。 私たちの経験が被災された事業者のみなさんの復旧の可能性と新たな選択が見出せるよう、能登半島に根付く伝統と業が承継でき一助となればと願っています。

2024-01-07 15:30:34
佐々木酒造店 @sasakishuzouten

最初に、「被災した蔵は復旧できる」と思います。 すべての被災事業者の復旧について、営業していた実績があれば製造販売にかかる被災した施設設備の災害復旧事業は既に整備されており、申請するには決まり事はあるものの総事業費に対し最大3/4の補助が出され、自己資金の1/4についても先述した復旧事業が採択されれば金利無し据置有りの長期融資が受けられます。   グループ補助事業と呼ばれるものですが(検索してみて下さい)発災からだいたい2ヶ月後くらいに募集が始まります。 この事業は何度も公募されますので、焦らないでも一緒に復旧される地元事業者のみなさんと足並みを合わせて申請すれば大丈夫です。 申請のお手伝い先、相談先もきちんとありますのでご心配なく。申請に先立って、組合や金融機関、商工行政の担当窓口に復旧の意思をきちんと伝えておくことが大切です。

2024-01-07 15:57:01
佐々木酒造店 @sasakishuzouten

蔵は復旧できますが、まちがどのように復旧するのか…現地再建なのか、防災集団移転なのか、区画整理事業に入るのかどうかなどなど、ここは今後の行政と住民のみなさんが進めるまちづくりと連動するところなので、 グループ事業の内容と復旧する場所の関連性はみんなで知恵を出す必要があるかと思います。

2024-01-07 16:00:25
佐々木酒造店 @sasakishuzouten

うちなんかは被災前年度に社長が思いつきで耐震工事やって2000万くらい長期あって、それプラス3.11で短期の酒造資金もあって、と、そんな状況からの災害復旧でした。 詳細は分かりませんが、多分に酒造資金やコロナ資金等の二重債務下の中での復旧になるのかもしれませんが、復旧を具体化するにあたり金融機関や関係省庁と協議して前向きに整理できる機会があるかと思います。

2024-01-07 16:07:29
佐々木酒造店 @sasakishuzouten

1.被災の記録をとること 片付けよりもまず被害の把握、【被災の記録】写真を撮ることをおすすめします。片付けは余震が来ればまた避難しなければなりませんので💦   Googleマップなどでも確認できますがお店は盗賊に狙われますので御神体、ご先祖様や看板、大切なものの確保を優先にすると良いです。   被災記録は住所付近の被災写真、全体の被害をイメージできるよう火災保険の調査のように撮影します。施設の外観を東西南北、スマートフォンで◎。   酒屋であれば在庫の破損、流出、もろみ、貯蔵タンクの被災の様子含め、状況を関係各所に説明出来るよう蔵元や現場責任者が撮影すると良いです。アップにすると分かりづらいので「例えばパレットひとやまが⚪︎ケースで、奥まで◻︎個ありました」といった話ができるような絵で撮ると説明し易いです。   店舗、米蔵(+精米場)、釜場、麹室、仕込蔵、槽蔵、瓶詰蔵、蔵置場、蔵人のあたりば、トイレ浴室、門扉、駐車場など凡そ蔵に必要な施設、及び製造、販売に係る設備、車両、道具類、「米が蔵に入って、麹になって、酒になって分析、貯蔵されて、出荷されて行くまでの工程(副産物の酒粕含む)」をイメージして(目録台帳などあればその通り)順繰り撮影、記録すると分かりやすいかと思います。敷地内レイアウト、図面などあればなおよし。無くても後ほど自作でなんとかなります。   被災の把握をしたら、行政で罹(り)災証明書の申請受付が始まりますので、すぐ申請すると良いです。 発行が早ければ良いのですが、これで国、地元自治体の災害支援メニューが使えるようになります。関係各所で常に提出を求められたり、所持の確認があるので、沢山出して貰うと良いかと思います。電気通っててコピー使えるならコピーもOK。 施設設備、道具の目録、資産台帳の他、写真記録、り災証明書が災害復旧の根拠資料になります。これらがグループ補助申請に必要なものになります。   記録にないと復旧させるのが難しいですのでご注意下さい。

