西洋の学問が分化していった理由は、多分ガリレオのせい
「西洋文化は物事を分化し、どんどん専門化を行って発展」 この言葉がずっと頭の中で引っかかってたんだけど… 私の中で 「そっかそっか!これ西洋史にはガリレオやニーチェがでてきたから分化する方向に行ったのか」 と自分の中のアハ体験が面白かったから書かせて pic.twitter.com/KEI6a1mOPA
2024-03-19 13:25:06東洋も西洋も、中世ぐらいまでは 「宗教と、古代の思想家の言葉を読む」 という【偉い人(天才)が言った言葉をちゃんと学ぶ】というスタイルだったんです。 今もそうだけど、西洋史だと 「ヨーロッパみんなで同じ方向に行こうぜ」 となりがちで、中世には教会や学問に対してそれをやったのが違うけど
2024-03-19 13:28:35結果として ・アリストテレスを盲信しすぎてる人とガリレオが裁判沙汰の大喧嘩して「それでも地球は回っている」といい出したり ・教会の権威を盲信してる人に「神は死んだ」とニーチェがバッサリ言うことになる して年々細分化した。細分化しないと、偉人の権威が悪用・盲信する人がウソを広めるから
2024-03-19 13:32:21その点、日本は江戸時代でも 「古典読みます。易占いもやります(易経も儒教の経典の1つ)」 のスタンス。 多少学問が細分化しても、偉人の言葉にはアクセスしやすい状態が長く続いた。 生臭坊主や、変な学問つくる人は日本にもいたけど、欧州ほど権力集中してなかったから、伝統の良さは残った
2024-03-19 13:37:09なんで、偉人の書いた古典が大事かというと 「物事の取り組み方や、内面的な悩みは今も昔もそんな変わらないから」です。 科学的に嘘だとわかった部分や、時代にそぐわないところはあるよ? ただ昔の方がはるかに理不尽・変な人・無知から来る恐怖が多かったから、メンタルの強さが求められたのよ…
2024-03-19 13:43:03昔の方が、強いメンタルが求められた分だけ、 「メンタルを作る根本的な思想や取り組む姿勢」 は当時以上に価値がある。 同時に、 「学問を専門化することで縦割りになって、間にある悩みが解決できない時に、全体を語ろうとした古典に答えが書いてあったりする」 こともある。
2024-03-19 13:47:56これ、自分自身が 「メンタルの問題を精神医学・心理学・哲学」 と色々な切り口で調べてやっとつかんできたことをお釈迦様が大昔に言ってたりするから、この話をしてる。 いきなり古典を読んで理解できたかは別として、 「全体を機能させるOSの役割をしてくれるものが古典だな」 と強く思った
2024-03-19 13:51:16日本どころか、世界中西洋的な 「古典読むよりも専門性極めて仕事につけ」 的な感じになっちゃってるから、何を専門にするにしても大事なはずな「心構えや物事のとらえ方」を個々で学ばないといけない時代になっちゃってるんだけどね…。 これ、地味だけど致命的なバグだと思うんだ…
2024-03-19 13:54:56特定の宗教や思想の押し付け合いによって紛争や利権争いに発展する感じは嫌いだけど、 「教養としての宗教や思想はもっと注目されていいんじゃないかな?」 「結局どこに行っても『強いメンタルでやりきったやつが勝つ』ようにできてるんだから、メンタル強化にアクセスしづらいのはバグ」 と思った。
2024-03-19 13:57:06ちなみに、冒頭で引用した本はこれです。 本のタイトルは最高にうさんくさいけど、昭和の時代に東洋思想を修め、時の権力者たちを導いたすごい人物が書いた本だけあって、かなり面白かった。 ところどころ偏屈だけどねw 安岡正篤 こころを磨く言葉 (East Press Business) amzn.to/3Vjav4Q
2024-03-19 14:00:25