2024-01-07 16:17:02
佐々木酒造店 @sasakishuzouten

2.蔵内の被害確認 次に製品、半製品、もろみ、酒母、麹、原料米の確認。蔵内の出せる在庫確認帳簿類が破損、喪失した場合は全て現物と前回税務調査、仕込み計画からの逆算になります。 蔵置場、貯蔵タンクのある蔵、検査場や帳場が潰れてたり、倒壊の恐れがあるのなら帳簿は無理に探さなくて良いです。 崩れた屋根の下は暗くて確認できませんし、危険しかないので瓦、梁など重量物剥がした後の方が安心です。   目視で数えられる時は最初に製品在庫となっているものから確認していきます。確認した日時、銘柄、度数、瓶容量、詰口本数などの記録があれば良かったと思います。 余震が来ればまた割れる可能性があるので、すでに割れたビンは数えず、取り敢えず当日残存数を確認します。 カウントした後はタイラップでしっかりとグルグル巻きにすれば重ねても結構な揺れの地震に耐えられます。心配な時は重ねても2段、タイラップない時は平積み1段。  半製品で銘柄や度数わからん時は試飲チェックや分析で山を分けるしかないので、分析出来なければ(しばらく後になりますが)県技術センターさんへのお願い待ちになるかと思います。 蔵の外に仮の倉庫や空き地を蔵置場としたい場合、災害時における緊急の時は事後でも税務署にお話しすれば伝わります。いつ、どこの住所、敷地内のどこに何を何本置いたのか記録しておくのが大切ですが、移動優先で立会い確認は後日でした。あとから臨時の蔵置場の設置届けを出すことになると思います。   タンク貯蔵、もろみタンクなど、水平取れてるのなら尺確認しますが、横になってしまったものなど「計測できないモノは破損、流出」扱いになります。 密閉タンクが地震、津波で倒れて、中身はあるけれど計測もできない、カウントできるけど飲むには危ないと思われるモノなどなど、後日、不可飲処理して産業廃棄になります。勿体無いですが、スクラップ&ビルドに向けて必要です。

2024-01-07 16:24:05
佐々木酒造店 @sasakishuzouten

3.商品出荷について (瓶あるけれど断水してて洗えないとか、はおいといて) 容器瓶、P箱、保管できるスペースがあるなど条件はありますが、動力電源などの確保が難しい状況でも もろみを搾らなければならない時はタメで掬って袋で吊って生詰めするか、ザル濾しで濁り。ラインが無い時は手詰め打栓になるかと思います。望んだ酒にはならないかもしれませんが不可飲廃棄は免れると思います。   貯蔵タンクにある酒も社内で搾り詰められれば良いのですが、難しい場合は協力頂ける先があれば、ローリーで未納税で運び、他所のお蔵さんの設備をお借りして詰める方法もあるかと思います。   移出も電気がないからポンプ動かないという場合はタメで汲み出します。ノミはどこからか調達してこなければなりませんが、自分の場合、100回くらいやれば1800ℓくらい出せました。現場では水出ないので、道具類は別なところで洗浄消毒してから持ち込みました。   被災商品をクリーニングすれば、現製造場住所での販売は可能でした。2011年の当時ですが、3月に被災してから4ヶ月後に生酒やら貯酒の販売をしました。   ほかタンク内半製品などは、1年後になりますが蔵の解体に合わせて近くの仙台荒町の森民さんの協力を頂き瓶詰め製品化し販売しました。

2024-01-07 16:29:39
佐々木酒造店 @sasakishuzouten

1.被害の記録 2.蔵内の確認 3.製品出荷 ここまでは被災した酒蔵、住所でやれることでした。 この間も酒造組合、県技術センター、商工会、お取引先さまに事業継続の意思伝達をし、何らかのアクションを起こす度に報告、連絡、相談をしまして色々なご協力を頂きました。また県内の蔵元さまにも自らが被災しているのにも関わらず何度も助け船を出して頂いたりして、今思い出しても泣けてきます。改めて、本当にありがとうございました。   被災地は災害直後から電話繋がらないことが多かったのですが、たまたまなのか私のauは津波来てる最中も繋がったりしまして、以降もよく捜索活動の方々に使われてました。 気軽に相談できる先、手段を持っていたのも事業復旧に対して前向きになれた理由かもしれません。

2024-01-07 16:46:47
佐々木酒造店 @sasakishuzouten

4.仮設復旧(店舗と社員) 事業所、蔵のあった場所は、建屋の被害状況にもよりますが多分に営業ができない状況にあるかと思います。 佐々木酒造店の場合は津波被災で蔵が全壊しておりましたので、在庫や使えそうな道具類の全てを仮の倉庫(蔵置場)へ運び出し、細々と出荷していました。   震災から半年後くらいか被災事業者向けの仮設店舗商店街入居募集のお知らせが出まして、住所が無いと色々な手続きも進みませんので事務所機能を仮復旧しようと手を挙げました。2012年2月にオープンしたので約1年後でしょうか。 店舗では少量ですが佐々木酒造店の残る在庫と、復旧にご支援頂いたお蔵さんのお酒を取り扱わせて頂き町の酒屋としてスタートしました。仮設店舗開設にあたり、税務署さんと酒類小売店舗機能の移転など色々と相談、手続きなどをしてスムーズに段取りして頂いたのを覚えております。   今ですと、仮設店舗の内装などには多少の手出しはあるかもしれませんが、小規模事業持続化補助金など使えるんではないでしょうか。仮設とはいえ、入居するとなると年単位でいるかと思いますので看板を掲げるに相応しい店になると宜しいかと思います。 —— 雇用については、被災後に常勤雇用しているものは一旦やめて頂き、失業手当で凌いでもらい、復職については災害時における被災者雇用の補助が出たタイミングで再任用をかけました。 —— 被災したタンクから酒汲み出したり、作業したり、営業にも行くし、辞書のような書類を何冊も作ったり、終わらない交渉をしたり、雲掴むような打ち合わせしたり…するんですが、蔵元、役員は経営者であって就労者、労務者では無いのでお察し下さい。 いいんです、蔵とまちが復活すれば。

2024-01-07 17:26:28
佐々木酒造店 @sasakishuzouten

4.仮設復旧(仮設蔵と支援) 仮設店舗について先述しましたが、被災直後から「造り酒屋である以上は自醸したい」みたいなことを考えていて、事業継続をいろんなところでお話ししながら、どうしたら酒造りを再開できるかを考えておりました。 →被災地となった閖上の蔵は使えない(木造の釜場、瓶詰蔵は潰れてる、上下水道共に壊れてる、熱源無し) →復興に至るまで事業継続は必須である(信念) →移転先などのあても余力も何もない   こんな状況ではあったものの、割と早い段階で「被災事業者向けの仮設工業団地が準備されるらしい」といった話を市役所で聞いていたので、募集が掛かった時点で即入居に手を上げ、頭の中にあった「仮設環境下での酒造り」を具体化していきます。 この仮設環境での酒造りや被災蔵からの酒の救出についても県技術センターの橋本先生とやりとしており、先生のメモ(聖書)を見ると2011年5月27日。これは第1回のグループ補助が出る辺り、被災から約2ヶ月後だったかと思います。   仮設店舗にしろ、仮設工場にしろ、被災事業者の都合に合わせて公募されるものではないのですが、入居すると仮設市場、仮設団地単位での支援があったり、他補助メニューが出てきたり、いろんな情報を一早く入手することができます。   (閑話休題)  これは仮設住宅も同じです。アパートやマンションなどを仮設住宅として使える制度がありますが、支援物資の支給や災害復旧の情報伝達については(支援してくれる先や仮設住宅町内会の仕組みがそうさせるんでしょうけれど)仮設住宅の方が手厚くなる傾向がありました。   仮設事業も暮らしも、それはそれで大変なんですが年単位で何を耐えて蓄えて、どこで花開かせるかに思います。

2024-01-07 18:51:11
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佐々木酒造店 @sasakishuzouten

(続き) 仮設工場への入居を決めるにあたり、酒造りをするための設備について考えるわけですが県技術センターの橋本先生や酒造組合の伊藤先生より全国の醸造家のみなさんに「使える機材があったら被災した酒蔵に支援して頂けませんか」というお願いを発信して頂いていたところ、多くの蔵元さんから色々な機材の提供を頂きました。    あてがわれた仮設の建物は鉄板一枚の壁と天井でガランとした建物で、天井は高く、仕切りもなく、大きなシャッターが2枚、勝手口のドアひとつ、水道管は家庭用14mmの蛇口ひとつ、水場は小さなシンクのみといったものでしたが、   ご支援頂いた機材設備をパズルのピースのように仮設の建物に配置し、不足した設備の導入についてはグループ補助を(酒造組合グループで申請し2011年の12月くらいに採択だったかな)活用し、春、夏、秋と時間をかけて、ガランとしたプレファブの体育館みたいな建物に断熱ウレタンフォームを吹き、排水側溝を掘り、リサイクル可能な麹室をハクヨーさんと設計し、佐瀬式の槽、3kのステンタンク3つ、小型の重油ボイラー、冷却ジャケット、小さな貯蔵用冷蔵庫、製氷機、分析器、他いろいろを仮設蔵に組み込んで、2012年12月より仮設蔵で酒造りを始めました。 このときの総事業費は約3,000万(税込み)弱くらいだったかな。3/4が補助で1/4である700万くらいが自己資金だったと思います。「そんなんでいいんか?!」といった先輩方からのご意見もいただきましたが、あくまで本格的復興を念頭においた仮の事業として、中古でも良いものは中古で、品質に関わるものは現行品でといった選び方をした設備導入でした。 グループ補助事業は何回かに分けて申請することが可能でしたので、2012年当時は仮設事業で使う分のみの復旧し、本格的な復興のために敢えて復旧しない設備もありました。

2024-01-07 19:13:58
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佐々木酒造店 @sasakishuzouten

動力電源引いたり、水道管拡幅したり、排水側溝を掘る段取りだったり、ウレタン吹いたりー、は手出しです。 麹室の枯らし場、酛場は無く、検査場や休憩所はテント。資材はプレファブ麹室や冷蔵庫の天井屋根にといった環境でやっておりました。 pic.twitter.com/RuKdyGknZy

2024-01-07 19:24:34
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佐々木酒造店 @sasakishuzouten

5.酒屋を持続させるために (なんだか当時の資料を見直していると止まってしまいます) 正直、人の口に入っていいもんができるとは到底思えん、と先生に言われた仮設蔵での酒造りでしたが、最初は細心の注意と安心安全醸造を考慮し、協会9号の乾燥酵母を使用。幸いにして呑める酒というか、とても良い酒に仕上がり、「仮設でも酒を造ることができる」ことが分かり、以降、酒質向上、技術研鑽に努めます。 仮設蔵は酒を多く造ろうにも貯蔵スペースない。 安定して造ろうにも気温頼み。蔵の造りから言ってそもそも温度管理ができませんし、冷却ジャケットがあるものの、小さいタンクの管理であれば氷缶だけ、暖気入れようにも電気ポットや湯沸器で水作るような環境でしたので総米750kg週一本の主に純米酒の小さな仕込みでやっておりました。 ーーーーー 佐々木酒造店の被災前は宮城県には珍しく、メインが本醸造でした。これを被災後に転換し、9割型純米酒を造るようにしました。社内で反対されながら少しずつですが純米酒を造り始めていましたが、震災を機会にガラリと変えました。 これは佐々木酒造店の主だった本醸造お客様がいる沿岸部一帯がみんな被災してしまい、誰がどんな風に売って買って飲んでくれていたのか顔が分かっているくらいのお取引先さまを失ってしまったことが挙げられます。 これからのお客様は宮城の酒として呑んで頂くことがきっかけとなる、これからの飲み手を意識していかなければ、と考えて切り替えていきました。もちろん地元の味として本醸造も造り続けています。   さらに、   地酒を通して地元の特産食材を感じてもらえれば、目に見える、手に取れる、味わえる復興の味として発信し、被災地の今を感じていただけるのではないか。そうすることで地元に互助作用と好循環を生み出せるのではないかと考え「故郷に寄り添う酒」を目指して、復興はもとより、地域の食と酒の発信にも力を入れ始めます。   ・可能性のある新しい酒造りにシフト ・地元の食産業振興 ・域内コラボレーション   といったところを意識しながら、既存商品のブラッシュアップのほか、新商品を企画開発をしたり、それに合わせて新設備の導入などものづくり補助、小規模事業持続化補助を活用してを進めました。 ーーーーー   この辺までで被災から5年でしょうか。語れば長いんですが、やってみるとあっという間です。そのあっという間のあいだに、いろんなイベントや事業、チャンスが矢継ぎ早に出てくると思います。これが良いもんなのか、そうじゃないもんなのか、どっちなんだ、と反応できる感度が大切かもしれません。   いわゆる被災地特需も一瞬ですので、そこを基準とせず日々のお取引、たくさんのお客様を大切に訴求できれば本格的復興の先が見えてくるのかと思います。

2024-01-07 20:26:56
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佐々木酒造店 @sasakishuzouten

6.復旧先 先述した通り、蔵のあった土地が、現地再建なのか、防災集団移転で別な場所に集団で移転するのか、またはその両方なのか、復興まちづくりの方法で復旧先が変わってくるかと思います。 どのような復興が望ましいのか…行政が出してくるであろう素案に対する、事業者や住民の建設的な意見出しと合意形成によります。 まちを形成する先、土地の確保先がいつになるかでグループ補助申請の準備をし、酒蔵の本格的復興を計画していくことになります。   復旧の方法もいろいろありますが、絶えず復旧の意向を行政に伝えておりました。計画段階で換地先の用途区域が住宅しか建てられない低層住居区域とかになってたら、工場(製造場)であるところの酒蔵はそもそも復旧できなくなるからです。泣ける。   佐々木酒造店の場合は被災から7年くらい経った後、換地先が決まり具体化していきました。   ーーーーー   復興を遂げたのが2019年10月1日の日本酒の日。秋から新しい蔵で酒造りできるように、製造設備の遊び期間がないように調整して建築したのを覚えております。   写真にある2011年3月の被災からは8年半くらいです。圧縮するとこんな時系列です。 仮設蔵での挑戦は実は「またきっと大きな災害が起きて、伝統ある地域産業の存続が脅かされることがあるはず。仮設でも技術承継をし、再興に繋がるまでのケース、ノウハウを作れないか」という想いが何より強く、それは清酒や焼酎だけではなく、味噌、醤油といった地元に根ざす発酵食品にも思いを馳せていました。どうか日本の良いものが無くならないで欲しいと願っていました。 ーーーーー   この時期にそんな話をされても、とお感じになるかもしれませんが、バックキャスト思考の一助となればと書き記しておきます。     何かご質問や気になる点、不安なところ、ご相談などございましたらいつでもお気軽にご連絡下さい。

2024-01-07 22:11:53
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佐々木酒造店 @sasakishuzouten

蔵も家も形あるものはいつか壊れるし、地球で生きていれば何らかの事故、災害には場所問わず遭遇します。そこからどう生きるかが多分に突き付けられていて、ご先祖様達は困難にぶつかる度に、覚悟して、継続と承継を選択し続け、今の自分に繋がってるんだなぁと看板を見ながら感じたもんでした。ほんと、しなくて良い経験かもしれませんが💦生きる力に繋がればと思います。

2024-01-08 17:52:49